第二十話 竜を穿つ兵器

 デカい。バリスタを間近で見た僕が、最初に思い浮かべた感想はそれだった。


 全長は十メートルもあるだろうか? 弦の長さだけで三メートルくらいはありそうな気がする。弓の部分は何重にも皮が巻かれ、矢弾を込める台座の幅も大人一人分が収まるくらいには太い。


 僕は圧倒される迫力を感じずにはいられなかったが、同時に違和感も覚えた。


 「マルヴァスさん。城門前で見たバリスタって、あそこまで大きかったでしたっけ?」


 「ありゃ特別製だ。大戦が集結した後、コンラッドが造らせた秘蔵の一基だろう。俺も初めて見た」


 「左様。私もお前と同様、ヒメル山で竜の脅威を目の当たりにした人間。いつかはこの日が来るかも知れぬと考え、あれこれと研究を重ねた末に完成した代物だ。付けた名は、《竜墜》」


 「《竜墜》……」


 竜を堕とす武器、か……。

 イーグルアイズ卿が見守る先で、兵士達が《竜墜》の操作を行っている。

 台座の左側には回転式のレバーが設置されており、兵士のひとりがそれを回すと少しずつ弦が手前に引っ張られてゆく。


 「連射は、出来無さそうですね……」


 「竜の全身は、鋼をも上回る硬い鱗に覆われておる。それを貫くために威力を極限まで高めた。故に最初の一矢に全てを賭ける」


 弦の用意を進めている先で、巨大な矢が三人がかりで運ばれてきた。鏃から幹まで全てが鉄で出来ているのか、とてつもなく重そうだ。


 「急げ! 竜がいつ襲ってくるか分からんぞ! それまでに矢を放てる状態に仕上げろ!!」


 守備隊長が横から兵士達を叱咤する。焦りと緊張で顔を引きつらせた兵士達が「はいっ!!」と上ずった返事を返す。


 程なくカチリという音が響いて弦の固定が完了した。一息入れる間もなく、続けて大矢が装填される。


 そして台座の右側に取り付けられている出っ張り型のレバーを、ひとりの兵士が握り込んだ。恐らくあれが発射用のトリガーだろう。手前に引くことで装填された大矢を射出する仕組みなんだ。


 「準備は完了しました、イーグルアイズ卿。次にあの竜が見えたら……」


 「逸るな、守備隊長。決してこちらから仕掛けてはならん。《竜墜》は、使わずに済めばそれで良いと考えて造らせた兵器だ」


 「ですが閣下、あの竜がいつまでも街の観光を楽しんでいるとは限りませんぞ。邪気を起こして、その醜悪な牙を剥き出しにする前に撃ち落としてしまうべきかと存じます。奴がどだい強かろうと、《竜墜》の前では無力です」


 「確かに、計算出来る限りの威力を備えてはいる。だが本当にこれで竜の鱗を射抜けるかは未知数だ。奴を怒らせるだけの結果となる恐れは拭い去れん。最悪の事態を自ら招いてはならん。奴が街見物を堪能しただけで去ってゆくなら、それに越したことはあるまい」


 イーグルアイズ卿はあくまでも専守防衛の構えを崩さなかった。


 「……ねぇ、マルヴァスさん」


 僕はふと思いついた事があった。


 「あの短剣、《ウィリィロン》だったらどうです? あれを大矢の先に括り付ければ……」


 『斬りたい』と念じた対象だけを斬る魔剣。グリム・ハウンドの前脚も、ローリスの大剣も、紙のように斬り裂いたあれなら、竜の鱗だって……。

 しかし、マルヴァスさんは静かに首を振った。


 「お前の考えは分かる。分かるが、そりゃダメだ。こいつは所有者の『意志』を受けて魔力を発揮する《包呪剣》。所有者の手を離れた時点で何も斬れない“なまくら”へと早変わりさ」


 「そう、ですか……」


 「こいつを握り締めたまま、竜の懐に飛び込んで斬りかかればいけるかも知れんがな」


 「…………」


 流石に、それは色々な意味で不可能に近いだろう。良い考えだと思ったんだけどな。

 僕が自分の案を引っ込めるのと同時に、向こうから兵士のひとりが小走りに駆けてきて、イーグルアイズ卿と守備隊長の前で一礼した。


 「申し上げます! 東の居住区を警備していた兵からの報告です! 住民の一部が、竜との戦闘への参加を希望しているとの事!」


 「ならぬ」


 言下にイーグルアイズ卿は却下した。


 「先の戦と今日の事態では状況の質が違う。我が指示に従い、各々自己と家族を護る事のみに専念せよ。……以上だ」


 報告にやって来た兵士はそれを聴くと再び一礼し、足早に立ち去る。その後姿を見守りながら守備隊長が遣る瀬無さそうにため息を吐いた。


 「マグ・トレド攻防戦が忘れられぬのか。本来戦うのは民の役目では無いと言うに」


 そして、おもむろに僕とマルヴァスさんを振り返る。


 「貴殿らも、ですぞ。クライン殿、貴殿にもそこの少年にも、この街のために戦う義務はござらん。それは我々の役目。守備隊が果たすべき責務です。イーグルアイズ卿のご希望がどうであれ、守備隊を束ねる者として申し上げる。お二人共、早くこの場を立ち去られよ」


 「相変わらず頑固だな、あんた」


 マルヴァスさんの顔に苦笑いが浮かぶ。


 「まぁ俺も、あんたらに縁もゆかりも無かったらナオルを連れてとっとと退散、と行きたいところだがね。生憎そうもいかねぇんだよ。こいつは一種の義理さ。あんたらを見捨てて去ったら寝覚めが悪い」


 「マルヴァスさん……」


 だが、とマルヴァスさんが僕の肩に手を置いた。


 「ナオルを離脱させるのには賛成だ。コンラッド、確かにこいつは“渡り人”だ。それは間違いない。貴族連中の間で密かに語り継がれてる伝承が真実なら、こいつには計り知れない『力』が眠っている」


 「え……!?」


 貴族の間で語り継がれる伝説……!?


 「だけどな、実のところ隊長が言った事も一理あるんだ。今のこいつはただの小僧。『力』があっても満足に使いこなせない、自分で気付いてすらいない、謂わば生まれたてのひよっ子さ。それなのに竜を相手にしろってのは、ちと荷が重すぎるぜ」


 「うむ…………」


 マルヴァスさんの説諭に、イーグルアイズ卿が腕を組んで唸る。


 「“原石”を磨く前に、むざむざ砕く事も無いだろう? だからナオルは安全な場所に隠すべきだと思うぜ。俺達の『大望』のためにな」


 「………………」


 マルヴァスさん…………。


 親切心だけで助けてくれたのではない、とは思っていた。


 僕に何らかの見返りを期待する。それは別に責める事じゃない、むしろ当然の要求だ。僕だって、受けた恩はいつか返したいと思っている。


 だけど、このイーグルアイズ卿とのやり取りは……。僕に一体『何を』求めてるんだ? 『大望』って何なんだ!?


 “渡り人”は、類まれな魔法の能力を持つ者達。この世に蔓延る悪を打ち払う救世主。そして、民間ではおとぎ話として伝わり、貴族間では実在を信じられる存在……?


 「…………」


 悪い想像が、心の中でぐんぐん膨らむ。杞憂だ、と自分に言い聞かせても消えない。


 彼は、グリム・ハウンドから僕を助けてくれた。魔法の短剣を貸してくれた。不意打ちしてきたローリスを牽制してくれた。

 直接的、間接的に、彼には何度も命を救われた。一朝一夕では返せない、大恩がある。


 だけど…………。

 それもこれも、全て僕を『駒』として良いように利用するためだとしたら…………?


 「…………」


 竜を恐れる気持ちとは違う、別の恐怖がじわじわと心の中に広がってくる。自分が、巨大な大河の流れの中に放り込まれて、沈んでいくような感覚。


 僕は、マルヴァスさんが怖くなってきた。肩に置かれた手が、どうしようもなく重く、心地悪いものに思えてくる。恩知らずと言われようとも、それが偽らざる本心。


 また例のペンダントを強く握り締める。

 兄さん……。僕は、どうすれば……!?


 「コバ…………」


 自分の呟きで我に返る。

 そうだ、コバだ。サーシャとの約束。ジェイデン司祭の教会まで、コバを迎えに行かなくては。


 ただ行動する理由が欲しかっただけかも知れない。この場を逃れる口実が欲しかっただけかも知れない。それでも僕が、それに縋ろうと口を開きかけた時だ。





 

 「お待ちくだされ! お待ちくだされぇぇぇ〜〜〜!!!」





 今正に、自分が会いたいと思っていた人物。その内のひとりが、押し留めようとする兵士達と争いながらやって来たのだった。

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竜の階 ムルコラカ @heibon-na-sakusya

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