配送希望

M.S.

配送希望

 この冬、荷物を配達する仕事を始めた。

 配送会社の営業所に集められた荷物を軽バンに積み込んで、周辺の地区に配る。

 そういう仕事。


 朝の五時に家を出て、リース車両の軽バンに乗り、国道を西へ向かう。

 車社会の田舎だから、主要な道路は何処も混んでいる。

 その日も、いつも通り渋滞していた。

 工場のラインに乗せられた部品の流れみたいに、見えなくもないな。

 市と市を隔てる川の上を跨ぐ橋の上で、資本主義社会を回す歯車が、量産されている。


 動き出した車の流れは、皆んな西へ向かって行く。

 その流れを、僕は、皆んなより少し早めに外れて左折する。

 まだ田圃が目立つ風景の中、顔を出し始めた太陽に当て付けのような挨拶をされて、少し気が滅入る。

 田圃の中に、無機質で無骨な四角い建物が見えて来た。

 その会社の敷地の中に、僕が乗ってるような軽バン、中型トラック、大型トラックが続々吸い込まれて行く。


 その営業所の倉庫に、軽バンを後ろ向きに付けて、バックドアを開ける。

 僕に割り当てられた区画の配達物は、今日も多かった。

 大きな籠台車に積み上げられた、梱包された荷物達は、その籠台車のパネルからはみ出ようとするばかりだ。

 その荷物の数は、優に百を超えるだろう。

 大量の数の荷物を、更に細かに、宛先毎に分けないといけない。

 億劫ではあったが、手が付く所から、順に荷物を整理していった。


 僕の担当する地区は三つに分けられる。

 まだ慣れないだろうから、という計らいで、三つだけの地区のみ担当させてもらっている。

 一つは『現し世うつしよ』。

 一つは『隠り世かくりよ』。

 一つは『まにま』。

 その三つの宛先毎に、伝票を見ながら荷物を分けていく。

 いつも、『現し世』、『隠り世』、『随』という順番で地区を回っているので、取りやすくするように荷物達を、荷台の奥から順に、『随』への荷物、『隠り世』への荷物、『現し世』への荷物という配置で積み込んでいく。


 積み込んだ荷物達の数は、百四十八個に及んだ。

 過去最多数かもしれないな。

 その中で一つだけ、不思議な時間指定の荷物があった。

 伝票に示された時間指定は『二十三時〜二十四時』

 『随』宛ての荷物だ。

 その荷物はクリスマス仕様の瀟洒なラッピングが施され、僕の汚い手で触るのが憚られる程の、綺麗な荷物だった。

 その荷物を見ていると、ささくれた心臓を撫でられたように、なんだか、胸が温かくなってくる。

 きっと、優しい人が、自分の想い人に、想いを込めて贈るんだろう。

 僕は、その荷物だけは後ろの荷台に置かずに、助手席に置く事にした。

 きっとこれは、唯の荷物じゃない。

 それに、もし、後ろの荷台で、他の荷物とぶつかってこの綺麗な梱包が破けたりしたら話にならない。

 僕はそっと、その荷物を助手席に置いて、営業所を出た。


 先ずは『現し世』地区からだ。

 『現し世』に向かう為の、国道に並行しているバイパスに乗る。

 やっぱりまだこの時間、渋滞で車が混んでいる。

 少し、勾配がある所為で、少し進んではブレーキを踏む度に、軽バンは百四十八個の荷物の重さに悲鳴を上げる。

 この仕事を続けるなら、その内、中型免許を取った方が良いかもな。


 この地区は取り立てて、これ、と言う特徴は無い。

 寂れた、侘しい住宅街の中を縫って、伝票に書いてある番地を睨みながら配達して行く。

「すみません、お届け物です」

 僕はインターホンを押して、住人を呼び出す。

 少しして、住人が応答する。

「……はい?」

「お荷物を、お届けに来ました」

「……ああ、玄関に置いといて下さい」

「……分かりました」

 言い忘れていたが、そう言えば、今『現し世』では、強力な感染症が流行っていて、人と人との接触を極力、避ける傾向にある。

 その所為もあって、住人達は玄関先まで出て来てくれる事はあまり無い。

 僕は、その住人宛ての荷物を、インターホンの下辺りに置く。

 冬の寒風に吹き曝しになったその荷物は、何処か寂しげに見える。

 それでも、後ろ髪を引かれるような思いをしながら、僕は軽バンに戻る。

 今日は沢山、荷物があるから、急いで配達しないと。


「すみません、お届け物です」

 その家は、再三の再配達で伺っていたものの、一度も住人と会えた事が無い。

「……すみません」

 僕は、もう一度、インターホンを押す。

 暫く待つも、インターホンから住人が応答しそうな雰囲気は無い。

「はぁ」

 僕は諦めて、踵を返す。

 あんまりこういう家が多いと、荷台の荷物が捌けずに嵩張るから、困る。

 何回も再配達に向かった上で、住人に受け取ってもらえないと、その荷物は営業所保管になる。

 そこから更に一定期間が過ぎると、営業所に駐在している正社員が、その荷物を、『とある場所』に捨てに行くらしい。


 『現し世』地区の荷物を粗方運び終えて、遅めの昼食にする事にした。

 軽バンをコンビニに停めて、荷台を軽く整理した後、コンビニで昼飯を物色する。

 悩みに悩んだ挙句、自分の現在の経済状況と相談して、おにぎり一つとペットボトルのお茶を買い、レジに向かう。

「お疲れ様です」

 すると、店員は僕に、そう声を掛ける。

 ここのコンビニは、よく利用するので、店員とは顔見知りなのだ。

「ああ、どうも」

「今日、荷物どうですか?」

「とても、多いです」

「まぁ、大変ですね……、でも、きっと荷物を待ってる人が居るでしょうから」

「そう、ですね」

 僕は、助手席に置いた荷物を思い出した。

 幾らか店員と世間話をした後。

「また、夜来ます」

 そう言い残して、コンビニを出た。

 軽バンのエンジンを掛けて、コンビニの駐車場を出る。


 今度は南に向かい、海を目指す。

 Bluetoothスピーカーで、かけていた音楽のプレイリストが一周する頃、漸く海が見えてきた。

 舗装された道路を抜けて、海岸の砂浜に、軽バンを乗り入れる。

 干潮になるのを待たないといけない為、僕は軽バンの窓を開けて運転席を倒し、目を瞑って漣の音を聴きながら、只管干潮を待った。


 一時間程経っただろうか?

 漣の音が、少し遠ざかったように感じて、目を開けた。

 体を起こして、フロントガラスの内側から海を見ると、この海岸から向こうの地平線まで、砂の道が出来上がっていた。宛ら、モーゼが海を割ったように、通り道が出来た訳だ。

「よし」

 それを見て取った僕は、軽バンのエンジンを掛け、海の上に出来た道を、走って行く。

 暫く軽バンを走らせると、霧にその身を隠す大きな島が見えて来た。

 ここが、二つ目の地区『隠り世』だ。

 満潮になる前に、この島を回って、早く戻らなければいけない。


「すみません!」

 僕は、島の中央の少し小高い所にある、大きい日本家屋の前で、呼び掛ける。

 この島の家は、何処もインターホンなんて無いものだから、大きい声で呼び掛けるしかない。

 返事は、無い。

「……すみません!」

 だが、人の気配は感じる。

 無礼を承知で、家屋に上がり込む。

 だだっ広い日本家屋の中を、住人の気配がする方に向かって行く。

 ある一つの広間を覗くと、老婆が茶を啜っていた。

「すみません……」

 僕は出来るだけ老婆を、驚かさないように努めようと、声を抑えて言った。

 すると、老婆は気付いたらしく。

「まぁ! まぁ! 態々わざわざごめんなさい」

「お届けものです」

「ごめんなさいねぇ。遠いとこから来て下さったのに、気付きもしないで。私、もう耳が遠いものだから……」

「いえ……」

「ああ、サインしないといけないわね。ちょっと待って下さいね、…お茶と羊羹を出すから、ゆっくりしていって」

「あ、あの」

 僕は、すっかり老婆のペースに呑まれて、帰るタイミングを失ってしまった。

 きっと、ここでの暮らしが寂しいものだから、話し相手が欲しいのだろう。

 そこまで汲み取ると、余計、帰り辛くなってしまった。

「にしても、お客さんなんて久しぶりねぇ。人と話したのすら、もう八十年振りよ」

「と、言うと?」

「ほら、八十年くらい前に、空襲があったでしょ? 私、それで死んじゃったのよ。……今も生きてたら、百五十歳くらいになるかしら……、まぁやだ、この頃、自分の歳も正確に分からなくてね……」

「疎開は、されなかったのですか?」

「だって、そこが先祖代々の土地だったんだもの。いくら米軍の焼夷弾が降って来るからと言って、生まれ育った場所を、離れられないわよ」

「その土地が、好きだったのですね」

「ええ、ええ。本当にそう。B29なんか、怖く無いくらいにね……。それで、家の近くに焼夷弾が落ちた時は、一緒に住んでいた孫を庇ったは良いんだけど、本当に爆風から庇い切れたか、心残りでねぇ。……でも、孫がこの島に来てないって事は、ちゃんと庇えたのかねぇ……」

「そうだと、良いですね……」

「……ああ、ごめんなさいね。私の話ばっかり。…荷物を受け取るわ。下さいな」

「ええ」

 僕は、漸く、持って来ていた包みを、老婆に手渡した。

 代わりに、サインしてくれた伝票を、老婆から受け取る。

 老婆は、包みの包装を開けると。

 その中身を見て震え出した。

「ああ……、ああ……!」

「どう、されました?」

 僕は、老婆が開いた包みを覗き込んだ。

 その中には、献花と一通の手紙が入っていた。

「これ……! 孫からよ! ああ、ああ、嬉しい……。神様……。」

 老婆は、献花を握り締め、それを額に押し当てるようにして、号泣した。

「良かったですね……。お手紙も、あるようですよ」

「読んで、いただける? 私、目があまり、見えないものだから…」

 老眼か、涙の所為か、将又過去に焼夷弾の爆風を目に受けた所為かは分からなかったが。

 僕は、その手紙を、老婆に読み聞かせない訳にはいかなかった。

「読みますね……」


『おばぁちゃんへ

 あの時、私をアメリカの爆弾から守ってくれてありがとう。

 私、あれから、生き延びて。

 二十で意中の人に嫁いで。

 三十までに三人、子供を生んだのよ。

 もう三人とも、それは元気に育って。

 一人は大工になって。

 一人は商社勤め。

 一人は幼馴染の人に嫁いだわ。

 皆んな立派にやってる。

 おばぁちゃんにも見せてあげたかったわ。

 でも、毎年毎年、ちゃんとおばぁちゃんが眠るあの家に戻って来てるのよ?

 気付いてたかしら?

 気付いてくれてたらいいな。

 おばぁちゃん。

 本当に、本当に、ありがとうね。

 おばぁちゃんが庇ってくれなかったら、こんな風に、幸せな人生を歩けなかったから。

 今、私も、子供達の孫を預かっているの。

 もし、焼夷弾が降って来ようが、おばぁちゃんがやってくれたみたいに、私もこの子達を守るから。

 見てて、おばぁちゃん』


 読み終わり、ふと横を見ると。

 老婆の姿は無くなっていて、代わりに何か、光の残滓が縁側を吹き抜けて、何処かへ飛んで行ったのを見た。

 きっと然るべき場所に、還ったんだと思う。


 少し、のんびりしてしまったので、急いで、島の入り口に戻った。

 幸い、まだ海上の砂道は、埋もれてはいない。

 僕は、遣る瀬無い寂寥感に暮れながら、時速九十キロで海割れの道に軽バンを走らせる。

 ここなら、警察に切符を切られる心配も無い。

 心残りを振り切るように、アクセルを踏む。

 始めの海岸に着き、バックミラーを見てみると、丁度、満潮になって、来た道が海に、呑み込まれる所だった。

 僕は、軽バンを降りて海に向き、手を合わせてから、その場を後にした。


 時刻はもう、夕飯時になっていた。

 それでも、まだ仕事は終わらない。

 まだ、『随』地区での配達が残っている。

 僕は、その前に、軽く腹拵えをしようと、昼間来たコンビニに軽バンを停めた。

 おにぎり一つと、ペットボトルのお茶を持って、レジに向かう。

「毎度、お疲れ様」

 昼間と同じ店員が、対応してくれた。

「ええ、どうも」

「配達の進捗は、どうですか?」

 少しの世間話の後、僕は『隠り世』地区での出来事を店員に話した。

「まぁ、それはそれは……」

「しんみりしてしまいましたよ」

「きっと、その方は感謝していると思いますよ。……そのお孫さんは、今、『現し世』に?」

「いや、それが、伝票にあった差出人の孫の住所は『随』になっているんです」

「まぁ、そうですか……。これから、会えると良いですね」

「ええ」


 僕は駐車場でおにぎりとお茶を流し込み、軽バンを発進させる。

 向かうは『随』地区。

 今度は、北へ、北へ向かった。

 寂れた住宅街を抜け。

 田圃と田圃の間の道を抜け。

 音楽のプレイリストが二周目を終わろうとした頃。

 向こうに山が見えて来た。

 もう周りは真っ暗闇で、その山も、大きなシルエットが見えるばかりだが、その影の中に、一際暗い場所がある。

 そこが、『随』地区に続く山の、入り口だ。

 道無き道を軽バンで、がたごと、と登って行く。

 僕は、車のサンバイザーに挟んである、メモを取り出した。

「右……、左……、左……、右……、左……、右……、右……」

 そのメモには、途中の別れ道を、どちらに進めば良いかが、メモしてある。

 分岐を間違えた僕の前任者は、この山から出て来れなくなって、行方不明になったらしい。

 間違えないように、道を外れないように、山道を進んで行く。


 鬱蒼とした森が開けて、月光が通る空間に出ると、いつの間にか舗装された道路の上を走っている事に気が付いた。

 少し先に、ぽっかり口を開けたようなトンネルが見える。

『■■■■■■』

 本来なら、トンネルの名前を示す筈のプレートには、何か掠れたような痕があって、その文字は読み取る事が出来ない。

 頼り無いトンネル内の灯りを目印に、進んで行く。

 ずっと。

 ずっと。

 ずっと。

 進んで行く。

 このトンネル、終わりが無いのでは?

 そんな心配が頭を過ぎる頃。

 やっと出口が見えて来た。


 トンネルを抜けると。

────物の怪や、怪異が跋扈する、異形達の夜の街が、そこにはあった。

 その目抜き通りを、軽バンで走っていくと。

 通りに沿って屋台と提灯が、中心地に向かって、ずっと続いて、夜にしては明るい。

 通り沿いには、

 目深帽子の黒い影が、何やら、おどろおどろしい、品を売り。

 それを一本足の案山子が品評し。

 ぶら下げられた提灯は、隣の提灯と、なにやら世間話をしている。

 首の無い子供が走り回り、軽バンの前に飛び出してきた。

「うわっ」

「あっ! ごめんなさぁい!」

「気を付けてくれよ」

 僕はその子供等に注意し、中心地を目指して、先を急ぐ。


 中心地の開けた場所には、祭りでよく見る櫓のようなものがあったが、その櫓には今、誰も立って居ない。

 もう、祭りは終わってしまっただろうか?

 それとも、上位の存在の物の怪は、僕には見えないだけだろうか?

 開けた場所の隅に、軽バンを停め、荷台の整理をしていると、空から大きな人型の烏が飛んで来た。

「おい。困るぞ人間。こんな所に、大きな箱を停めてもらっては」

 おそらく、この市の秩序を守っている烏人だろう。

「ごめんなさい。この街に、配達に来たのです。少しの間、停めさせてくれないでしょうか?」

「……飛脚か……、仕方無い。用事が済んだら、早々に『現し世』に、戻られよ」

「ええ、ありがとうございます」

 何とか駐車の許可をもらって、僕はそこを拠点に配達を行っていく。


「すみません」

 やはり、この街の民家にも、呼び鈴は無い。

 僕は扉をノックして、住民に呼び掛ける。

 きぃ、と鳴って扉が開き、人の形をした、真っ黒な靄が、家の中から出て来た。

「お届け物です」

 僕が荷物を差し出すと、黒い靄は、腕(腕と呼んでいいか、甚だ分からないが)を伸ばし、それを受け取って扉を閉めようとする。

「あっ、伝票にサインをお願いします」

 すると、その黒い靄は首(首と呼んでいいか、甚だ分からないが)を右に傾げた。

「あの、ペンをお貸ししますので…」

 今度は、首を左に傾げた。

 どうしたものか困っていると、いきなり靄が嘔吐えずき始めた。

「おっ……、おっ……」

「……?」

 すると、次の瞬間、その靄は、開口部から、真っ黒な吐瀉物を伝票に向かって吐き出した。

「おええっ」

 それが、僕の手にしている伝票に、びちゃ、びちゃ、と引っ掛かる。

「……あ、ありがとうございます……」


 そんな感じで、なんとか滞り無く配達し、残りはあの、豪奢な包装が施された、助手席に置いた荷物、一つだけとなった。


 時計を見ると二十二時で、まだその荷物の指定時間までは、一時間近くあった。

 軽バンの運転席に体を沈め、休息しようとした所。

 車窓の外が騒がしくなって来た。

 目を向けると、いつの間にか、櫓の上には法被はっぴを着た大きな蛙が居て、祭りの開催の挨拶をするそうだった。

「さぁさぁ、皆さま、今年もこの日がやって参りました。『現し世』からも、『隠り世』からも溢れてしまった私達にも、平等に、朝と夜が来て太陽も昇りますが、夜宵に関しては、私達の領域でございましょう。この夜、醜い私等の百鬼夜行を奏で、『現し世』にも、『隠り世』にも、その畏怖を轟かせようではありませんか」

 そう、蛙が言葉を紡ぐと、集まっていた怪異達は、やれ歌えや、踊れやと騒ぎ始めた。

 僕は、bluetoothのスピーカーから流れるプレイリストを停止して、その喧騒を子守唄に、仮眠を取る事にした。

 

 次に目が覚めた頃には、騒ぎは落ち着いたようで、皆、卓を用意して、そこに腰掛けては談笑したり、それか地面に突っ伏して、寝ている者も居た。

 時計を見ると、二十三時を少し超えた所で、丁度良い時間となっていた。

 最後の配達へ向かいに、助手席の荷物を持ち出して、軽バンを出る。


 目的の番地は、さっきの目抜き通りを少し入って、薄暗い路地裏にあった。

 一応、そこに民家はあったのだが。

「すみません」

 扉を幾らノックしても、民家の中から返事が無かった。

 何回か繰り返し、痺れを切らした所、仕方が無いので、扉の取っ手に手を掛けた。

 扉を開くと。

 屋内ではなく。

 屋外があった。昼間の。

 向こうに、大きな、昔ながらの平屋と、庭が見えている。

「……?」

 可笑しい。

 僕は一回、扉を閉めて、周りを見渡す。

 どう足掻いても、『こっち』の現在はもう夜だ。

 もう一度、民家の扉を開く。

 やはり、景色は変わらない。

 そこは、とある晴れた、平屋と、その庭に通じていた。

 訳が解らない。

 訳が解らないが……、番地は何回確認しても、ここの筈。

 他にどうしようも無いという事もあって、僕はその平屋を訪問する事にした。

「すみません」

 今度は、声を掛けると、すぐに中で、たったっ、と軽い足音が聞こえて来た。

「……どちらさまですか?」

 玄関に顔を出したのは、年端もいかない幼女だった。

「ここは、『K』さんという方のお宅ですか?」

 僕は、伝票の受取人の名前を見て、そう尋ねる。

「あ、それ、わたしです」

 僕はほっとした。

 こんな所まで来て、違ったらどうしようかと思った。

「じゃあ、君にお届け物だよ」

 そう言って、僕は、赤と緑で彩られた、クリスマスをイメージしたのであろう包装の包みを、幼女に手渡した。

「わぁ! ありがとう!」

「どういたしまして」

「そうだ! えんがわで、きゅうけいしていって? おちゃと、おまんじゅうをだします」

 夕方にも、同じような事があったな。

 そう思いながらも、僕はその言葉に甘える事にした。

 もう今日の配達はこれで終了だし、少し疲れていた。

 暫くすると、幼女が、茶と饅頭を盆に乗せて、持って来てくれた。

「ありがとう」

「ううん、たべてください」

 何せ、今日も少しのおにぎりと、茶しか口に入れていない。

 この時間の甘味というのは、本当に格別だった。

「ふぅ、この饅頭美味しいね。ありがとう」

「ううん……、おにいさんも、おとどけもの、ありがとう」

「それが、仕事だからね。……でも、ここは不思議な所だね。来るまでに、少し迷っちゃったよ」

「ここは、いろいろな、みらいと、かこが、まじっているから……」

「……へぇ……、凄い所だね。どうして、ここに住んでいるの……?」

「ここがすきなの。いっしょにすんでるおばぁちゃんも、ここがだいすき。もう、ずーっと、むかしからすんでるんだって」

「ここが好きなんだね」

「うん」

────遠くの空に、何か、光るものが見えた気がした。

「……君のおばあちゃん、羊羹は好きかい?」

「うん、おばぁちゃん、よくおきゃくさんには、おまんじゅうじゃなくて、ようかんをだすの」

「……今って、何年なのかな?」

「えーっと……、せんきゅうひゃくよんじゅうごねん、だよ」

「……不味い……」

 その、空を飛ぶ、光る何かから、黒い粒が落ちて来て。

 轟音がここまで届いて来た。

 歴史は得意では無いが、僕の予想が合っていれば、或いは。

────その年は、首都で大空襲があった年だ。

「逃げないと……! 君、付いて来て! 安全な所に避難しないと!」

「え?」

 戸惑う幼女を嘲笑うように、敵襲を知らせるサイレンが唸り、耳に届いた。

「ほら! 早く!」

「だ、だめ……! おばぁちゃんが、いえにのこってるの……」

 焼夷弾の轟音が、近付いている。

 迷っている暇は無いのだが……。

「K! 鬼畜米軍が来た! 早く家の中に隠れて……!」

 そう、幼女を呼びながら、家の奥から慌てて出て来たのは、夕方に配達に伺った際、羊羹をご馳走してくれたあの老婆だった。

「貴方は……、まぁ、兎に角、そこは危ないですから、入って下さい!」

 僕に気付いたものの、僕を知っているような素振りは無い。

 『あっち』の老婆とは、記憶が違うのだろうか?

 緊急事態に要らない分析をしていると、空が一気に暗くなった。

 幾千のB29が、蒼天を覆い、帷を張り替えたのだ。

 そこから地上に降る、黒い雨。

「危ない!」

 僕が叫ぶと。

 幼女は、僕が届けた荷物を抱き締め。

 老婆は、その幼女を庇うように覆い被さり。


 僕は、その二人を庇おうと、二人に覆い被さった。


────────────


 結果から言うと、僕はその爆撃で死んだんだ。

 まさか、こんな訳の解らない街の一角の、不思議な民家の中で死ぬなんて。

 思いもしなかったよ。

 僕は、『随』地区の配達業務中に、行方不明という事になった。

 きっと、僕の前任者も似たような事に巻き込まれて、『随』地区で行方不明になったに違い無い。


────────────


 そして、後日談。

 予想通り、次に目が覚めたら、あの霧深い大きな島の、砂浜で倒れていたんだ。

 これで、晴れて僕も、『隠り世』地区の住人という訳だ。

 僕は、あの老婆が居た、日本家屋に行ってみる事にした。

 入ると、やっぱり、老婆はあの日、僕の前で消えた訳だから、もうその家屋に住人は居なかった。

 僕は、その日本家屋に住んで暮らす事にした。


 『隠り世』での暮らしに慣れて、何年か経った頃、僕の元に一通の手紙が届いた。

 差出人は、『随』で出会った、あの幼女からだった。


『あの日の配達員さんへ

 あの時、私をアメリカの爆弾から守ってくれてありがとう。

 私、あれから、生き延びて。

 二十で意中の人に嫁いで。

 三十までに三人、子供を生んだのよ。

 もう三人とも、それは元気に育って。

 一人は大工になって。

 一人は商社勤め。

 一人は幼馴染の人に嫁いだわ。

 皆んな立派にやってる。

 おばぁちゃんにも、曾孫の顔を見せる事が出来た。

 そして、毎年毎年、おばぁちゃんが亡くなってからも、私と、三人の曾孫と揃って、おばぁちゃんが眠るあの家に戻っています。

 気付いてたかしら?

 気付いてくれてたらいいな。

 配達員さん。

 本当に、本当に、ありがとうね。

 貴方が庇ってくれなかったら、こんな風に、おばぁちゃんに、曾孫の顔を見せて、喜んでもらえなかったから。

 今、私も、子供達の孫を預かっているの。

 もし、焼夷弾が降って来ようが、おばぁちゃんと貴方がやってくれたみたいに、私もこの子達を守るから。

 見てて、配達員さん』


 そう言えば、僕があの子に届けた荷物の中身は、何だったんだろう?

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