ミッションおそらくポッシブル
結騎 了
#365日ショートショート 007
ああ、もう、耐えられない。限界だ。
「それで、お前だったらこういう時どうする?」
そんなの知るか。君の仕事の悩みだろ、君が自分で解決してくれ。
僕らは高架下の小さな居酒屋に集まっていた。6人という数少ない同期。それぞれ部署は違うため、一堂に会したのは新入社員研修の時だけだったが……。花形の営業部署に配属された野村が、積極的にこういう会を開きたがる。部署の垣根を越えて苦楽を共にするのだと、そう掲げての集まりである。しかも今日は見事に全員集合。なんとも迷惑な話だ。
「いや、僕は、それだったら素直に従ちゃうかなぁ」
野村からのキラーパスはいつも持て余してしまう。自分の信念と上司からの指示、それが食い違った際にどうするか、というお題だ。まったく、くだらない。僕は仕事に信念など持ち込んではいない。ただ単に、生活費がもらえればそれだけでいいのだ。君の鼻息の荒い話にはついていけない。
周囲を見渡すと、みんないつの間にか顔が赤くなっている。開始から90分。そろそろ酔いが回ってきた頃だろうか。一番声が大きいのが野村、その腰巾着の津々木。ふたりで仕事論を交わしながらハイボールを立て続けに流し込んでいる。テーブルの反対側、女子グループの3人。どうやら部署の先輩と最近になって付き合い始めたらしい井川さんを取り囲むように、江藤さんと平瀬さんが盛り上がっている。グラスには、絵の具のように鮮やかなお酒。あのコミュニティには天地がひっくり返っても加われない。手元のウーロン茶を、もう何度すすっただろうか。時間が経つのが異常なまでに遅い。
そうして消去法で、この熱い仕事論(笑)に加わっている。とはいえ、本質的には参加などしていない。主に会話が成立しているのは野村と津々木だ。僕は、単に会話の聞き役、もっといえば野村のありがたい持論を受け止めるサンドバックとしてここに座っている。これがもう、90分。さすがに精神が摩耗してきた。
「……ん?」
その時、僕は蚊の鳴くような声を発した。何かに気づいたように、背筋をちょっとだけ伸ばし、首を傾ける。不可抗力なアナウンスに動揺するように、ほんの、ほんの少しだけ。小さな変化である。そこから、眉間にしわを寄せてみる。肩から腕へ、その先を左のポケットへ。話に熱中する野村と津々木の顔を横目で見ながら、ややゆっくり、スマホを取り出す。顔の前に、慎重に画面を持ってくる。角度に配慮を。ほどなく、「ああ」、と悟ったような表情。諦念の声を絞り出す。すこぶる残念だ。本当に残念だよ、この席を立たなくてはならないなんて。ここから、言葉は要らない。まず野村にアイコンタクト。最小限のジェスチャーから、流れるように津々木。ふたりとも、一瞬で事態を察したようである。そう、目と表情。ここが肝心。
僕はそのまま席を立ち、そそくさと居酒屋の出口へ向かう。井川さんらは、僕のことなど全く見ていない。いや、むしろ好都合だ。
夜の繁華街。店内とは違い、寒気が体中に流れ込んでくる。これがとっても気持がちいい。全ての煩わしさから解放されたような、果てのない爽快感がある。コンクリートに革靴を叩きつけ、コツ、コツと、店先から少しだけ距離を取る。ああ、自由だ。やっと離れることができた。
……おっと、危ない。一応、アリバイ工作は必要だ。誰かが出てくるかもしれない。店の入り口が見渡せる道路の反対側、電柱に背中を預け、真っ黒な画面のスマホをゆっくり耳に当てた。
ミッションおそらくポッシブル 結騎 了 @slinky_dog_s11
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