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理解が追いつかなかった。
ここは望月の家。それは間違いないはず。しかし部屋にいるのは虎。そして獣の匂い。明らかに異様な空間なのに望月の声が聞こえる。
「動揺させてすまない……。だけど、君じゃなきゃ駄目なんだ。君にしか相談できない。それなのに姿を見せられないことを許してくれ。いくら君でもこんな恥ずかしい姿を見せたくないんだ」
聞こえてくる望月の言葉に合わせて、影の虎の口が動く。
「まさか、君、そこの虎……が望月なのか?」
きっと中島敦の山月記を読んだことがあるから、そんな予想ができたのだろう。とはいえ山月記はあくまで小説。冷静に考えればありえない話だ。その判断を理性で下すより先に口に出してしまっていた。
「そうなんだ。昨日の朝、目を覚ましたらこのような姿になってしまっていた」
何を言っているんだ、と思った。思ったのだが、この光景はあまりに非現実的過ぎて受け入れるしかないようだ。悪い夢ならそれでいい。むしろそうであってくれ。
俺はそう考えて心を落ち着かせた。
「わかった。俺の親友の言うことだ。信じよう。気になるのは、一体全体どうして虎に?」
俺の問いかけに再び虎の口が動く。
「それは俺もわからない。色々考えたが直接原因に繋がるようなことは何も。だからただ単に何か変わったことを考えたんだ。そうしたらすぐに思い至ったよ」
「何だったんだ?」
「俺は一昨日、仕事を辞めたんだ。そしてその次の日に虎になった」
望月は神妙な面持ち、否、声持ちだった。あの威風堂々とした虎の姿になっても、目の前の影に威厳はない。
出来ることなら友人として彼を救ってやりたい。でも李徴は結局人には戻らなかった。望月も人間の姿を取り戻すことができるかは定かではない。それならば、せめて勇ましい虎として生きて行けるようにしてやりたい。
望月は少し間を開け、再び口を開いた。
「大学を卒業した後、大手のデザイン会社に就職できたんだ。全然ブラックじゃない、むしろホワイトだし、給料もいい。でも心の中にどこか引っかかりがあった。在学中もデザインを中心に勉強したけど、俺がやりたいのはデザインじゃない。漫画だって」
「それで漫画家を目指そうとして会社を辞めたわけか」
「そういうことだ」
ふと、かつての望月の姿を思い出す。
描いてもらった絵を褒めると、彼は決まって「まだまだだよ」と言っていた。「このくらいなら、描ける人はたくさんいる」「こんなので良かったらいつでも言って」などなど。
彼には自尊心というものが全くと言っていいほどない。あるのは謙遜心だけだ。
なんとなくだが、彼が虎になった理由がわかった気がした。
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