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数日後のことでした。その日は蝉しぐれが異様にうるさくて、汗も止まらず、なのに夏の真っ白な日差しが妙に心地よく感じました。
そしたら、大学のキャンパス内でたまたま隣人の青年に会いましてね。向こうも私の事を覚えていてくれて「やあ、君もこの大学の学生だったんだね」と気さくに声をかけてくれました。その時は彼女はいませんでした。
次の講義室へ向かう道中の間、里はどこなのか、彼女とはどこで知り合ったのか、なんて青年と世間話をしました。そして、ふと思い出したのです。青年の人見知りをしないその口調に私も心地良くなっていたのでしょう。別に咎めるつもりは無かったのですが、夜中にキィキィと音が聞こえてくるのだけれども、あれは何か? と尋ねてみたのです。
青年は少しだけ驚いた顔をしましたが、すぐに例の爽やかな笑顔をみせて、そして申し訳なさそうにこう言いました。
「失礼。実はうちで猫を飼っているのですよ。寝る前に遊んでやるのが習慣だから、それの爪音が漏れていたんだね。うるさくしてすまない。あそこはペット禁止だから、頼むからオーナーには内密にしていてくれないか?」
なるほど猫か。その時の私はすんなりと納得しました。もちろん秘密にしますよ、と返事もしました。なんでも捨て猫を拾ったらしい。キジトラの雌で、シノブと名前も付けてやったこと。名前は青年の故郷の亡くなった祖母のものらしく、彼女と2人で可愛がっているのだ、と。
故郷の話に移り、それから青年は少し考えたように黙ってから私にこう相談事を持ちかけてきました。
「夏休みはどうする? 君も里に帰るのかい?」
「ええ、その予定ですよ。同居の友人も帰る予定です」
「同居人がいたのか」
「言ってませんでしたかな? 同じくここに通う学生の連れでして、家賃を折半しているのです」
「なるほど……なら難しいな」
「どうしたのです? 君も彼女も帰るのかい?」
「うん、そうなんだ。だから困っているのだよ」
私には青年の悩みの種が分かりませんでしたが、彼はもう一度深く考えた後、こう言いました。
「シノブのことさ。夏休みの間の世話をどうしようかと。列車に乗せて連れて帰っても良いのだけれど、2時間もゲェジに入れると可哀想だろう?」
「たしかに」
「飼い猫のことを打ち明けてしまったから、もしかしたら君に……君たちにお願いできればと考えていたのだが、それも難しそうですね」
ゲェジに入れるのは可哀想だ。が、私も友人もちょうど先日帰省する予定を立てたばかり。私が「すまない」と断ると青年は例の爽やかな笑顔で「こちらこそ急な相談で申し訳ない」と答えてくれました。
それから青年と別れて、私は自分の講義室へ入りました。冷房が効いていて汗も止み、窓外では陽炎が揺れていました。その陽炎があたかも人のように不気味に私を凝視しているような気がして、講義の内容なんて一切頭に入らなかったのです。
嫌な予感と言いますか、違和感がきゅうきゅうと私の胸を締め付けましてね。原因も分からないから余計に不安になりまして、その日はバイトも無かったので、講義が終わってすぐにアパートへ帰りました。するといつもなら講義中のはず友人が布団に包まってました。講義は休んだらしく、夏風邪でもひいたのかと聞くと、彼は分からないとだけ言いました。
私もすぐに治るだろうと高を括っていましたけど、彼は日に日に
医者に見てもらった方が良いと言っても不要の一点張り。意固地になる友人は初めてで、私もどうしたら良いのか分からず、ついには私も自分の帰省をキャンセルしたのです。
もしも重い病だったら?
私が里でのんびりしている間に万が一のことがあったら?
夏風邪は長引く。そんな淡い期待だけを持ってもう少し様子を見る。それでも具合が悪いのなら無理にでも医者に見てもらう。その時は漠然とそう考えておりました。
そして思い出したのです。ああ、それが過ちでした。春期講義もすべて終わった夜のこと。深夜1時になると今夜も隣室から猫の音が聞こえてきたのです。
キィキィ……キィキィ……キィキィ……。
隣のアベックは夏休みに帰省すると言った。あの日、キャンパス内で青年は、その間に猫の世話をどうするのか私に相談してきたことを思い出したのです。バイトの無い日は基本家に居て友人の世話をするつもりでしたから、ついでに隣の猫の世話もしてやろう、と。家にいてもどうせ暇な毎日です。それなら猫のような癒しもあっては良いのでは、と。
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