ホテルの朝食バイキングと僕と俺と私

結騎 了

#365日ショートショート 009

 家族でこのホテルに泊まるのが、年に一度の行事となっている。私が子供の頃は、両親や兄弟と。今は両親が他界し、自分の家族と。別に一流のホテルというわけじゃない。地元、つまり自宅から車で半日。小さい温泉があり、部屋は古いが綺麗に清掃されており、従業員は愛想がいい。家族でここに泊まり、なんでもない一日を過ごす。目的という目的はない。それが、「我が家」の決まりなのだ。

 なにより楽しみなのは、朝食のバイキング。このホテルに通い続けて、もう30年は経つだろうか。昔から変わらないバイキングのメニュー。しかし、変わったのは私の方だ。目の前のお皿に、なにをデザインしていくのか。

 子供の頃は、朝食バイキングといえばご馳走だった。両親と部屋を出て、エレベーターで一階まで降りる。他の部屋からも客がぞろぞろと出てきて、皆がそろって朝食会場に向かう。お父さん、遅れたら無くなっちゃうかも。早く行こうよ。思わず歩調が速くなる。朝食券を手渡したら、ワクワクのはじまりだ。なんでも好きに食べられるという、あの万能感。オレンジジュースだってリンゴジュースだって飲み放題。コーンフレークもあんなに沢山ある。薄く張ったお湯の中に、数えきれないソーセージが並んでいる。その横には、カリカリのベーコン。おまけにスクランブルエッグ。仕上げはケチャップを好きなだけトッピングだ。これがもう、たまらない。朝からこんなにソーセージを食べていいのは、ホテルに泊まった時だけだ。どうして大人は、せっかくのチャンスなのにご飯と味噌汁を食べているのだろう。……そう、思っていたものである。

 やがて学生時代を経て、成人。両親とホテルに泊まりに行くことに、なにか別の意味合いを感じ始めたような、あの頃。こうして彼らと旅行に行くのは、人生にあと何回あるのだろう。共に部屋を出て、朝食会場へ向かう。どこで覚えたか、自然と自分が先にエレベーターに入り、両親を招き入れてから階数ボタンを押す。他の客に先を譲り、エレベーターを最後に出る。押さない、駆けない。朝はゆっくりとした歩調で。朝食会場では、さて、どこに座ろうか。ほら、お父さん、あそこが眺めがいいよ。お母さんもこっちの椅子に。大丈夫、俺はこっち向きでいいから。荷物を見ておくから、先に取っておいでよ。一丁前に、気を遣っていただろうか。皿には、バランスを求めるようになった。ソーセージもベーコンも食べるが、サラダだって食べる。魚や煮物だって悪くない。そして、食後にはコーヒーを飲もう。お父さんはブラック、お母さんは砂糖入り。そんなことも、ホテルに泊まらなければ気づけなかっただろう。

 そうして、今。人の親になり、歳を重ねた。立派な中間管理職は、日々の喧騒を忘れるように家族とここに泊まりに来る。息子よ、朝食会場に浴衣で行くのは褒められないぞ。娘よ、ぬいぐるみを持っていくのはやめよう、汚れたら大変だぞ。ルームキーは持ったか、靴は履いたか、朝食券はポケットに入れたか。ほら、廊下を走らない。まだ寝ている人もいるんだぞ。そうそう、一階。「1」のボタンを押してごらん。うん、よくできました。受付を経て、家族全員が座れる席を探そう。だめだめ、ここでも走っちゃだめだ。まずは子供用の椅子を持ってこないと。なあ妻よ、ここには子供用のフォークやスプーンはあっただろうか。いいか、バランスよく食べるんだぞ。……といっても、彼らが好きにデザインしたものに、ケチはつけまい。さて、まずはサラダを沢山食べよう。山盛りにしたレタス、そこにトマト。ドレッシングは…… お、いいぞ、減塩タイプのものがある。それも、ここの味噌汁は赤味噌なんだ。これが香りがいい。白米もふっくらと炊けている。漬物の種類が多いのも、来る度に笑顔にさせてくれる。おや、もう先に食べ始めたのか。皆でいただきますをしようと思ったのに。まあ、いい。ゆっくりお食べ。チェックアウトまでまだ時間はある。

 そこには、様々な家族がいる。あの時、手を伸ばさなかったサラダも。今では、朝からは重いソーセージも。きっと誰かのためにそこにある。もしかしたら、この朝食会場に家族で来ることが、僕の、俺の、私の目的なのかもしれない。

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