二 出会いと変革

 いく年もの時を経て少女は成長を重ね、娘と呼べる年齢に成長していた。かつての男勝りで勝ち気な性格も少なからずなりを潜め、体つきも女性らしさがみられるようになり、ひとつひとつの仕草にも大人びた雰囲気があふれ出ていた。

「ふぅ、今日はこんなところかしらね」

 この年の夏はとても暑く海水温の上昇を招く事になり、魚介の大量死や赤潮が広がることで漁獲ぎょかく量の激減による食料難を招くに至る。それ故、普段は数人で漁に出るのであるが、この日はだれの都合もつかぬなか、無理を押して一人で出向くことになっていた。

「しまっ――」

 娘は捕獲ほかくした魚をいれた籠をもち、岩壁を移動し船へとわたろうとした時、均衡きんこうを崩し思わず足を滑らせてしまう。

「くっ」

 必死に体制を立て直そうとするも耐えきることが出来ず、その身は海へと放り出されてしまっていた。しおの流れに押されることで船から徐々に引き離され、沈み込みそうになる中、何とか浮上しようと試みるも無情に水中へと引きずり込まれていく。

(誰か、助け……)

 海へと落下する直前に無理な体勢で踏ん張った時、岩場で尖った岩に足をぶつけ切り傷を作ってしまった事で強烈な痛みを感じ、うまく泳げない。必死に対処しようとするが足を自由に動かすこともままならず、翻弄ほんろうされるがまま流されてしまう。

(もう、駄目――)

 遠のきかけていた意識を辛うじてつなぎ止めていた時、むせ返る事で酸素を取り込むことに成功した娘は、体が水中から抜け出していることに気づく。

 重い頭を上げ辺りを見渡すと、体が浜辺へと放り出されている事を知るに至り、命が救われたとに安堵あんどし身を起こす。

「たす、かった……」

 だが、足の傷が思いのほか深く、体を起き上がらせるのがやっとであり、歩くのも困難な状態であった。周りを見渡した娘は、このまま助けを待つことも出来ぬと判断した事で焦りを感じ、痛む足を引きずりながら歩き出していく。

「ここ、どこなのかしら……」

 再び途切れそうになる意識を必死につなぎ止め、強引に体を動かし続ける事で負った傷に負荷がかかり、結果として発熱を引き起こすことになってしまう。

 額からは激しく汗が流れ落ち、体力の限界に達っする事になった娘は、いつしか地面に直れ伏し、意識を完全に手放すことになってしまうのであった。


「ここは……」

 目覚めた娘の視界に入ったのは見知らぬ建物。作りは自分たちの住まいとよく似ていたが、家、いわゆる竪穴式住居たてあなしきじゅうきょの中にある道具が違うことに気づく。不安を感じながら体を起こし立ち上がろうとしたその時。

「痛っ!」

 足の痛みで再びしゃがみこむ事になり、同時に目覚める前の事を思い出す。

(そうだ、私足を……)

 そう思い傷を負った足をさすりながら視線を送ると、誰かに治療されたようで傷が塞がれ処置されていた事に気づく。娘は困惑しながらも視線を上げると、物音を聞きつけかけつけたのか、一人の男性が建物の入り口に立っていた。

『大丈夫ですか、怪我をしておられたようですが』

 男性は心配げに声をかけてくれたが、娘にはその言葉が理解出来ず困惑する。そして同時に男性の顔とその姿を確認し、ここが渡来人の村であることを知ることになりながらも、思わず言葉を漏らす。

「あ、あの私……」

 とそこまで口にしたとき言葉が通じないことを思い出し、必死に身振り手振りで傷を指さしながら小首を掲げてみせると、それに対し男性は軽く微笑み頷く。

 娘のそんな様子に男性は同じように足を指さすと、ぱんっと足を叩き強く踏みならす。

(足の怪我は大丈夫かっていってるのかな)

 そう思った娘は再び足を指さした後、そのまま胸元へと手を動かし感謝の意味を込めて、胸に両のてのひらをかざし微笑みかけながら、

『イヤイライケレ』(ありがとう:アイヌ語)

 といった。

 いわゆる日本語の祖である大和言葉と、縄文人の言葉では共通するものがほとんど無いといわれており、縄文人の言葉はアイヌの言葉とほぼ酷似しているのだそうだ。

 そんな娘の行動と言葉を好意に捕らえた男性は、胸をなで下ろしたように笑顔をみせると一度頷き、何かを思い出したように家の外へと飛び出してく。

『お口にあうかどうか、わかりませんが』

 すると凄まじい速度で直ぐにもどってきた男性は、肩で息をしながら湯気の上がる腕を手にして、娘に声をかけそれを手渡す。

 両手を使いそれを受け取った娘は軽く頷きながら微笑むと、そこに入っている物をさましながらはふはふと口にし、ささやくように口を開く。

『ケラアン』(おいしい:アイヌ語)

 いままで食べたことのないあつものを口にし、味の濃い事に驚きながらも味わって食べる娘を男性はやさしい眼差しで見つめながら、満足そうに微笑んでいた。


 娘は足の怪我が直るまではと男性の好意に甘え、村で過ごすことになったのだが、そこに暮らす村人達の中で肩身の狭さを感じることになる。

(私達と本当に全然違うんだ、言葉も、服装も……)

 時折村を見て回ったりすることで、自分達の村と、この村の文化の違いを肌で感じていたのだ。見たことの無い農具と呼ばれる道具や、青銅と呼ばれる素材、それらは娘にとっては斬新ざんしんであり同時に理解出来ぬものであった。

(文化というより、根本的に技術力が高いんだこの人達は)

 そしてそれは渡来人も同じであり、村を歩く娘を好奇と不可解の視線で遠巻きに観察していく。顔に入れ墨があり、明らかに違う簡素で素材の違う服装、言葉も全く共通点の無い物であり、言動も大きく違う。

(私が不思議に感じるように、この村の人も私が珍しいんだ)

 娘は好奇の視線と言葉の違いで居心地の悪さを感じていたが、助けてくれた男性には多いに感謝していたのも事実であった。


 しばらくの療養りょうようを過ごした後、傷と体調を回復させた娘は男性を同伴させ村へと戻る事になり、村人達に対し渡来人の事を必死に解いて回るも不審がられ、拒絶されてしまう。

 簡単に受け入れられぬ事を予想していた二人は、共に根気よく互いの村を尋ね会う事で村どうしの架け橋となっていく。

『海の、向こう、あなたの、国がある?』

 そんなある日、漁の仕方を娘が教えるとのことで海へと出た二人は、一息ついた時、共に海の彼方を見つめている中、青い水平線の彼方を指さした娘は、小首を傾げながら身振りと渡来人の単語を片言で使いながら質問していた。

『そうですね、私達の祖国は海の向こう、大陸と呼ばれた地にあります』

 言葉はいまだ通じない事も多いながらも、お互いにいろいろなことを教え合い、思い合う事で、いつしか互いに惹かれ合う様になっていたのだが、それに二人が気づくのはまだ先の話。

『そして、争いが起こり、多くの人が、死んだ』

 そう言葉を付け足した男性は、娘がその意味を辛うじて理解したのを感じ深く頷くと、少し寂しそうな顔をしながらさらに指を交互に交差させてぶつけ合い、争いの意味を示しす。

『争い、死ぬ……』

 固まった表情で口を開いた娘の言葉に対し、胸を指さしてそれに手刀を突きつけ、娘に理解出来るようにと簡単な単語と、ゆっくりとした言葉で命の取り合いがあった事を伝える。

『そう、争いがあって、いっぱい、人が死んだんだ――』

『争い、あって、人、いっぱい、死んだ……』

 男性と同じように娘は身振りを使いながら伝わった事を教えるように軽く頷き、少し悲しそうに片言の言葉で続けて呟いた娘に、男性は頬を緩め笑みを見せながらも瞳に涙を浮かべていく。

(海の向こうでは争いがあるんだ。そしていっぱい人が死んだんだ……)

 そう思った娘は男性の涙を目にし悲しみが胸の中で募り、思わず抱きつくとその体を強く抱き留める。

「あなたたちが、そんな思いをして海を渡ってきたなんて知らなかった。この青く澄み切った海の向こうに、そんな悲しい事があるなんて――」

 娘は自分達の言葉でそう口にすると涙をながしながら、なお一層その手に力を込めると、男性もそれに応える様に早口でまくし立てられた理解出来ぬ言葉の意味を感じ、強い力で抱きしめ返す。

『そうですね、この国ではそんなことが起こらぬよう、平和でありたいですね』

 この時、初めて倭国わこくと呼ばれる国の元となる、異国との文化の交わりが始まる予感が感じられた。それは後に村が国へと変わっていき、小さな集まりであった物が徐々に大きな集まりへと変わっていく。

 稲作そのものは古くからあったものであったが、この時大国から新たに流入した水田の技術によって効率よく収穫出来るようになり始め、爆発的に人口が増え始める事になる。

 同時に流入し広がっていった青銅具が武器へと転用されることになってしまい、水を含む土地争いが起こることで、増えすぎた人口を維持するための食物争いへと発展していく事になってしまう。

 そして、それは二人の願い虚しく、ここ日本でも命の奪い合いである争いが起きることとなってしまうのであった……。

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海からの来訪者 河依龍摩 @srk-ryu

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