天才歌姫と凡才奏者。二人は二度と離れない。

伊吹梓

天才歌姫と凡才奏者。二人は二度と離れない。



「ハッピバースデーイあやちゃーーーん♪」



 私は『Happy Birthday To You』をワンフレーズ弾き、ギターのヘッドを高く上げる。


 これは、Aさんへの合図だ。

 ヘッドに取り付けたチューナーの液晶画面を、PAさんに向けている。真っ暗でも、明かりの動きで合図を出せるようにするためだ。


 合図を確認したPAさんは、ギターと返しボリュームを上げる。

 同時に、打ち合わせ通りゲストミュージシャンがハピバを歌う。100人オーバーの観客も続く。会場が一体となった大合唱だ。


 私の隣には、誕生日を迎えたシンガーソングライターあや



 そう。今日は友達のミュージシャン、彩のバースデーライブだ。



 ステージ最前列には、彩の締まったウェストがすっぽり収まりそうなバースデーケーキ。そのすぐ後ろで、彩はスポットを浴び輝いていた。


 真横から、見える彩の横顔。

 ショートヘアの隙間から覗く、切れ長の瞳。目尻には、ちょっと光るものがある。


 演出に目薬でも差したか?と、思わず心の中で苦笑する。


 見た目も喋りも、キツめだけど清楚系。その癖性格は、猫もびっくりの気分屋さん。それでいて「やられたらやり返す!」を地で行く、結構な武闘派。


 いま涙流すなんて、そんなタマじゃないよね?


 そんな明後日なことを考えながら、私はハピバを最大音量で伴奏する。


 彩のスポット以外、ステージ照明は落とされている。だから私は手元が見えない。

 でも大丈夫。ハピバはステージだけでも100回は弾いている。手元が見えなくても、寸分違わず手は動く。


 ケーキに立てられた二十六本の蝋燭に、炎が揺らめく。

 弾き終えると同時に、大合唱が止む。



「彩ちゃん、お誕生日おめでとうーー!!」



 ライブハウスのマスターの掛け声を合図に、彩はバースデーケーキの蝋燭の火を、一息で吹き消した。



「みんな、ありがとう!」



 顔を上げた彩は、輝いていた。最高に美しく、輝いていた。




 ***********************



 SSWの彩は、元々はおこと地唄三味線ぢうたしゃみせん奏者だ。


 お箏の最大会派主催コンクールで、最年少で一般部門の最優秀賞を獲っている。これは、未だ破られない最年少記録だ。

 その後、芸術系の学校の邦楽科生田流箏曲いくたりゅうそうきょく専攻に入り、大学院まで通った。

 卒業の翌年も、彼女の親や後援会の後押しで、国内最大のコンクールに出場。本選に勝ち上がり、上位成績を収めていた。


 箏曲界だけでなく、メディア関係の人脈も広い。映像作品への参加も一度や二度じゃない。

 話が軽妙で親しみ易いこともあって、主催の教室も盛況だ。


 彩は、表街道を真っ直ぐ進んできた、本物のエリートだった。




 ***********************




 彼女との出会いは、隣町の公民館で開催された、和洋楽器ごちゃ混ぜのフリーセッション会だった。

 そこはお箏が十面ほど保管しており、よく和楽器イベントが開催されていた。


 彩は、他のお箏奏者さんの付き添いで来ていた。

 その時私はまだ、彩のことは「歌番組でバック演奏していて、コンクールの本選出場者リストに載ってた人」程度の認知だった。


 ただ、彩が会場に入った時、なんだか凄い人だ、とは思った。

 纏う空気が違う。彩の周りだけ、常に光が差しているように見えた。まさにオーラだ。


 和楽器業界はとても狭い。プロ・アマの壁も薄く低い。

 大先生や作曲家、音楽系の漫画家、大手メディア出演者が、素人の集まりに気軽に顔を出す。

 彩が来ても、驚かれはしたが、特別珍しがられはしなかった。


 はじめは、和楽器だけのセッション。

 その間の彩は、お箏未経験者への体験指導を優先させていて、自身は殆んど弾いてない。


 元々母にお箏を習っていた私は、基本的にはお箏で参加していた。

 でも、ギターも持ってきたことが他の参加者に知れると、伴奏を依頼された。

 私もセッションを試したくなり、まず指を慣らしで適当に弾いた。


 その時、私は気づかなかったけれど。


 後に他の人から聞いた話では、私がワンコード弾いた時、彩がビクッとし私に視線を向けた…らしい。


 その後、セッションし易いコード回しを弾く。

 皆、私のコード進行を掴もうと耳を傾け、調弦を始めた。


 そんな中。

 彩は、私がさっきまで弾いていたお箏の前にスッとやってきた。


 殆ど弾く雰囲気を見せなかったのに、いきなり現れた彩。私も驚き手が止まりそうになる。

 でも、なんとかこらえた。


 彩は私の伴奏に合わせ、即興を弾きながら誰よりも手早く調絃し、合わせ込んできた。

 それはまるで、調絃すら即興の一部のようだった。


 私のコード回しは、ふんわりとした進行だった。

 そういう空気感を狙ったのではない。単に和楽器が合わせやすいのだ。定番の手で合う。情景描写は必要なく、乗せられるメロディの自由度も高い。


 ところが、だ。

 彩はそこに、クッキリとした情景を乗せてきた。

 加えて様々なテクニックを組み合わせ、お箏とは思えないフレーズをどんどん繰り出してくる。


 たった二オクターブ半しか音域が無い筈なのに、三オクターブ半のギターより広い音域に聞こえる。

 リバーブやコーラスエフェクトでも掛かってるんじゃないか、としか思えない音を、彼女一人で奏でている。

 


(ちょっ、なに?この子、何なの? すごい。凄すぎる…!)



 もっとこの子の音を聴きたい!


 そう思った私は、今度はアコースティックのギターに持ち替え、ストロークでリズムを刻む。

 すると、彩はスキャットの歌声も織り交ぜ、まるでき歌いのようにリズムに合わせてくる。


 すさまじい対応能力と表現力。

 お箏だけじゃない。歌が、歌声が感動的すぎた。

 時に透明。時に地に潜り込むようでもあり、また星の輝きのようでもあり。


 特に意味のない即興のコード進行が、彼女のあらゆるテクニックにより色付いていく。


 彩のお箏はまるで、パレットだ。

 彩は最高級の筆。

 そしてキャンパスは、この空間全て。


 彩はこの空間全体に、歌声とお箏ので、様々な情景を描いていく。ダイナミックに、次々と描く。



(っ天才だ!この子ガチだ!やばい、こんな漫画みたいなことってある?信じられない!)



 私は手が止まらなかった。


 そんな私たちを尻目に、周りの奏者さんは手を止め、聴き入っている。

 もはや二人だけのステージだ。


 視線を交わしエンディングに入ると、彩も私の右手の動きに合わせ、リタルダントだんだんゆっくりする。

 これをピタリと合わせるのは、かなり難しい。

 けれど。さすが指揮者を置かず「申し合わせ」だけで合わせる和楽器奏者だ。

 私の体の動きをじっと観察し、ピタッと貼り付くように合わせてくる。


 即興を終えると、満場の拍手が起きた。


「綺麗なフレーズ奏でるね。それに、どんどん盛り上げて気持ちいいノリ作るね。ワンコードでその気になって、どんどん入って行ったよ。でも…出しゃばりすぎたかな?」



 彩がニコニコで話しかけてきた。


「…出しゃばりすぎな訳ないです、控えめに言って最高!人生最高レベル。 贅沢すぎる。…もっとやりたい!」

「オッケー!私も久しぶりに楽しい!続けよう!そだね、できれば、キーは壱越いちこつ双調そうじょう、てかDGで、調絃は乃木のぎで行けるのがいいな。スカッとする感じが欲しいね」

「あー、なら壱越の乃木調子のぎちょうしで。 コードはG-C-D系で。好きな感じだし」

「さっすが。和洋両方やってると、言葉すぐ通じるね」



 そう。和洋楽器混合セッションでは、大きな壁がある。

「和楽器特有の音名と調絃名」だ。


 お箏に限らず和楽器は、音階も調絃も日本語の名で言う。そして基本は五音階だ。もちろん、現代曲は「ドレミ七音階調絃」というものもあるけど。


 両方の楽器をやる私の強みは、それを洋楽のドレミやCDE…に即置き換えるられ、調絃名だけで音の並びが分かることだ。

 調絃が分かれば、曲の進行も大体イメージできる。音を出す前にサッと打ち合わせが完了する。


 この調絃は、私のイメージでは「青空、海、竜宮城」だ。

 ちょうど、今日の空やこのセッションを音で表したような。私の大好きな音の並びだ。 



 「じゃ、行くよ!」



 まさに、意気投合。彩とは、描く音の情景の好みも、ピタリと合っていた。

 そのあと何度も何度もセッションを繰り返し、結局1時間も続けた。


 撤収後の帰り道、私たちは、音楽話で盛り上がった。駅まで一緒だったけれど、まだ全然時間が足りない。話し足りない。

 別れ際。彩から連絡先の交換を切り出された。驚いたけど、嬉しかった。

 そして私たちは、またの再開を約束した。



 その翌々週の彩のライブ。



 私はステージ上で、彼女の隣に立っていた。

 その次も、そのまた次も。私は彩の隣で、常に彼女の歌を支えるようになっていた。




 ***********************




「これは内緒なんだけどね」



 ある日、新曲の打ち合わせで彩は私の家に来た。

 一段落しひと休みしていた時、そう前置きをしながら自分の育ちを話してくれた。



「家、祖母も母もお箏って家じゃん? だから好きも嫌いもなく、ある日突然、母から『今日からお箏を弾きなさい。弾かない子はいらない。頭取れない子はいらないから』って、お箏始めさせられたんだよ。3歳からずっと、頭取れって言われ続けた。逃げることも辞めることも許されなかった」



 頭を取る。トップを目指せということか。

 3歳からそんなスパルタ…。


 私は今はギターメインだけど、元々は母にお箏を教わっていた。

 お箏は、私から母にやりたいと言った。

 母も表立った活動をしていた人だが、私に無理にやらせようとはしなかった。


 そんな環境だったから、有無を言わさずやれ、という世界は、私は無縁だった。



「私バカだったからさ。それを期待の表れって勘違いしちゃってたんだよね。でまぁ、頭取ったよ。13歳だったかな。ああ、おばあちゃんとお母さん、喜ばせることができたって、嬉しかった。同時に、やっと解放されると思ったよ。だってその間、ずっと受験勉強してるようなもんだよ?子供らしい遊びなんてしたことない。友達もお箏の子だけ。お稽古や演奏会で会うだけ。楽しい訳がない」



 3歳から延々、受験対策講座を無休で受けている状態。

 しかも、逃げることも辞めることも許されない。

 なんだその地獄。



「お箏自体は好きだよ。当時も、誰も見てないとき思いのまま弾くのは楽しかった。でも、人前は常に真剣勝負。頭取り続けてきた家系の子って、お偉方はみんな知ってるからさ。お稽古だって常に勝負への備え。上手く出来ないと、桐の柱箱じばこや座布団飛んできた。教室の他の子が遊んでても、母は怒らない。対して私は、いくら頑張っても怒られる。そんな日常」



 それは軽く、いや、相当な虐…。


 お箏も、伝統芸能の一つだ。この世界は、家元やそれに準ずる家の話として、そんな風に育った人もいると聞く。

 でも。

 こうして実体験として聞くと、何も言葉が出ない。



「で、頭取って、もう『訓練』としてのお箏弾かなくていいんだ、好きにできる。そう思った。そしたら、今度は頭に居続けろって。例えると、閉じ込められ続けて、逃げられるスキ見つけて動いたら捕まった。そんな感じ。これって、ずっと耐えるより心を打ち砕かれるよ。おまけに外からは、恵まれてるだのもっと先行けるだの、やっかまれたり羨まれたり勝手に期待されたり、好き勝手言われてさ。もう、殆どロボットだよね。心殺さないと、一歩も動けなかったよそれからはさ」



 今度は守れと言われる。

 格式とか家柄とか、色んな付加価値を掲げて周りは言う。

 けれどこれって、結局は親や支援者のエゴでしかないじゃないか。


 それに、そうして持ち上げられれば、当然目立つ。目立てば敵も増える。

 でも恐らく、ガードしてくれる人はいない。


 なんだそれは。闇しかないじゃんか。



「大学入って。院にも行って。やっと一昨年卒業して、本当に解放された。そのあと、先輩のお手伝いでライブハウスで演ったり、TVや映画で弾いたり演奏指導したり。したらさ、楽しいのね。自分で選んだ場って。やっぱ楽しいんだよ。そうすると不思議だね。お箏が、音楽がさ、楽しいってやっと思えるようになってきた。20年以上やって、やっと人前の演奏や教えることが楽しいって思えた」


「いま、ちゃんと楽しい道を進めてるんだね?その道見つけられてるんだね?」


「もちろん!間違いなく楽しいって言えるよ。でね。それで、まぁ今の活動に繋がるんだけど、サポートの合間に誘われて、試しに歌ってみたらさ。意外に評判良くって。曲もそこそこ作れるし、歌もそこそこ良いみたい。あ、ならこっち方面でも、SSW活動でも少しは商売になる?って考えてね。どうせ音楽以外のことは知らないし、なら歌う道もいいかな?って」


 実際、彩の歌はお箏に匹敵する。そこそこ歌える、なんてレベルじゃない。


 元々お箏は、弾き歌いもあるし地唄もやる。更に彼女の所属する会派は、西洋声楽も盛んだ。それらをベースに、様々な歌唱法を学ぶ。だから歌えても不思議じゃない。


 でも彩の歌は、技も表現も「歌えるだけ」の次元を超えている。


 しみじみと古典を弾き歌ったかと思うと、今度はジャズを歌う。

 かと思うと、ロックも歌う。メタルもやる。ポップスのバラードも、透き通った歌声で情感豊かに歌い上げる。合唱風なんてもう、天上の響きだ。


 一人の人間がここまで様々な情感を、歌声を、こんなにも操れるのかと思うほど。

 心にすっと沁み入ってくるのだ。



「ただ、サポメンサポートメンバーが問題だった。腕利き洋楽器の知り合いに頼んでたけど、演奏が前に出過ぎでね。そんな時、あの会行ったの。したら梨絵がいて。その音聴いて、ワンコードだけど情景がフワっと広がった。合わせたらどんどん盛り上げてくれる。ビックリしたよ。凄い人がいるって思って。梨絵の盛り上げは天才的。もうさ、梨絵のバック以外考えられないよ。できる限り、一緒にやりたいと思ってる」



 本物の天才。心底そう思うミュージシャンに、必要だと言われる。最高だと言われる。至福を通り越して、恥ずかしいし照れくさい。


 

「あ、ありがとう。持ち上げすぎだと思うけど…。私も彩とずっとできれば、って思ってるよ」



 恥ずかしさに顔から火が出そうだったけれど、最高に嬉しい一言だった。

 私はその恥ずかしさを隠すように俯いて、彩の甘い言葉に応えた。




 ***********************




「梨絵、今日はありがとう。ハピバ聴き入っちゃったよ。マスターの合図で我に返ったくらいね!」



 ケーキを出演者の皆で分け合い、手早く撤収を済ませ、事務処理と会計を済ましハコを出ると、彩が嬉しそうに言った。



「あんな雑に弾いて、聴き入るも何もないっしょ?」

「違う違う、梨絵が弾いたってのが嬉しいんじゃん」

「なにそれ」



 二人で笑い合う。

 私はライブの後、彩と一緒に帰る時間が好きだった。

 打ち上げも楽しいけれど、二人きりの帰り道は、素の話ができる。解放感も手伝って、プライベートな話題が多い。


 私は夫婦の話を。彩は恋人との甘い甘い話を。


 楽器は背に。物販品や機材、衣装などはキャリーケースに。

 そんな旅にでも出るような大荷物を持って、大口開けて笑い合いながら歩く道々。

 お互いに「ミュージシャン」という肩書を剥がし、一人の人間になれる時間だった。



 しかし。

 この日は少し、気が緩み過ぎていたのかもしれない。


 こんな最悪のタイミングで、事件は起きた。



「そういえばさ。梨絵の誕生日、再来月でしょ? さっきマスターと話したけど、ハコのスケジュール空いてるって。だから、梨絵のバースデーライブやりたいと思うんだけど、都合は…」

「いや。私はいいよ」



 私は即答した。

 一瞬にして、憮然とした声になってしまった。

 表情も固まる。



「…なんで?」



 彩が、虚を突かれたような表情で、私の横顔を覗き込んだ。



「誕生日くらい、ゆっくりしたいし。それに…」

「それに?」



 この先、言ってもいいんだろうか。

 一瞬だけど、もの凄く迷った。


 でも。


 私は、彩が大好きだ。

 彩のためなら、ノーギャラでもいいとさえ思ってる。

 彩に関わる記念日は全力で祝いたいと思うし、呼ばれなかったらそれこそショックで寝込むかもしれない。


 それくらい、彩が好きだ。


 だからこそ、全部言わないと。



「集まるのは『彩のファン』でしょ?そこで、単なるサポメンの私のバースデーイベント。なんかそれ、違うと思う。もちろん、彩の気持ちは嬉しい。最高に嬉しい。彩は私をそれだけ大きく想ってくれて、祝いたいって言ってれてるのは承知してる。でも…でもさ、集まったファンの子たちは?」



 彩が、ゴクリとつばを飲み込み息を詰める。


 ごめんね。大好きだけど、だからこそ、この線引きはきちっとしないと。

 心の中でそう言いながら、言葉を続ける。



「 物販の時、私が彩の隣に必ず居るのは、変な人から彩をガードするためって、ファンのみんなも気付いてる。そんな私は、彼らにとっては『ついで』なんだよ。最近サポートに入った女が、なんか貼り付いてるなって、多分そう思われてる。邪魔だって思ってる人もいるよ。労ってくれる人もいるけどさ…。でも、そんなみんなからの、上滑りしかしない『おめでとう』なんか、いらない」



 彩の気持ちは分かる。

 私の誕生日をファンの前で思いっきり祝って、自分のステージに欠かせない存在ということを、ファンの皆に改めて知ってほしい。そんな思いもどこかにあるだろう。


 でもそんなアピールすら、私にとっては不愉快でしかない。


 そんな打算、嬉しい訳がない。


 それに。


 彩は表舞台を歩んできた。いまもその道を歩んでいる。

 私は、そんな人を影で支える道を進んでいる。好きでこの道を進んでいる。


 私たちは気が合う。音も合う。それは間違いない。

 でも、立ち位置が違うんだ。目指すものが違うんだ。



 自分を輝かせたい。自分の光で誰かを照らしたい。それが彩。

 人の輝きを支える燭台でありたい。光にいろどりを添えたい。それが私。



 この違いは大きい。

 真逆、と言えるかも知れない。


 でも恐らく、その違いが彩には分かっていない。


 ステージに立つ人は、華々しさを求めている。そんな思い込みを、彩は持っているように見える。

 それはそうだ。

 彩はずっと、華々しさを求める人が集まる道を歩んできた。ステージとはそういうもの。そういう属性の人の集まり。そう思い込んでいても何の不思議もない。


 彩は黙り込んでしまった。


 責めるつもりはなかったけれど、結果的にそうなってしまったかも知れない。


 私も、フォローする言葉が見付からない。

 駅で別れるまで、どこか重い空気が二人の間に漂っていた。




 ***********************




 その日から、どうにもしっくり来ない。

 いくらリハしても、何かよそよそしい。


 合ってはいる。曲が崩れるようなミスも無い。

 でも、それだけ。

 

 今まで感じていた高揚感が、すうっと消えてしまっていた。


 次のライブは、対バンで出演時間も15分と短く、定番曲だけのステージだった。

 なんとか、今までの貯めもあって、演奏は纏められた。


 私たちも、それぞれ違うステージだけど、出会う前から場数は踏んでいる。大抵は「場慣れ」で補完できる。


 そう。ただ合わせるだけなら、問題ない。


 けれど。これまでとは違い、お世辞にも勢いのある演奏ではなかった。

 リハのあの違和感。それを何ひとつ修正できないまま、ステージ上でただ音の羅列を並べただけだった。


 そしてその日、彼女とのライブでは初めて、私たちは別々に会場を後にし、一人で帰路に着いた。




 ***********************




 あの日から、気持ちが晴れない。

 彩の誕生日の最後の最後に、あんな空気にしてしまった。次のライブも違和感しかなかった。

 それがずっと、尾を引いている。


 あれから、彩はお箏教室の次期プログラム作りや、会派の地方公演などで忙しくしていた。私はと言えば、本業の繁忙期で忙しかった。


 そんな状況だから、当然なにも話せていない。

 もやもやを抱えながら、でも一つも解決の糸口を見つけられぬまま、時だけが過ぎていった。


 そしてとうとう、私の誕生日がやってきた。


 今年の私の誕生日は、金曜だ。

 つまり、ゆったりと夜更かしできる。後ろめたい気持ちがなければ、こんなにいい日取りはない。


 私は、誕生日にどこかへ行くのは好きじゃない。誕生日くらいはゆっくりしたい。それが本音だ。

 特に今年は、もやもやを抱えている。遊ぶ気なんて湧かない。


 今日くらいは、と定時で上がり、家に帰る。



「?」



 アパートの前まで来ると、部屋の明かりが付いていない。

 普段は、職場の近い夫の方が帰りは早い。だから、大抵明かりが付いている。



(こんな日に残業?でも、連絡入ってなかったよね?)



 夫は残業の時、ほぼ連絡をくれる。でも今日は、何の連絡もない。

 誕生日なのに。少しは、楽しみにしてたのに。



 バチが当たったのかな。

 あんな日に、彩に酷いことを言った罰が当たったんだ…。



 ガックリと肩を落としながら鍵を開け、部屋に入る。

 玄関の明かりを付けようと、スイッチを押す。



(あれ?点かない…電球切れたかな)



 先月変えたばかりなのに早いな、と思いながら何度かスイッチを押す。それでも点かない。

 諦めて靴を脱ぎ、部屋に一歩踏み出して顔を上げると…。



「わぁっ!!」



 真っ暗な部屋の中に、火の玉がうごめいてる!


 怖い!こわいこわいこわい!!!


 電気つかないし!おまけに火の玉!

 こ、こ、ここ、じ、事故物件じゃなかったはずっ!!



「ハーッピィバースデートゥーユー♪」



 え?夫の歌声?


 へあ? あ、ああ、そうか。そう来たかっ!

 夫、帰ってやがった!?

 いま、蝋燭を立てたケーキを、ハピバ歌いながら運んでる!?


 やっと状況が掴めた。


 そして。

 伴奏にお箏…てことは…?



 彩だっ!



 蝋燭の明かりの向こうにぼんやりと、お箏を弾く彩の姿が見える。

 しかも、彩も途中から歌い出した。



 美しい歌声…。



 思わず聞き入ってしまう、フワッと舞い上がるような歌声。

 そう。彩の歌声の中でも、私が一番好きな歌唱法で歌ってくれている。



「ハーッピィバースデー、梨絵ちゃーーーーーん!♪」



 テーブルにケーキを置いた夫が、拍手をしながら口笛を鳴らす。

 彩は、お箏をかき鳴らす。

 私は、ひと息に蝋燭の火を消す。

 蝋燭の香りが舞い、細く白い煙がゆらりと浮かび上がる。



「梨絵!お誕生日おめでとう!おめでとうおめでとうおーめーでーとーーーーうっ!!」



 夫が明かりを点けると、彩が指に箏爪を嵌めたまま抱き着いてきた。

 お、おい、危ないって。



「彩…」



 言葉が出なかった。

 彩の誕生日に、あんな別れ方して。これだけ嫌な気持ちを引っ張って。前のライブでもギクシャクして。

 それなのに…。



「ごめんね。彩の誕生日、最後の最後にあんなことになって、ごめんね」

「ちょおーっと待った!それ以上言わない!」



 彩が箏爪をつけたままの手を、私の目の前に広げて制止する。

 だから危ないって。



「梨絵のあの言葉、心に刺さったよ。あのあと、いろいろ考えた。それで、分かった。私、なんか勘違いしてた。梨絵は私とは違う。だから、ちゃんと梨絵を知るために、旦那さんに相談したんだよ」

「え?話してたの?」

「うん。そしたらやっぱり、『梨絵'sバースデーライブ案』は違うってなって。それで、二人で練った。これがその結論だよ」


 いまは言葉が心に、じゃなく、箏爪が顔に刺さりそうだったけどね!


 どうも、先月から、こっそり二人で話し合っていたらしい。

 私が求めるもの、目指すもの、私の癒し。それが何かを。

 そうして出した結論。



「大事な人と、落ち着く場所で温かい時間を過ごす、だよね。梨絵」



 部屋を見渡すと、カーテンには飾りが下がり、イルミネーションがぶら下がっている。蛍光灯も少し明かりを落とした、ウォームカラーになっている。

  

 部屋の中が、どことなく温かい雰囲気に包まれている。



「ありがとう。心から、ありがとう。…私、また彩と一緒に、ステージ立っていいのかな」



 私は泣きそうになりながら、なんとかそれだけを言葉にする。

 彩は、一瞬目を丸くした。

 しかしすぐに、満面の笑みを浮かべた。



「なに言ってんの!私の曲は、梨絵のサポートありきだよ!ライブも収録も、ギターは絶対、梨絵だかんね!」




 ***********************




 結局、彩は翌朝まで飲み、昼過ぎに帰った。

 飲み過ぎた夫は、夜半には私の横で大の字になり、寝息を立てていた。

 私は夫の髪を雑に弄りながら、ずっと彩と話していた。


 私はお酒が飲めない。でも、気持ち良く酔った彩とお喋りしながら過ごす時間は、どんなひと時より楽しかった。


 彩は、まだ酔いが回らぬ時間に、ケーキを前に私と彩の二人が収まった写真を、こんなコメントを添え、SNSにアップしていた。



「Dear 梨絵

 お誕生日おめでとう!!!

 なによりも大切な、宝物のような友達。

 歌だけじゃなくて、お箏も「楽しい」って思わせてくれた大切な恩人。

 私のステージには、必ず隣に梨絵がいます。

 これからも、ずっと、ずうっと!永遠に!」



 既に、100を超える「いいね」がついている。

 私もそっと、その投稿に「いいね」を押した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天才歌姫と凡才奏者。二人は二度と離れない。 伊吹梓 @amenotoriitouge

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ