彼の画力は素人目に見ても高いと思う。大学でデザインを学んだのなら、それを生かした作画も望月ならやれるはずだ。肝心なストーリー力は彼の漫画を読んだことがないのでわからないが、他の要素は十分過ぎると言っていい。


 しかし彼は謙虚。いや、この場合は謙虚と言うよりも、ただ単に自分に自信がないだけか。


 きっと仕事を辞めるという決意と漫画家としての将来への不安が上手く噛み合わなかった。そのせいで心の闇が虎になりかけているのだ。今は見た目だけだが、このまま放っておくと心まで虎になってしまうだろう。


 なぜこの一瞬でそこまでわかったかわからない。直感に過ぎないのだ。それでも間違いないとわかる不思議な感覚。不思議な現象に遭遇しているのだ。不思議な感覚を信じたっていいはず。



「なあ望月。お前、もっと自信持てよ」

「え……。どうしたんだよ突然。この惨めな姿を誇れと言うのか?」



 望月はきっと自分の心に原因があると気がついていない。だから俺が唐突に脈絡もない話を始めたと勘違いをしているようだ。一刻も早く彼を救う必要があるのだ。許して欲しい。



「違う。お前の本当の姿をだ。お前の自信の無さがお前の心を虎にしようとしているんだ」

「……俺の自信の無さ?」

「そうだ」



 顔だけを横にして、ずっとこちらに背を向けていた影が少しだけ動いた。上半身ごと横を向く。シルエット的に顔の輪郭は見えなくなった。布がなく、逆光でなければおそらく目が合っている状態だろう。



「どうして、俺が自信を持っていないってわかったんだよ」

「馬鹿。そりゃわかるさ。何年お前の絵を見てきたと思ったんだよ。俺は間違いなく最古参だぜ?」



 出会いは小学校に入学した時。



 活気溢れる入学式初日の教室。誰もが友達とはしゃぎ合っている中、彼だけが自由帳を広げて鉛筆を走らせていた。



 子供ながら、あの時に俺は既にわかっていた。



 こいつは違う。



「お前は他の奴らなんかと違うことができる。すごいやつだって」

「そんな奴、俺以外にもたくさんいるよ」

「だからー」



 俺はその場から一歩踏み出し、布の先にいる望月に一歩近づく。彼は近づくなと一歩後ろに引いたが、俺は構わず近づいた。



「それだよ。他にもいる? 知らねえよ。俺は見たことないね。他にいたとしても俺は見たことない。お前みたいな奴らは少ないんだよ。これだけ説明したらわかるか? お前は俺たちと違う。少ない上位数パーセントにもう入っているんだよ!」

「……」



 心地よい風が部屋の中に吹き込んできた。その風は充満していた獣の匂いを少しづつ緩和していく。



「思い出せ。賞だってたくさん取っていただろ! お前の実力が認められている証拠じゃないか!」



 虎の影が薄くなっている。あと一押しだ。



「俺はお前の絵を本屋で見る予定なんだぞ!」



 優しかった風が力強い風に変わる。その勢いで天井から吊るされていた布が飛んで剥がれる。



 視界が開けて風が止む。

 獣の匂いも完全にしなくなった。



 前にいるのは影の虎ではなく、俺の記憶にある望月でもない。



 目に光が灯った、顔つきが変わった、威厳のある姿。



 虎になった望月だ。










−−−−−

Happy Chinese New Year

2022.02.01

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虚妄の虎 雨瀬くらげ @SnowrainWorld

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