其の十二(世界の狭間とその危険性)
俯いて落ち込んでいたからといって、それで過去を変えられるわけでもなんら事態が好転するわけでもない。
そんなことは惟之自身も、恐らくは滝田にもわかりきっていることではあるが、それでもどうしたって気持ちが下を向いてしまうのを止めることができない。
そんななか
ぱぁん!
と、意識を切り替えろと促すかのように
はっとして顔を上げたそこには、先程までとはうってかわって穏やかな笑みをたたえた翁の姿がある。
「さて、この話は今はここまででしまいじゃ。続きはもう少しあるが、それは惟之殿が国を継いでから誓約とともに知る話となろう。……それに先にも言うたじゃろう?確かにあの件もまた人のやったことには違いないが、その責任は罪を犯した当人たちが負うべきものであって、そなたらが必要以上に感じることはないんじゃよ。同じ人という種のやったことと憂えてくれる者がいるというのは嬉しいことではあるがの。」
だからこそ過剰に思い悩むことはないのだと静かに諭す翁の、敢えて言葉にしてくれるその心遣いに、感謝の念が湧きあがる。
「……はい、ありがとうございます。」
もう一度だけ、深く深く頭を下げて惟之は今度こそしっかりと前を向いた。
翁の云うとおり、この件をこれ以上過度に思い悩むことはもうしない。だが、絶対に忘れることはないと深く心に誓う。
ちらりと横を盗み見れば、同じく頭を下げていたらしい滝田が自分より少し遅れて顔を上げるのが視界に映って、自分と同じ想いを感じてくれている側近に胸の裡が温かくなる。その気持ちについ口角が緩んでしまったのを見咎められぬよう慌てて口元を引き締めた。
「なんですか、惟之さま。」
「……いや、別に何でもないぞ。」
視線に気づいたらしい滝田が不審そうな表情を浮かべたのは、わざと見ないふりでさらりと白を切る。
正反対なようでいて実は似た者主従なやり取りを見て、小さくくすくすと笑いをこぼしている桜夜の姿に改めて笑みが浮かんでくる。
ふと気づけば惟之も滝田も、同じように笑い声を漏らしていた。
ようやく少しずつ和やかな空気が流れだしたその場に、いつのまにか楠波の足元まで来ていた狼が桜夜と楠波を見上げてくぅ~んと首を傾げた。
『なぁなぁ、今のうちにこの人らに狭間のことも伝えといた方がよくないか?さっきまではそんな暇なかったけど、もういっそそこらへんのことも教えとくべきじゃないかと思うんだけど……』
至極もっともな提案に、樹霊組がはたと顔を見合わせてそれもそうだと三者三様に頷きあう。
「あー……うん、それは言えてるかも。ちゅういかんき(注意喚起)だいじ。」
「それもそうですね。今回はともかくとして、これまでも何かの間違いで入り込んできた者がいないわけでもないですし。ここまで話をした以上、その辺りのことも伝えておくべきかもしれません。どうしますか、翁?」
「そうじゃのう。狭間のことは特に不文律になっておるわけでもなし、どちらにしろ今後も杜に来る可能性が高いのならば伝えておいた方が賢明じゃろう。」
足元の狼の鳴き声にそちらを見たかと思えば、いきなり顔を突き合わせてぼそぼそと不思議な相談を始めた樹霊たちに、惟之と滝田は一体何事だろうと困惑のまま様子を見守るしかない。
ただその疑問は、くるりと一斉に振り返った当の本人たちによってわりとすぐに解消されることとなった。でも揃って突然振り返るのはちょっとやめていただきたいです。なんかこわい。
顔を見合わせて頷きあっていたかと思うと、代表してか桜夜が口火をきった。いつのまにやら楠波の腕から下へと降りている。
「あのね、のぶゆきお兄さん、たきたさん。いまからだいじなことを言うから、二人の国の人たちにもちゃんと伝えてほしいの。」
「大事なこと、ですか?」
「国の者たちにも知らせよとは……桜夜殿、それは一体どんなことだろうか?」
「うんと、ここが杜の中でもかなりおくふかくになるのはのぶゆきお兄さんもたきたさんもわかってると思うんだけど……」
「あぁ。奴等に追われるうちにこんな深い場所まで入り込んでしまって、これはさすがにまずいだろうと焦っていたんだが、とはいえそれを言ったところでおとなしく聞きいれる連中でもないし、どうしたものかと思ってな。」
口いっぱいの苦虫をおもいきりごりっごりに嚙み潰した顔で惟之が頷くと、まったく同じ表情をした滝田が眉間をぐりぐり揉みほぐしながら後に続ける。
「それで仕方なく、これ以上は先に行かないよう追い詰められたふりで足を止めてここで奴等と対峙することにしたのですが……その様子ですとどうやらその判断は間違っていなかったようですね。」
「うん、そうしてくれて本当に良かった。これ以上おくにすすんじゃうと、はざま(狭間)にまよいこんでもどってこれなくなってたかもしれないの。」
「「狭間(ですか)……?」」
聞きなれない、というよりむしろ初めて聞く言葉を異口同音に繰り返して、似た者主従がなんだそれと同じように首をひねる。
ほんとなんだかんだ言いつつ仲良いよね、この人たち……。
なんとはなし面白いものを見ているような気持ちになるが、それはそれとして続きを話しておかなければならないと気をとりなおす。
「えぇとね、この杜はふだんお兄さんたちがいるところとはすこしちがう空間にあるの。」
「あの、桜夜殿、違う空間とはいったいどういう」
「桜夜、その言い方だと人の身である彼には少々わかりにくいんじゃないかと思いますよ。例えばですが、部屋のようなものとして考えてみるのはどうでしょう?」
頭の上に?マークが乱舞しているのが目に見えるような惟之に、どう説明したものかと悩む桜夜へ横から楠波の補助がはいる。
「あ!うん、その方がまだわかりやすいかも。ありがとう楠波!」
「いいんですよ、他にも何かわからないことがあればなんでも聞いてくれていいですからね。」
ぱぁっと輝く笑顔でお礼を言う桜夜に、楠波の笑顔もまたにっこり深まる。ぶれない。どこまでもぶれない。
「えっとね、のぶゆきお兄さんの住んでる国にはのぶゆきお兄さんたちのおうちやお部屋があるよね?」
「あぁ、
「そうなんだ?それで例えばなんだけど、ふだんのぶゆきお兄さんやたきたさんがいる場所、生きてる世界がその部屋だってかんがえてみてほしいの。」
言いながら桜夜が人差し指をふいっと振ると、目の前に光の線で構成された20㎝ほどの立方体の映像が現れた。中には人を模したのか、着物を着た人形がこちらに手を振っている。
「おぉ、これはすごいな。桜夜殿が動かしておるのか?」
「うん、言葉だけじゃわかりにくいかもと思ったの。これならどんなかんじか見れるでしょ?」
「ふむ、確かに。これならただ聞くだけよりもわかりやすそうだ。……ところでこれは触ったりできるのだろうか?」
「惟之様、またそのような……」
少しわくわくとした様子で映像から目を離さずに指をわきわきさせる惟之に、滝田が頭痛をこらえるように額に手をやった。
苦労性なのが垣間見える。多分大体いつもこんな感じなのだろう。強く生きてほしいと思う。がんばれ。超がんばれ。
「えぇと……これはここにうつしてるだけでじっさいに物はないからさわれるわけじゃないの。」
ある意味、
「なんと、そうなのか……。」
触れないと聞いてしょんぼり残念そうな惟之の頭やら背後やらに、へちょりと垂れた茶色いふかふか犬耳とくるりん巻かれた尻尾が見える気がするが、敢えて表面には出さずそのままスルーします。
めちゃくちゃ気にはなるけど、どう考えても私の妄想?だし、そこ気にしてたら話が進まない予感しかしませんよ?
「惟之様、まだ桜夜殿の話も途中のようですので……。」
「おぉ、それもそうだな。すまぬ桜夜殿。続きを頼めるだろうか?」
滝田さんナイスアシスト!
滝田 への 好感度 が 3 あがった!
「うん。それでね、ふつうはおしろの中のお部屋とお部屋みたいにひとつの世界どうしはとなりあってて、でもお部屋とはちがってかんたんには行き来できないようになってるんだけど……」
言葉通りに先程の立方体の隣に少しずつ形の違う別の立方体を二つ出すと、中の人形が隣り合った壁の部分をぺちぺち叩いて腕でばってんを作るのが見える。
「こんなかんじで世界の形はまったく同じものはなくて、それぞれ少しずつちがう形をしてるから、ひとつの世界からとおい場所ほど世界の間のずれは大きくなって、そこにすきまができます。」
直角な立方体の横に丸みを帯びた立方体が隣り合い、その更に向こうに波打つ壁を持つ立方体が並んだ。隣接した世界の壁同士の間に扉のようなものが見えるが、そこから少し離れた箇所の壁と壁に隙間が幾つかできているのがわかる。
「このすきまのことをわたしたちははざま(狭間)ってよんでるんだけど、世界と世界の間にあるつうろを通るときにまちがってここにまよいこんでしまうと、どちらの世界にも行くことができなくなってどこかにきえちゃうの。」
目の前では桜夜が通路と呼ぶ扉を開けた人形が、そこから足を踏み外して隙間へと真っ逆さまに落ちていき、そのまま姿がかき消えてしまうところだった。
その様子をずっと見ていた二人の額にじとりと冷や汗が滲み、さぁっと血の気が引いていく。
「じっさいの世界どうしはもっとふくざつにまざりあって重なりあってるから、きょうかい(境界)はこんなにわかりやすくなってないし、はざまももっと大きいのから小さいのまでばらばらにてんざい(点在)してて、見た目のとおりになんてなってないの。」
小さな眉間に似合わぬしわをくっきりと寄せた桜夜が、その幼さから見ると不釣り合いなほどに老成したため息をつくのを視界に入れながら、行きついてしまった嫌な想像に更なる冷や汗が滲んでくる。
「桜夜殿、もしや、今のは……」
できることなら否定が返ってきてほしいと願いつつも、恐らくそうはならないだろうこともなんとなくだがわかってしまった。
桜夜の眉根が更にぐぐっと真ん中へと寄せられるのが、否応なしに目に入ってくる。が、横からすっと差し出された楠波の指先が、小さな眉間にできていた皺をそっと解してまた戻っていく。
慣れているのか、特に反応することもなく桜夜が話し始めた。いいのか、それで。
「もうわかっちゃったみたいだからいうけど、杜のおくはこんな風に世界のきょうかい(境界)が重なってるぶぶんが多くて、その分はざまも大きくなってるの。」
一旦言葉を切った桜夜が、惟之と滝田をじっと見つめると、うん、やっぱりそうだよね。と何かに納得したようにうんうんと頷いた。何故か楠波も、まあそうでしょうねと同意しているのが見える。
その様子に二人とも疑問でいっぱいになるも、どういうことなのかと問いかける前に桜夜が顔をあげた。
「わたしたちみたいな樹霊や杜にすんでるあやかしたちはね、どんなに小さなものでもはざまの存在を感じとれるし、見ることもできるからまちがってもまよいこんでしまうことはないの。でも人はごく一部のとくしゅ(特殊)なかんかく(感覚)を持ってる人以外は、はざまを見ることも感じとることもできない。いちおう大きいはざまはあぶないからすぐにふさいでるんだけど、本来はこんなところまで人が入ってくることなんてないから小さいはざまはそのままになってることが多いの。だからね、あのまま先にすすんでいたらのぶゆきお兄さんもたきたさんも、あのおじさんたちも、たぶんみんなはざまにまよいこんでしまってたと思う。本当に、あぶないところだったの。」
小さな手をぎゅっと強く握りこんで、それでも真っすぐに目を見て告げる桜夜に、どれほど危険な状況だったのかを改めて悟り、ぞっと背筋が冷えた。
言葉だけではなく、目で見てわかる映像という形で見せられたことで、なおさら実感に繋がったのだと思う。
「つまるところ、あなた方はただひたすらに運と勘が良かった、ということになりますね。先程少し見させていただきましたが、お二人とも運動能力はまあ武人として当然の水準にあるにしても、他は特殊な感覚、能力と云えるものは特にはないようです。」
桜夜の後を引き継いで、目を伏せたまま書類でも読むように、惟之と滝田の特殊能力の有無について楠波がわりと容赦のない事実を淡々と述べていく。
あの……楠波さん、もうちょっと、なんていうかこう、言い方ぁ……。
あからさまに、容赦?なにそれおいしい?とでも云わんばかりな態度の楠波に、紅丞の主従がドン引きしている。無理もないと思います。
桜夜もまた若干ドン引きしているが、楠波は今のところ気づいていないのでセーフセーフ。
気づかれたらめんどくさいことになる予感しかしないので、楠波以外の全員が暗黙の了解でそっと目を逸らして隠す方向でファイナルアンサ-です。
~桜語り~ たちばにゃ @sakaki099
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