タイムマシーン1号
すでおに
タイムマシーン1号
21××年、日暮れに雨が降り出しそうなある日の昼下がり、研究助手が研究室をノックした。ドアを開けると白衣の背中が振り返った。
「お呼びでしょうか?」
「跡をつけられていないだろうね?」
博士は背伸びするようにして、助手の後方を窺った。
「仰せの通り、誰にも告げずにここへ来ました」
「よろしい」と言って助手を部屋の中へ招き入れ、施錠させた。
「ついに完成したよ」
博士が顔を向けた左側に見慣れぬ物体があった。一見、前世紀に使われた洗濯機のようだが、そうでないことが佇まいに見て取れた。サイズもいささか大きいようだ。
「何だと思うね?」
博士は口元に笑みをたたえて訊ねた。
完成したと言うのだから未知の発明であるようだが、何の装置か、見た目からは皆目見当がつかない。助手は首を傾げた。
「タイムマシーンだよ」
博士の顔に笑みが広がったせいで冗談にも受け取れ、助手はリアクションをためらった。
「聞こえなかったかな。遂にタイムマシーンが完成したんだよ」
助手はその物体に視線を戻し、まじまじと観察した。そう言われればそのように見えなくもないが、22世紀のいまもまだタイムマシーンは空想の産物に過ぎなかった。
「私がずっとここに籠って一人で研究してきたのはこれを発明するためだったのだ」
天才科学者といわれた博士が突如表舞台から姿を消したのはおよそ10年前。様々な憶測が飛び交ったが沈黙を守り続けた。死亡説のみならず、その頭脳を保存するため生きたまま冷凍されたとの噂までまことにしやかに囁かれた。一人研究室にこもったのはごく一部の関係者のみが知るところで、研究テーマはベールに包まれていた。
「タイムマシーンはフィクションの世界で発明された、人類の夢が詰まった宝箱だが、空想の域を出ないと見られていただろう。しかしいまここにそれがあるのだよ」
博士は口をつぐんだままの助手に向かって続けた。
「ある人は言った。未来にタイムマシーンが発明されるのであれば、それに乗ってきた人はどこにいるのかと。現代に未来人が現れないことが、未来永劫タイムマシーンが発明されない根拠だとね。
しかしそれには理由があるのだよ。私が誰の手も借りずに研究してきた事情も含んでいるから一から説明しよう」
そういって人差し指を立てた。意気盛んな時の博士は、熱弁に舞台俳優よろしく身振り手振りが交じる。
「タイムマシーンが発明されたとして、すぐに千年、2千年飛び越えられると思うかね?自動車、鉄道、飛行機、宇宙船等々、人類は様々な乗り物を発明したが、どれをとっても発明時から現在の姿だったわけではない。無骨な性能―無論当時は最先端だったわけだが、それを備えた代物に過ぎなかった。年月をかけて進歩し、現在のような機能性や耐久性を備えた最新鋭のマシーンになったのだよ。猿人から進化した我々人類のようにね」
微笑を浮かべて、すぐに打ち消した。
「同じ道のりを辿る、と思いきやそうはいかないところにタイムマシーン開発の煩雑がある。いわんや技術的には同様で、まずは数分から数時間、せいぜい数日というところかスタートし、弛まず開発を続けて長い時間を飛び越える装置ができるわけだ。しかし」
博士は背面の壁を手のひらで叩きつけた。
「タイムマシーンはほかの乗り物とは異なる課題を抱えている。いいかね。もし時間を飛び終える装置が完成したとして、世間にお披露目したらどうなる?大騒ぎどころではない。地球がひっくり返るほどのインパクトをもたらすことになる。人類の長年の夢がついに実現したのだからね。しかし」
今度は二度壁を叩いた。
「手放しで称賛されるだろうか?否。不安もまた大きなものになる。歴史が変わってしまうのではないか、とね。過去へ行って何かをしたら―悪さでなく他愛のないことであっても、例えばレストランでグラスの水をこぼしただけでも波及効果となって歴史の歯車が狂ってしまうのではないかとね。
たしかにタイムマシーンは大きな問題を抱えている。倫理だけでは足りない、何が起きるかわからない、地球規模のブラックボックスなのだ。夢に見ても目の前にしたら扱いに困ってしまう人類の手に負えないもの、それがタイムマシーンでもあるのだよ。
世界中から疑問や不安、批難が渦巻いて開発にブレーキがかかり、やがては20世紀のクローン技術のように法による規制対象となるのは目に見えているではないか。夢の発明が進化を遂げることなく闇に葬り去られる。そんな暴挙が許されていいのかね」
そこまで吐き出すと柏手のように両手を打った。いくばくかの空白のあとその両手を広げて言った。
「無論こうも考えられる。もう少し人間のモラルの進歩が早ければ、ダイナマイトや原子爆弾の開発も避けられたかもしれない。かつて世界を覆った愚かな戦争は避けられ、多くの命を救えたかもしれない。
タイムマシーンの技術が応用され、殺戮に利用されることも考えられないでもない。決して私の本望ではないが、正しく使われる保証はないのが科学であると歴史が証明している。
しかしそれは前時代の遺物であると信じたい。タイムマシーンは私が生み育てた子供のようなものだ。あらん限りの精力を傾け、ひとり研究を重ね、ついに完成したのだ。おいそれと手放すことなどできるわけがないのだよ」
助手は何か口にすべきと頭を過ったが、適当な札を選択できなかった。
「まだ何も証明していないのだから私の話を信用できないかな。それも仕方ない。しかしすでに実験は済んでいる。私はこのマシーンにドローンを積んで過去へ運んだのだよ」
博士はそう言うと傍らにあったモニターを示した。そこにこの部屋が、そしてこの物体が映し出されていた。次の瞬間物体が眩いほどに発光したかと思うと突如映像が途切れた。違う。そう見えただけで、画面は夜景を映し出していた。
上空から撮影された見慣れないその夜景は、資料で見たことのある前世紀あるいは前々世紀のものと思い当たったが、それは過去に撮影されたものではなかった。上空からズームアップした画面は地上の道路標識や人物の表情までも鮮明にとらえていた。道端に捨てられた空き缶の商品名まで読み取れた。映し出されていたのは昔だが、撮影技術は現代のものに違いなかった。
「20世紀の人間が未確認飛行物体、UFOと騒いでいたのは私がタイムマシーンに乗せ、過去に飛ばしたドローンだ。実験はすでに成功しているのだよ」
映像は、博士の話に説得力を付与した。助手が思わず顔を凝視すると、博士は満足そうに頷いた。
「理解してくれたようだね。そこでだ。極秘裏に進めていた研究をなぜ君に打ち明けたのか、分かるかな?この度初めて人間を乗せてタイムスリップすることにしたのだ。その役目を引き受けてくれんかね?」
助手は目を見開いた。
「歴史上初めてタイムスリップした人間。その栄誉を君に授けようといっているのだよ」
助手はどう返事をすればいいのか、表情の作り方さえわからなかった。
「ピンと来ていないようだね。では一つ質問しよう。人類で初めて有人宇宙飛行を成し遂げたのは誰か?」
不意の質問に、言葉が詰まる。
「知らんかね?」
博士の催促に、ようやく口を開いた。
「ユーリ・ガガーリンです」
「その通り。1961年、ソビエト連邦のユーリ・ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行に成功した。20世紀の出来事が、22世紀にまで知れ渡っている。それほどの偉業だったということだが、では2番目は誰か分かるね?」
助手が返答に窮したのは、戸惑いからではなかった。
「知らなくて当然だ。よほどのマニアか専門家でなければ答えられない質問だ。しかし言いたいことは伝わっただろう。人類初、1番にはそれほど価値があるということだ。それに君を指名した。君の名は人類の歴史に刻まれ、永久に語り継がれるのだよ」
しかし助手の顔色は冴えないままだった。
「何をためらうことがあるのだ?もしかして、何か事故が起きて帰ってこられなくなることを危惧しているのかね?」
助手の表情を察して博士は続けた。
「図星のようだ。だが心配することはない。万が一事故が起きた場合は、その数分前にタイムスリップして止めればいいのだ。言っている意味は分かるね。こういう使い方も可能。それがタイムマシーンの素晴らしさだ」
「ですがそれでしたら博士ご自身で・・・」
「できればそうしたいところだ。私だってできることなら人類史に名を刻みたい。しかし私はここで操縦しなければならないし、行方を見守らなけなければならない。私一人で開発した装置だから私しか操縦できないのだ。
ユーリ・ガガーリンの後ろにも宇宙船開発に携わった多くの人間がいた。搭乗者の名前だけが語り継がれるのは惜しくはあるが、手柄を独り占めしようと欲をかいても失敗を招くだけ。自分の役目を全うすることこそが成功をもたらすのだ。
私が全力でバックアップするが、拒否するなら他を当たろう。どうかな、やってみるかね?それとも千載一遇の機会をみすみす他人に明け渡すかね?」
一呼吸置いて口を開いた。
「やります。やらせてください」
「ではさっそく乗りたまえ」
「いまですか?」
助手が目を丸くして訊いた。
「言った通り、万が一の場合は時間を戻せばいい。宇宙に行くのではないから特殊な訓練や装備は必要ない。むしろ街に解け込む君のその格好がぴったりだ」
白のボタンシャツにベージュのコットンパンツ、グレーのスニーカーを履いていた。
「滞在時間は10分。それで足りなければまた改めて行けばよい。そして同じくちょうど10分後に君はここへ戻ってくる。1秒後に戻ることも可能だが、それぐらいの余裕があってもいいだろう」
「いつの時代へ行くのですか?」
「できることなら恐竜や古代文明を見て来てもらいたいところだが、まだそこまでの移動は無理だ。手始めにちょうど100年前、21世紀へ行ってもらう。世界大戦も米ソ冷戦も終決し、治安も落ち着いた時代だ。見慣れぬ人間がいたところで襲われる危険はない」
撮影用の最新の小型カメラを手渡した。
「少々窮屈だが辛抱してくれ」
助手は半信半疑ではありながら、タイムマシーンに乗り込み、ひざを折って身体を丸めた。
「100年前にタイムスリップし、10分後に現代に戻ってくよう入力した。では10分後に会おう」
博士は上部のパネルを操作し、ハッチを閉じた。スイッチを押すとタイムマシーンは眩い光を放って消え去った。
「ここまでは問題ない」博士は腕時計で時間を確認した。
それから10分経ち20分経ち、1時間が経過したがタイムマシーンが出現することはなかった。
「やはり現代の科学と私の能力では、どことも知れぬ異空間に移動させるのが限界のようだ」
博士は部屋の様子を撮影していたカメラを切った。モニターで確認すると、先に助手に見せた加工映像が、続けてタイムマシーンが消え去る映像が映し出された。
「10年の研究で導き出された結論は、現代の技術ではタイムマシーンの開発は不可能ということだ。例えば今から半年前へタイムスリップしたらどうなるだろう。地球は太陽の周りを公転しているのだから、半年前の同じ場所に移動すれば、そこには宇宙空間が広がっているだけだ。タイムトラベルの実現には、時間のみならず空間まで飛び越えなければならない。それだけでも想像を絶する技術を必要とする。
ではちょうど1年前に移動したらどうなるか。この場合でも宇宙空間における正確な位置へ移動する必要がある。わずかにズレただけで、地球内部のマントルや核に出現してしまう。
時間だけでも困難な極める上に、空間まで飛び越える。開発までには絶望的なほどの時間を必要とする。それまで地球の寿命は残っているだろうか。
タイムマシーンの発明より、地球滅亡が先だろう」
令和4年1月15日。
タイムマシーン1号 すでおに @sudeoni
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