小桜語り一片(安眠妨害には危険が伴います。覚悟はいいか、者どもォっ!)

 次元を越えて彼岸と此岸を繋ぎし妖しの回廊と、杜の全てを覆いし不可視の力によりその詳細な所在を秘された鎮めの杜に、新たなる護り手が産声をあげた。


 護り手とは鎮めの杜と人の世、そして人とあやかしとの狭間、異なる世界同士を守り隔てている境界を守護する役割を持ちし者。

 檜の翁以来のその存在の出現に、当然ながら杜の住人たちは沸き立ち、諸手をあげて彼女―桜の娘を祝福した。

 本来ならば新たなる護り手の誕生を祝して、盛大なる祝いの宴が開かれるのはしごく当然の流れでもある。もちろん杜に住まう誰もが希望と(宴を)やる気に満ちあふれていた。


 だがしかし彼女―桜夜は最初を含めて二~三度ほど夢うつつにうっすらと目を開けただけで、後はただひたすらにこんこんと深い眠りのなかにいる。

 まるでその小さな身体に見た目だけでは計ることのできないあらゆるものを蓄えようとでもするかのように。


 そうして時が過ぎていき、ふと気がついてみればいつの間にやら百年あまりの時が経とうかという頃。

 季節はまたゆるりと巡り、柔らかに花ほころび鮮やかに緑萌ゆる春。

 いつも桜夜の様子を見に行っている者たちから、もう百年は経つのだし流石にそろそろ彼女を起こした方がいいのではという意見がちらほらと出されるようになってきていた。

 その主な面子としては、桜夜が目を覚ますのをそれはもうずっとずっと心の底から待ち望み続けている楠波とか稲荷の狐たちとか楓の樹霊の楓清かすみとか楠波とか小豆洗いとか豆狸とか楠波とか橘の樹霊の橘風きつかとか鬼火たちとか楠波とかとかとか。


 それに対して返されたのは、檜の翁の深ぁぁく長ぁぁい大きなため息がひとつ。

 その瞬間。

 とても冷たくどす黒い何かが辺り一帯へと一瞬にして広がり、胎動するかの如くうぞりと重く蠢いた気配に、ないはずの血の気が一気に下がったように感じたのは気のせいだと思いたい。

 …むしろ、思わせていただきたい。


 とりあえず楠波や、そのあからさまに作ってとって貼り付けたように完璧に見える胡散臭い能面みたいな笑顔はやめてもらってもいいかの?

 下手な無表情なんぞよりよほど背筋凍りそうなぐらい恐ろしいんじゃが。

 わし先代の護り手なのに……。


 「…そ、それでお主ら、桜夜を起こそうとはしてみたのかのう?」


 微かに震えの滲む声で確認のために尋ねる翁に、代表して楠波がいいえと頭を振り、稲荷狐のひとり、玄狐げんこがふんと息を吐き、立派な尻尾を左右にふりふりしながらその後に続ける。


 『そも本当に起こしてもよいものかもどうにもわからんでの、まずは翁にそこらあたりを聞いてみてからということになったんじゃい。』


 その言葉にそれもそうかとばかりにひとつ頷くと、翁はまだ少しばかり青い顔で着いてこいとだけ皆を促した。


 暫くの間杜の中を進み目的の場所へと辿り着いてみたならば、そこは件の幼女がただ深く穏やかに眠り続ける桜の巨木。

 百年という時を経て天へとひた向かい、大きく伸ばす枝々のその先には、深い蒼の空とコントラストを作る淡い白紅の鮮やかに美しい桜の花が今を盛りと咲き誇る。

 枝を離れた花びらが風に散らされてはらはらとひらひらと舞い踊り、明るい陽光の中を輝きながら降りそそぐさまはまさしく、幽玄の象徴たる杜でしか見ることの叶わぬ夢幻の情景。誰も彼もが言葉を発することすらも忘れて、ただただその光景に見入るのみ。


 「翁、桜夜を起こすのですか?」


 しばし桜花が繰り広げる幻想の舞に目を奪われたあと、気を取り直して改めて本来の目的を思い出したか、す、と前へ出た橘風が翁へと尋ねやる。

 それに対し、あぁだかうんだかよくわからない返事を返して、翁が安らかにすよすよと眠る桜夜の元へと近づいた。


 そして。

 いま一度だけ、諦めたように深いため息をひとつ零すとその小さな肩へとゆっくり手をかける。そのままゆるゆると優しく揺さぶり、彼女の目覚めを促すようにそっと呼びかけた。


 「桜夜、桜夜。起きなさい、もう充分に眠ったじゃろう?」


 少しの間身体を揺さぶり声をかけるも、返ってくるのはただすうすうと穏やかな寝息だけ。


 「起きませんね…」


 ぽつりと零された楠波の声に、翁がふいとどこかあらぬ方向へと視線を飛ばした。

 え、なんだってそんなものすごーく遠い目してるんですか翁。一体どこ見てるんですか、まるでそっちに何かがあるか、あるいは見ちゃいけないものから必死に目をそらしているような風情なんですが。なんなのどういうことなの。


 「問題はこれからなんじゃ。…皆の者、覚悟はよいか?」


 ぼそりと聞こえた、どことなく何かを期待しているような響きとそれとは裏腹に大きな疲労の滲む声に、え。と声が重なった。

 覚悟。覚悟ってなに。それは一体何に対する覚悟なんだっていうか、そもそもの問題として何がどうしていま此処で覚悟なんて言葉が出て来るのか。

 ついでのように皆の想いも重なった。でももしかしたら重ならない方が良かったのかもしれない。



 覚悟 ―①さとること。②心構えすること。③あきらめること。 ―角○国語辞典より出典



 何をどう考えても、この場合明らかに碌な意味を持つ単語ではない気がする。

 なんかこう、多分だけどイヤな予感のようなものが爽やかすぎる笑顔のまま全力疾走で迫ってきているっぽいのを気のせいにしておきたい。ていうか、桜夜を起こすだけなのに一体何を覚悟しなくてはいけないというのか。


 ちょっとこの翁、なに言ってんですかね?

 仲良くお手々を繋いだ疑問と不審と不安が頭の中できゃっきゃと楽しげにマイムマイムする彼らをよそに、事は着々と進んでいく。


 「ほぅれ、桜夜。そろそろ起きぬか。」


 尚もかけられる翁の声にうぅんと少女が寝返りをうち、これならば目を覚ますか、と彼女を見つめる者たちが期待に知らずごくりと息をのんだ、次の瞬間。


 幼い少女の可愛らしい小さな顔に広がったのは、見る者全てを和ませ恍惚とさせ、終には心ごと虜にするほにゃりと柔らかで周囲にきらっきらな虹色のプリズムを振りまくような、そんな破壊力抜群の天使の微笑み。花弁もかくやと思わせる桜色をほのかに綻ばせ、ゆるやかに蕩けて稚いながらもその清浄な美しさを見る者に否応なしに感じさせる豊かな表情。


 彼女が見せたただひとつの、だが素晴らしいほど劇的な変化に呼吸をすることすら忘れ、そのまま目を離すのも惜しいとばかりにひたすら一点にのみ視線を釘付けにされる。


 そうか、これが真なる最終兵器というものか。


 そう。

 本当の衝撃とは、声どころか己の思考すらもすべて根こそぎ奪い去ってゆくものである(@起床要請組+翁談)

 そのきらきらと光を振りまく笑顔の威力に死屍累々と悶える彼等が、本当にそんなことを思ったか定かではないが、この広い世の中知らなくていいことなどいくらでもある。


 ………それが傍から見れば、どんなにか馬鹿馬鹿しいものであったとしても。


 こうしてその後、年を追うごとに徐々に被害(?)を拡大しつつ、彼女の安眠は守られる。

 これより後、再び目覚める二百年の長き果て先まで―――。

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