後輩ちゃんが神社の境内でセンパイに告白する話

スガワラヒロ

第1話 絵馬にはしっかり名前を書こう

 辰宮たつみや神社といえば市民には馴染みのスポットであるが、実のところ普段の人出は多くない。年始や節分などイベントのときを別にすれば、境内に一人も参拝客がいないなんてことはザラだ。


 たとえば、今がそうであるように。


 まあ厳密に言えばわたしがいるから「一人もいない」は間違いなんだけど――などと考えながら鳥居をくぐったわたしの耳に、横合いから声が投げかけられた。


「あっれー? 帆香ほのかじゃん、どうしたのこんなところで」


 仮にも神様を祀る場所に対して「こんなところ」もないよな、とわたしは瞬間的に引きつり笑い。半ば呆れつつも表情が笑みの範疇に収まったのは、わたしのほうも彼女が何者なのかを知っているからだ。


「どうもこうもないでしょう、奏佳かなかセンパイ。参拝に来たに決まってるじゃないですか」


 高槻たかつき奏佳――白衣と緋袴に身を包んだ彼女はもちろんこの神社の巫女であり、わたしから見れば一個上の先輩でもある。


 吹奏楽部で活動を共にしていたのも去年までの話。先輩が昨年度に卒業してから今日に至るまでの一年間、わたしたちが音を合わせたことは一度もない。


「ま、そりゃ参拝なんだろうけどさ。帆香の顔を見るのがあんまり久しぶりだったもんだから、ついね。――元気してた?」


「ええ。センパイこそお元気そうで」


 屈託のない笑みとともに放たれた奏佳センパイの言葉を聞いて、内心の昂揚をおくびにも出さなかったわたしは自分を褒めてもいいと思う。


 というのも、わたしにとってセンパイの顔を見るのは「久しぶり」でも何でもなかったから。


 実家の神社で巫女仕事の手伝いをしていることは、センパイ自身これといって隠し立てしていることじゃなかった。中学時代にセンパイからトロンボーンを教わっていたわたしは、日頃の雑談のなかで彼女自身の口から直接そのことを聞いていたのだ。


 センパイは知るまい。ここ一年、わたしがたびたび神社を訪れて巫女姿を目に焼きつけていたことなど。


「でもさ帆香、参拝ったってこの時期じゃもう受験の結果発表されてるっしょ? 合格祈願じゃないよね。どこ受けたの?」


「東高校ですよ」


「なんだ、私んとこじゃん。ってことは春からまた帆香と先輩後輩になるのか~」


「受けたと言っただけで、まだ合格したなんて言ってませんよ」


「……え。ごめん待って、まさか――」


「まあ受かりましたけど」


 センパイの表情が面白いように変化する。わんぱくな少年めいた双眸がまん丸に見開かれたかと思いきや、顔全体がニッと満面の笑みを作って、


「なんだよ、もう。びっくりさせないでよねー」


 心底から安堵したというように、センパイは両手でばんばんと勢いよくこちらの肩を叩いてくる。……正直ちょっと痛い。


「おめでと、帆香!」


「……ありがとうございます」


 それでも文句を言う気になれないのは、わたしの合格をまるで我が事のごとく喜んでくれていると伝わってくるからで。


 このひとはこういうところが卑怯なんだよな――なんて、わたしは中学時代に戻ったかのように笑って許すしかなくなってしまう。


「――で」


 と、奏佳センパイは声をぐっとひそめて、


「合格祈願じゃないとなると……コレか」


 笑顔を含みのあるものに変質させながら、右手をこちらの眼前に掲げてみせる。握り拳かとわたしが眉をひそめたのも一瞬のことで、よく見るとセンパイは小指をぴんと立てていた。


 華の女子高生がこんなおっさんみたいな仕草をするのは大変どうかと思う。


 思うがしかし、推測自体はあながち突飛なものでもない。この神社の御利益として有名なのは学業と恋愛成就なのだ。前者でないとすれば後者、と考えるのは単純だが理に適った話でもある。


 そして。


「……まあ、そんなところです」


 答えるわたしの頬がかすかに熱を帯びるのは、センパイの推測が実際に的を射ているからだ。


「くぁー、やっぱりオトコか! 帆香もそんな年頃になったんだねぇ」


「年頃って。わたしとセンパイひとつしか違わないじゃないですか。だいたいセンパイこそ恋人がいたことあるんですか?」


「ないけどさあ。だからこそ後輩に先を越されるのはショックというか、ね?」


 ね、と言われても困るのだ。


「……オトコではないし、のも無理なんですけどね」


「うん?」


「いえ何でも。――それより絵馬を奉納したいんですが」


「いいよ。書いたら私がかけたげる。掛所の一番上にかけると願いが叶いやすいって評判なんだよね、うち」


 そのジンクスはわたしも聞き及んでいた。小柄なわたしだと掛所の最上段に結ぶには背伸びが必要だから、ここは素直に厚意を受け取っておくのが賢明だろう。


 もっとも、そんな事情がなくたって、わたしはセンパイに頼むつもりだったのだけれど。


 社務所から絵馬を一枚持ってきてくれたセンパイに五百円玉を渡して、木目のはっきりした真新しい板を手にする。


「自分と相手の名前はちゃんと書きなよ、そのほうが神様に願い届きやすくなるから。プライバシーとか気になるならイニシャルでもいいけど」


「大丈夫です。名前で書きます」


 持参したペンを板の上で走らせてゆく。


 難しい文面はいらない。ストレートにわたしの思いの丈を綴って、わたしと相手の名前をしっかり書いて願い事にしてやればいい。


「できました」


「おっけー。どれどれ、帆香に好かれてる幸せ者はどこのどいつかな……」


 わたしの手から絵馬を受け取ったセンパイは、一も二もなくわたしの願い事へと目を落として――


 唇を、半開きのまま硬直させた。


 センパイの頬に朱が差してゆくのがハッキリと見て取れた。わたしの頬もぽかぽかと熱くて、赤面ぶりではわたしもきっと負けていないんだろうなと確信できる。


 無理もなかった。


 絵馬にはこう書いた。



 ――奏佳センパイにわたしの想いが伝わりますように 森山もりやま帆香

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