あなたを愛しているけれど

あばら🦴

僕と娘と私達

 僕は自分の第二の自宅となっている町外れの小規模の倉庫に到着した。いつもの通りに車から折りたたみ式の台車を出して、そこに座席に乗せてあった10kg程の食料を移す。カラカラとタイヤの音を鳴らしながら笑顔を作って中に入ると、そこにいた娘が僕のことを呼んだ。

「おかえりなさい! パパ!」

 その娘は人間の女性の身体をベースとして、長く黒い髪がかかった顔には耳と巨大な口と額についた鼻しかなく、腕は真っ赤なうろこで覆われている。上半身は服を着ているから見えないが腕と同じような状態となっている。下半身はもはや足と呼べるものではなく、高さ2mの肉塊に包まれていて、その肉塊をヘビとナメクジの中間のような動かし方をして移動する。

 僕が作った。肉塊に乗せた上半身から僕を見下ろす者を、僕の娘としてここを買って住まわせている。

「ただいま。遅くなったかな」

「うん! 遅かった!」

「ごめんよ。仕事が詰まってるんだ」

「気にしてないから大丈夫だよ! それより……」

 娘は超音波を使って台車の上の品物を確認した。

「ねえ! 今日のご飯?」

「ああ。いつもいつも、豚肉を大量買いするから業者かと思われちゃうよ、ははは」

 僕は会話しながら娘のいる場所へ台車を押した。そこには強靭かつ巨大な鉄格子の中にいる娘、そして大きめの机とラジオ1台がある。目が無く視界の代わりに超音波能力を備え付けたので、テレビやゲームの娯楽は与えられない。


 箱の受け渡し口から入れられた豚肉を娘は巨大な口で平らげると、髪に多少隠れた顔をこちらに向けてくる。

「パパ。明日も遅いの?」

「ああ。生物の研究員は楽じゃないんだ。わかってくれるだろう?」

「うん……」

「良い子だ」

 僕は檻の外にある本棚から1冊の本を取り出す。上に荷物が置かれた本棚には僕が買った本が入っていた。娘は目が見えなくて本が読めないので、僕が代わりに読み聞かせしている。

「この本、今日で最後まで読み終わりそうだな」

「ねえパパ。その前に話したいことがあるの」

「なんだ?」

 いつもと違う異様な雰囲気を感じ取った僕は本棚を棚に戻した。

「パパ、私、外に行きたいの」

 僕は驚きのあまり閉口した。ただ有り得ないという驚きでは無い。娘にそのような欲求があるのはここに来てすぐの頃に知っていたし、その時にダメだと説明してから3年間その話題は出してこなかった。

 なぜ今なのだろう。何がきっかけだ。昨日だってそんな予兆はなかったはずだ。

「無理なお願いなのは分かってるよ、パパ。私、普通と違うんだよね」

「……ああ。町がパニックになるだろう。それに、僕のいる研究所の存在もバレてしまう可能性がある」

「じゃあ、もうひとつのお願い」

「なんだ?」

「外に出れないなら、私を殺してよ」

 そう語る娘の声は本気のトーンだった。

「な、何を言ってるんだ! そんなこと……!」

「私、もう飽きちゃったの。去年とやってること同じでしょ? 私達」

「だからって……」

 まだ頭の中が整理しきれない。僕は椅子を取り出して娘と向かい合う形でゆっくり腰を下ろした。


 鉄格子越しに見つめ合う僕と娘。先に口を開けたのは僕だった。

「なんでいきなり……その相談をした?」

「さっきも言ったでしょ?パパ。外の世界を本でしか知らないの。多分この先ずっとそうなんでしょう?それなら今終わっても同じことだと思うの。……外の世界に憧れるのも、どこかの誰かの話に羨ましがるのも飽きちゃったし」

「そんなこと言わないでくれよ。去年とやってることが同じって言ったな。確かにそうだけど僕は、お前と一緒にいて『幸せ』だった。その『同じこと』が」

「その『幸せ』に飽きちゃったんだよ。それに大して幸せでもないし……」

 そう言って娘はそっぽを向いた。鬱にでもなったのだろうか。愛する娘に死んで欲しくない。丁寧に話を聞いて説得しないと。

「ごめんよ。お前がそんなに苦しんでたなんて知らなくて。『分かってくれ』ばっかり言ってお前に辛い思いさせたな」

「うん。辛かったよ」

「それでも……外に出させる訳には行かないんだ。だけど死んで欲しくない! 僕にできることならなんでもする! だから頼むよ! 考え直してくれ。」

 娘は真っ赤なうろこがびっしり生えた指先で長い髪の先をいじる。その様を見上げながらしばらく僕と娘は沈黙していた。

「なんでそこまで私のことを気にかけるの?」

 おもむろに娘が言った。

「なんでって……愛してるからに決まってるだろ。お前に死なれたら僕は……何を生き甲斐にすればいいんだ」

「ほんとに? じゃあなんでいつも一緒にいてくれないの?」

「だって仕事が……」

「じゃなくて!」

 急に娘が語気を強める。僕は思わず顔ごと背中を後ろに傾けた。

「なんでここで暮らさないの!? 『お前と一緒にいて幸せだった』って言ってた割には別の家で暮らしてるじゃん!」

 僕は返答に困った。ここは第二の自宅であって本当の家は別にある。

「それは……。」

「分かってるんだよ? 本当は向こうで暮らす義務とか必要とかは無いって! バレるかもしれないなんて嘘聞きたくないよ!?」

 眉をしかめる。僕がここで寝泊まりしない理由は単純でその方が通勤が楽だからだ。というより、寝起きでここから通勤するのはダルい。

「だってそれは……僕だって風呂入らなきゃいけないだろ……」

「通勤前に家に寄るとかあるでしょ。ダルいだけって正直に言いなよ」

「分かってて聞いたのかよ。いじわるだな……」

 僕は弱々しく開いた口をひっそりと閉じた。


 また訪れた沈黙を僕がため息で打ち破る。

「分かった。僕がここに泊まればお前も殺して欲しいって言わないんだな?」

「いや? 私はただ言いたい事言いたかっただけ、最後にね。他にもいっぱいあるけど、心残りは無くなったってことにしてあげる」

 と娘はからかうようなスッキリとしたテンションで言った。

「さ、最後なんて言うなよ! 僕はお前を愛してるんだ! 嘘じゃない!」

「分かってるよ……。痛いほど分かってる。私のこと、とても大事にしてくれてるんだよね。殺処分から助けてくれた3年前からずっと」

「ああ……」

「嬉しかったよ。本当はこんなに愛される運命じゃなかったのに……」

 娘は指先で鼻先に触れた。悲しみのサインだ。僕は気を引き締めた。絶対に死なせたくはない。

「私、パパの人生をめちゃくちゃにしてる自覚がある。それが1番辛いの。パパ、職場でいい顔されてないんでしょ? 研究対象に同情する研究員って扱いづらいし、研究所の存在がバレるかもしれない爆弾じゃん、私なんて」

「よく分かったな。でも気にするなよ。僕だって気にしてないんだ」

「嘘つき。私はパパが私のせいで辛い目に遭ってる方が辛いんだよ。だって……」

 娘は一瞬沈黙する。次の言葉は声が震えていた。

「パパのこと愛してるから。だから殺してよ。帰ってくるたびに無理して笑うパパなんて見たくないの! ……1番嫌なの、それが。」

 いつもここに入ってくる時の笑顔が作っていたものだと気付かれていたようだ。娘はずいぶんと勘が良いと思っていたがここまでとは。

 元から、読んでいた本の結末を当てて僕を困らせることは良くあった。娘はその時の僕の反応を見てよく楽しんでいたものだ。


 自然と僕の瞳から涙がこぼれる。娘がこんなにも僕を愛してることが嬉しかった。そしてそれ以上に、純粋で元気な娘に『私を殺して』と言わせる運命が憎くて、その運命に何もしてやれない自分が情けなくて悔しかった。

 押し殺した泣き声が娘にも聞こえたのだろう、目のない顔でこっちを見つめて巨大な口を開く。

「ねえ。私達の運命を終わらせようよ。その……」娘は喋りながら本棚の上に置かれた荷物を指さした。「注射器で」

 荷物の箱の中に入ってるのは注射器。研究所から渡された殺処分用の薬剤が入っている。

 娘が提示してくれたそれは最初に渡された時に絶対に使わないと誓ったが、今は僕が運命に抗う武器に見えた。

「分かった。……分かったよ」

 泣きながら僕は席立って注射器を取り出した。箱の蓋はものすごく軽くなっていた。

 注射器を手に檻に近づく。

「手を出して」

 涙を流していたが僕の声はスラリと出た。

「パパ。最後のわがまま、いい?」

「なんでも言ってくれ。……やっぱり辞めるか?」

「違う。檻の中に来て欲しいの。最後の最後まで檻越しとか嫌だよ」

「そうだな。ああ」

 僕は檻のカギを開けて中に入って娘に近づいていった。


 すると娘はいきなり腕を伸ばして僕の喉を両手で掴んだ。僕はいきなりのことに驚いたが、何が何だか分からないまま本能のまま暴れた。

 目の前の殺意を持った化け物が口を開いた。

「パパ……。ごめんね。死にたくないよね。でもごめんね。1人で死ぬのは嫌なの……。ごめんね」

 ぶつぶつと出てくる『ごめんね』を聞きながら無我夢中で暴れていると、握り絞めていた注射器が偶然腕に刺さる。

「あっ、まだ……」

 言葉の続きを待たずに僕は残っていた力全部を使って思いっきり注射器を突き刺した。首から腕が離れて肉塊が横に倒れた。

 僕は檻から逃げようとする。しかし足を掴まれてしまい僕は転んでしまった。

 ただ、足をしっかりと握っているがそれ以上のことは出来ないようだ。

「まだ……効果が出ないのか」

「出てるよ。苦しいよ。……容赦無いね、お互いに。愛し合ってたのに」

 どうやら、掴んでない方の腕で指を鼻に寄せる力は残っているようだ。


 檻の中でうつ伏せで問いかける。

「どこから嘘だったんだ?愛してるのも……嘘だったのか?」

「ホントだよ。ほとんどホントのこと。嘘は少ない方が騙しやすいって聞いたから、『私を殺して』って言葉の中に『パパを殺したい』を隠してただけ」

「それなら良かった。お前に嫌われてたんじゃないんだな」

「嫌いになるわけないよ、パパ。パパは1回も私を化け物だって思わなかったじゃん」

「……」

 足を握る力が弱まる。力を込めれば振り払えそうだ。

「パパ……。一緒に死んで。寂しいよ」

「……ごめんよ。死にたくない。お前のことは愛してるけれど……僕は死にたくない。」

 巨大な口がニヤリと笑った。

「同じだね、パパ。私も、パパのことは愛してるけれど……寂しいのは嫌なの」

 腕の力が完全に弱まり、怯えた少女がすがるように掴んでる程度の力しかない。僕はそれを振り払って立ち上がり、さっきまで足を掴んでいた手を握った。

「やっぱりお前は僕の娘だ」

 娘の顔に笑顔が戻っていくのが黒い髪の隙間から見えた。

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あなたを愛しているけれど あばら🦴 @boroborou

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