京洛奇譚

真砂 郭

黒い階段

 その家の二階には何がいるのか?


 誰もその二階へ上がって確かめた者はいない、

 だが、試そうとした者はいた。


 かつてではある、そうにはいたのだ。



 その家には二階へ通じる階段がある。

 その階段はさほど広くはないが、屋敷の天井は高く、板張りの廊下の突き当りにある。


 そこへと続く廊下は腐りかけ、黒ずむ床板は踏み出すごとに軋み、その足裏の感触は妙に柔らかく履いている草履越しでもフカフカとした踏み心地がした。ツンとかび臭い臭いが鼻をつく。嫌な臭いだ、男はムカつく思いに唾を吐く。


 床板は所々ぬめりを帯びていて、朽ちて板がそっくり抜け落ちてしまったところも珍しくない。男の目には抜け落ちた隙間から何かがのぞきあげているような気さえする。実際ネズミくらいはいたかもしれないが…。


「なんだ、気色の悪い」

 そして、腐ってやがると悪態をついた。男はとっくに分かってはいてもそれを口に出さずにはおれない。そして気をつけろ、足を踏み抜くなよと背後の男たちに声をかける。


 男は忌々しげにそうつぶやくと、ギュッと手にした刀のつかを一層力を込めて握りしめる。無力な自分に男は常に腹を立てて、時には癇癪かんしゃくから意味のない虚勢を張ることもあった。


 だが、それはイラついていたせいで、男が”恐れ”を感じていたわけではない。

 怒りをぶつける程のことではないし、男がそういう荒ぶる気性の持ち主あったせいでもあった。


 男は刀を手にしてはいたがサムライなどという上等な代物ではない。持っていた刀もなまくらに近い粗末なもので、刃物としては斬るというより突くことが多かったし、実際は振り回す鋼の延べ板で相手を打ちのめし、殴り倒すこん棒も同然といった方が適切な表現だろう。


 気張って目を剥く男はせいぜい夜盗の端くれといった面持ちで周囲に油断なく睨みを利かせる、それはまさに悪党づらの夜盗の面持ち。


 まだ若かったころにはそれなりに羽振りもよかったのだが、最近は不景気をこぼす小柄な体躯の、最近はどこの辻にもいるケチな荒くれ者の一人にすぎない。


 男のほかには二人の連れがいたが、彼らは男の少し後をついて歩いた。この事からも先頭の男と後ろの二人の関係が見て取れる。出し抜かれないように用心しながらも、危ないところにはまず男を先に立てる。男もことは薄々は分かっていたが、あえて気にしないことにしている。それは、たとえ気にしていてもこの二人の態度は変わらないからと男はその分割り切っていたからだ。


 後に続く二人は同い年ぐらいの似通った背格好で、目の前の男よりは少し高いが、瘦せこけた風采の上がらなさで言えば、三人ともさして変わりがない。要は三人はそろって粗末な着物を着た、つまらない風貌の薄汚れた、いわば”ごろつき”の集まりだった。


 彼らは仲間と呼べるほど互いを信じていたわけではなかったが、こうして群れていた方がなにかと便利だし、そのほうが分け前にあずかれる機会も多いと踏んでいた。とはいえ狡賢いというだけの器量もなく、近頃は使い捨ての雑兵としてあちこちの武家の屋敷に足しげく出入りしていた。


 昨今の安上がりで手っ取り早い金儲けといえばそういうことになっている。そこでは奪うか奪われるかの二択しかない。そして奪われればそれは多くの場合”死”を意味していた。


 いくさは人の心を荒廃させる。都では際限のない衝突が繰り返されて、殺し合いは何処にでも偏在し、誰もが今日明日にでもになりうる物騒な毎日を送っていた。


 三人が入り込んだ廃屋同然の屋敷には二階屋があったことからも昔は裕福だったのだろう。町家であったので庭は小さかったが奥行きは深い。結構広い敷地であったことは確かだったが、人気のない荒れ放題の屋内は、痛んだ壁板の隙間から日が差し込むほかは薄暗く、目を凝らさないと奥まった座敷などは暗くてよく見えない。


 やがて三人は突き当りの階段の根本へたどり着く。それはヒトがやっと二人肩を並べ上がれるほどのさして幅広くはない階段だった。彼らの周囲は壁と柱に囲まれているが階段の根本は少しだけ場所に余裕がある。


「何だこりゃ、こいつは一体…」

「訳が分からん、どうなってる?」

「おい、よそうぜ。やっぱりこいつはやばすぎるぜ」


 誰がどう見たってそうだった。時に異様な光景はさりげなく目の前にある。磨き上げた漆器のような艶を帯びた漆黒の階段が二階へと続くそれは、立ち尽くす三人へ無言の重圧を感じさせていた。それは思わず息をのむ光景だった。


 明らかにそこだけが違っている。余人には立ち寄ることさえ憚られるその黒い階段はどこか別の世界へと通じているようだった。


 男たちが見上げる黒い階段の最上部からはぼんやりと光が差し込んでいる。が、しかしそれは陽光の類ではないだろう。淡く灯篭の灯のようにかすかに揺らめいている。


 それは黄昏の世界。あたかも黄泉の国に通じているかのような不気味な怪しさを感じさせていて、階下にいる男たちは言葉を失い立ちすくんでいる。


「やっぱり俺たちはどうかしている、ここはヒトがいちゃいけねぇ場所なんだ!」


 唐突に叫ぶ後ろにいた男の一人は震える声で吐き出すように言うと、きびすを返しその場から逃げ出そうとする。冗談じゃねぇ俺はまだまだ生きていたいんだ。


 死にたくはないと言うあいつの言い分はもっともだと隣にいるもう一人は思ったが、それでも口から発する言葉は内心とは違っていた。


「待てよ!逃げるんじゃねぇ!」


 突き刺すような語句で、その男は逃げようとする男の肩をつかみ、抗う相手の手首を握って引き留める。ここまで来て逃げられてたまるか!


「今更泣き言をいうな!こんなことは最初から分かっていただろう。聞いていた噂どおりのまんまじゃねぇか、今更ガタガタするんじゃねぇ」

「だからだよ!だからホントだから怖いんじゃねえか、これを見てお前はそう思わないのかよ、ええ?」


 先頭に立っていた男が振り返って言う。


「だから、ここに来たんじゃねえのかよ?お前はそうじゃなかったのか?」


 男はドスの利いた低い声で逃げようとする男を睨みつける。否応など言わせないをいう気迫を込めて言う男も声が上ずりそうになるのを気取られないように歯を食いしばっていた。


 ここが正念場だ、ここでビビったらあとは一目散、止めようがない。勿論俺もだ。正直自分も、ここにいる誰もがそうだろうが怖い、恐ろしい。この場からすぐにでも逃げ出したいという欲求にかられそうになる。正直それが正解だろうとさえ思う。


 だが、と男は思う。俺には欲がある、俺はこの荒れ果てた世の中で世間の連中を出し抜きたい。一人だけでもイイ思いをし、金を稼ぎ、女を抱き酒を喰らい、いつか手柄を立てて、ひとかどの男になって見せる。いつか絶対なってやる。


 いや今だ。ここをきっかけにして出世の糸口を見つけ出し、そして周りの連中を見返してやるんだ。そう思えばここは千歳一隅の好機、いやそうだ。そうしなくちゃならねえ。そうでなけりゃ俺は一生浮かばれねえ、そう男は思いきる。


 あの階段を上がった部屋に何があるのかは知らない。俺も聞かなかったし誰も答えない。だからだ、あそこにはきっと”お宝”がある。何かは分からないがきっとそうだ。だからこそ噂にも上るし、評判にも立つ。俺はその機会を逃さない、命を張る覚悟はある。男はあえて奮い立つ。そんな男の背中を冷ややかに後ろの男は見つめている。


 ああ、せいぜい頑張ってくれ。そして期待してるぜ、あんたが何を得ようとしているのは知らないが、きっと大層なもんなんだろうな。俺もそのおこぼれに与りたい。いや、いざとなったら俺一人ででも持ち出して逃げてやる、そのお宝を。


 そのための旦那、そしてとちらりと傍らで震え上がっている男に目をやる。お前だって身代わりの盾ぐらいにはなるだろう。どうせその程度の野郎だ、死んでも惜しくはない。俺以外はだれでもそうだ、どいつもこいつもそんな野郎ばかり。


 だから、と男は思う。みんな死ねばいい、そうすれば俺にだって…男はそうして今日まで生き延びた、これからもそうしていくつもりだった。ズルいだって?何が悪い。それがな生き方というものさ、男はうそぶく。誰に言ったつもりもなかったが先頭の男の耳には入ったようだ。


「そうともよ、濡れ手に粟の一攫千金。今の世、まっとうなやり方じゃどうにもならねえ。ズルしてもインチキでもやったもん勝ちというものよ。俺たちにゃこうして運がある、そうは思わねえか」


「思わねえよ…」


 逃げ出そうとする男が震えがちな声で即答する。何言ってやがる。もし運なんてものがあるなら今日はさしずめ”運の尽き”というもんだろう。だがそれでも俺は…俺は…。


 それでも生きて生きて、生き延びてやる。そのためにあんたたちについてきたんだ。

 男にも意地はある。前にいる男とは違った意味でだが…。男はいつも誰かの後をついて生きてきた。何をするもしたいとも思わなかったが、弱者に徹しきって欲をかかない。実際、甲斐性がなければそうするしかなかったし、もうそれを恥じる事もない。見栄すらとっくに捨てた。女房もそれで捨てた、いや捨てられたのかもしれないが。


 男たちは三人三様の思惑で階下にいる、それは愚かな男たち。


 そして男たちは決心した、階段を上がるのだ。そこに何が待っていようとも、何かがいる、そして有るなら俺のモノ。男たちは刀を抜いて身構える、ゆっくりとその黒い階段を上るのだ。


 先頭の男は知らずのうちに口元にかすかな薄笑いを浮かべている。男の人生はその表情にこそ要約されていた。酷薄な笑みはその瞬間凍り付く。階上から声がする、何という事だ、男の足が止まる。後ろの二人もそうだろう、見なくてもわかる。


「そこにいるのは誰ですか?」


 それは女の声だ、まだ若いのだろうか。艶めいていて生々しい”生きて”いる女の声がする。少し戸惑うような気配がその声から感じられて、それが男たちには拍子抜けするほど空気を変える。何なんだ、こいつは一体。こんなことだったのか、俺たちを待っていたのはこういう事か。男たちに日常が帰ってくる。相変わらず緊張はあったが恐怖は薄れてゆき、そこに好奇心が頭をもたげる。


「俺は…俺たちは通りすがりに立ち寄ったものだ、ここに誰かが住んでいるとは思わなかった」


 男は無礼を詫び、女の反応を待つ。少し間をおいて女の返答が帰ってきた。


「それは、このようなところに。よくぞお越しを」


 柔らかな落ち着いた声音で階下の男たちの来訪をねぎらう。先頭の男は少しいぶかる、というより猜疑心が沸き起こる。女か?ひとり?そうではあるまい。が、人の気配はほとんどしない、貴方は一人かと尋ねると女は身の回りを世話する者は、ただいま出払っていて一人ですと答えた。


 そうだ、この女は戦火を逃れ、供ぞろいを連れてここに逃れてきたのだ。怪異な噂も目くらましに周囲に流したウソに違いない。ここまでする以上、並みの家柄の女ではあるまいと思う。危険でも都を出たくない、いや高貴すぎて却って出られないのだ。そこそこの家ならばとっくに郊外へと逃れ、そのまま遠国の親戚を頼っていたろう。


 男は計算高く判断する。会ったこともない男の声にもペラペラと素直に喋るおんなは高貴な姫かもしれない。世間ずれしていないからまだ若い、こいつはいいと男は思った。姫そのものの価値もだが、姫のために用意された道具類、調度品や相応の金子きんすは軽くひと財産になるだけの金銀財宝になるだろう。


 男は単純にそう状況を解釈する。金銀珊瑚に高価な衣がより取り見取りに選び放題、もちろん姫は手籠めにしてせいぜい可愛がってやる。散々なぶって後は女郎に売り払えばいい。いや、やんごとなきお方の息女ならしかるべき所に身代金を要求してもいい。そんな親戚がもし、まだ生きているならばだが…。


 男は思いもかけぬ僥倖にすっかり舞い上がっていた。男の興奮は後の二人にも伝播する、にわかに活気だつ男たちにはさっきまでの恐怖は跡形もなくなっていた。


 俺は金持ちだ、豪勢なぜいたくで思うがままの暮らしをしよう。贅を凝らしたしつらえの武具を調達し、そうだ馬もいる、家来も雇って仕官してもいい。武家になれば栄誉栄達も夢じゃない、手柄を立てて武功をあげれば出世だって夢じゃない。後をついてくる男たちの夢もにわかに現実的なものになってゆく。


 俺は故郷に帰って売り払った田畑を取り戻すんだ。それで手にした元手で女房を迎え、子供をたくさん養って一家を構え、”ひとかどの男”になる。それ位いいだろう。二階の女子おなごには気の毒かもしれんが、俺だっていい目は見たいんだ。


 そうじゃなきゃ、そうじゃなければ何のために生きてきたのか分からない。何のために俺は生まれてきたんだ!この幸運は一度きり、最初で最後かもしれないなら迷う理由はない。男たちの欲望は止めどなく、いまにも溢れそうになっていた。不都合不運は思いもよらない、剥き出しになった夜盗の本性で男たちの顔はギラギラしていた。


 醜い下心で階上の姫にご挨拶をと持ち掛ける。今となっては自ら乗り込んでいってもいい。ひょっとしたら家来が物陰に潜んでいるかもしれないが、それがどうした!


 さっきまで死ぬほど怯えていた男さえ、いまはいきり立つ血色で顔が赤くなっている。それは獣の瞳で階上を睨み上げる。おれもやるぞ!やってやる。


 階上から女の声がする。


「わたくしも是非一度、都にはべる精強なつわもの達を目にしたいものです」


 女は無頓着なまでに無邪気な言葉で上機嫌の男たちを階上に誘う、。そう誘うとしか言いようがなかった。涼やかな声で怖気づくこともなく、男たちの誘いにも容易く乗ってみせたのだ。


 それを男たちは疑わなかった、いや最早疑いたくなかったと言った方がよかった。いつまでも”おあずけ”を喰らっていることに我慢がならなかったのだ。目の前の成功にいつしか男たちは考えるのを止めてしまっていた。


 傍から見ていればその正気を疑うべきはどちらであったろうか。


 男たちはまだ階段の半ばにも達していないが、そそくさと登る彼らの目には、上がり口のところに人影が見えた。長い黒髪に幾重にも重ねた絹のころもは彼らが一度も見たことのない姿であったことは言うまでもない。


「おいでなさい」


 姫は冷ややかな中にも艶めかしさが匂う”女の声”で見下ろす男たちを招き寄せる。先頭に立つ男はその声で正気に返った。


 これは…罠だ!こんな馴れ馴れしい貴人など聞いたこともない!直感が絶叫する!

 騙された、あの女は嘘をついているか、さもなくば狂女の類か。やばい、やばいぞぉ。男は刀を振りかぶる、背後の男たちが気付き、声をかける暇さえない刹那の判断だった。


 しかし状況は男たちの想像のはるか上をゆく。上り口に立つ女の身体が一瞬で膨張する。膨らんだとしか言えないそれは、真っ白な餅のように衣装を纏う全身を包み込み、大きな塊となって黒い階段を真っ逆さまに転げ落ちた。


 ドン、ドスン、ドン!ダ・ダ・ダ・ダ・ダンダン、ダン。恐ろしい勢いで男たちの頭上に白い塊が躍りかかる。


「嗚呼!」


 その悲鳴は声にならない。それが何か分かる事は男には永遠にやってはこなかったろう。混乱こそがその場を襲ったすべてだった。


 あわてて振り下ろす男の刀の太刀筋を、有無を言わさず白い塊は一瞬で飲み込むと、そのまま男自身をも一気に飲み込んだ。めり込む様に男は白い塊に飲み込まれ、すぐ後ろの男もすぐ後を追う。


「何…が!」


 言葉は続かない。それ程、あっという間だった。二人の身体を包み込むその塊は、のたうつようにして階段を転げ落ちてゆく。


 最後尾にいた男はほんの少しだけ余裕があったが、それでも階段を横に飛び出して、かろうじてその災厄を逃れた。


 その、なすべくもなく刀を放り出し、背中から転げ落ちた男は目のくらむ衝撃で一瞬気が遠くなる。言うまでもなく”受け身”などは思いもよらない男はしたたかに体を打ち付けて、這う這うの体で這いつくばっている。


 息がつけないながらも男は階段の方に目を凝らすと、階下の登り口のところには先の二人の浅黒い手脚がでたらめに飛び出している、途方もない大きさの餅の塊が床の上に見えた。でろりと床に伸びて男たちの身体も頭も、最早全く見えない。刀を握ったままの腕がむなしく空を切っているが、じきに動かなくなる。


 見つめる男の瞳には驚愕の表情が浮かんでいる。声を出そうともせず凝視する男の前で、飲み込まれた男たちの手脚が白い塊の中に吸い込まれるように消えていく。


 その”白い餅”は全体で飲み込んだ男たちを消化して、身体ごとそのすべてを同化してしまったようだ。着物も刀も一緒くたにし、ぐちゃぐちゃとかき混ぜながら自身と一体化してゆく。一瞬飲み込まれた男の頭が見えたように見える、それもまた餅のように白い塊に溶けてしまった。なんていう事!男はそれを見て初めて悲鳴を上げた。


 恐怖とショックで涙ぐむ男が声にならぬうめき声をあげたのは、手脚を飲み込み切った白い餅がつきたてのように床に広がったせいではなかった。その塊の表面に一つの顔が浮かび上がったためだった。


 それは飲み込まれた男たちの顔ではなかったが、見覚えのない女の顔をしている。


 が、すぐに男は悟った。その顔こそは階上から自分たちを見下ろしたあの貴女の顔に相違ない。浮かび上がった女の顔は能面のような表情を浮かべ、そして…見開く瞳は男の方へと視線を移し、黙ったまま男を見つめている。


 手足をばたつかせながら慌てふためく男は、鳴き声とも喘ぎ声ともつかぬ悲鳴を漏らしながらその場から逃げ出そうと、女の顔を付けた餅とは反対側へと這い出していた。もう、もうたくさんだ。やめてくれ、やめろ。こっちを見るな。やめろ!


 そんな男に女の顔はとどめを刺した。


「おいでなさい」


 それはヒトの声ではない。あやかしの喉からでたそれは地の底から湧いて出た瘴気のように人の心に突き刺さる。男でもなく女でもないそれは、例えようがない。


 男は絶叫しながら耳を覆うようにして、薄暗がりの廊下を脱兎のように走りぬけ、陽光の中へと一目散に走り去って、二度とそこに戻ることはなかったし、その後の男の行方を知る者もいないという。それでもどこかで幸せになれたのだろうか。


 生き残った男はいつかどこかで語ったのか、そして話だけがとり残された、


 男たちがいなくなった階段に女が居る。着衣が半ば溶け込むような全裸の全身は蝋のようにおぼろな影が薄闇の中に浮かび上がる。ゆっくりと黒い階段を上りかけた女は立ち止った。無言で振り返るおんなは伏し目がちに肩越しにのぞき込む。


 女の声にならぬ声は聞くものもなく、そして…女は


 笑った。

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