後半
「老師はなんでサンタクロースみたいな格好をしているの?」
素直は風に負けないように叫んだ。
「私がサンタクロースを真似しているんじゃない。大体、君たちが思うサンタクロースの姿はステレオタイプだ。実際は、この業界だってグローバリゼーションの影響もあって、ダイバーシティが重視されているんだ」
「ステレオタイプって何ですか?」
横から信子が質問をする。
「あと、グローバリゼーションとダイバーシティも」
「すまんな、研究ばかりしていると、周りが何を知っているのか、わからなくなってしまってな。要するに、君たちが見ているのは虚像だってことだ」
信子はきょぞう、と言って難しい顔をしていた。
「私がこの服を着ている理由は、この色をクリスマスのイメージとして持っている子どもたちを喜ばせるためだ」
彼が体を傾け、そりはぐいっとカーブした。
「サンタクロースたちと同じでな」
そりは、街一番のおもちゃ屋さんの向かい側に立つガソリンスタンドの屋根に止まった。
雪トナカイたちは空へ散り散りに駆けだし、大気へと消えていった。
「見えるかな? ほら、君たちが大好きなおもちゃがたくさん並んでいる店だ」
「今は、閉まってる」
信子が喋ると、白い息が月明かりに昇った。
夜中の街は静まりかえっていて、冷たい空気をまとった路地も眠りについているようだった。
「クリスマスプレゼントはどこで作られてると思う?
一. 南極点
二. おもちゃ工場
三. 異次元世界」
老師は和やかな目で、おもちゃ屋さんを見ていた。
素直と信子は顔を合わせる。
「おもちゃ工場?」
老師は満足げに頷く。
「なぜ、おもちゃ工場でおもちゃが作られる?
一. 工場が――」
「おもちゃを作るのがおもちゃ工場だからでしょ?」
信子の言葉に、老師はうーんと唸る。
「まあ、そうだな。だが、三択を最後まで聞くんだよ。いいかい、人は比べるものを持つと、選ぶことができるんだ。つまり、一つのことだけを答えだと思っていると、それ以外のことに気がつけなくなってしまうんだよ。だから、自分が分かっていると思っても、他の選択肢を聞くことには価値があるんだ」
「わかった。じゃあ、三択全部聞く」
「まあ、いつも答えが三つの中にあるというわけではないけどね。これは、効率化を図っての最小限の視野拡大だ」
素直は口をぽかんと開ける。
「すまん。また、難しい言葉を使ってしまったかな? ええとだな、今回は答えを言わせてもらうぞ。答えは、全世界のおもちゃ工場やおもちゃ売り場が、サンタクロースの経営下にあるからなんだ」
素直は思わず笑ってしまった。そんな大きな話があるだろうか。
「じゃあ、クリスマスのために全部建てられたっていうこと?」
彼は白い髭の生えた顎をさする。
「いいや。厳密に言うとそうではないな。おもちゃ工場たちは、建てられた後、クリスマスが近づく度にサンタクロースの傘下に入るんだ」
素直はよくわからず、曖昧な相づちを打ち、黙った。
一筋の風が店の前の雪を散らした。
「君たちはまだ、サンタクロースを信じていないようだね」
「僕は微妙だな」
「私も。老師がいることは信じるけど」
「おお、私のことは信じてくれるのか。君たちのことも信じているぞ」
おほん、と咳き込み、老師が座り直すと、そりは空中に浮いた。
「では、お楽しみの時間だ」
彼は前を向き、目を閉じて、胸の前で大きく手を開いた。
どこからともなくバサッという音がした。彼が振り向くと、そのターンについてくるように、宙に浮いたテーブルクロスが三人の真ん中へと滑り込んだ。そこに載った三つのマグカップには、熱々の湯気が立ったココアが乗っている。
「ココアは好きかい?」
「私、好き」
信子は躊躇することなくココアを手にとった。
このココアはどこから出てきたのだろう。突然目の前に現れたものを飲んでも大丈夫なのだろうか。素直は迷っていた。
「どうした。苦手だったかい?」
「い、いや。僕も好きだけど」
「遠慮しなくていいんだぞ。大丈夫、お代はいらないよ」
ここまでそりに乗ってきたのだし、もう、ここでためらってもしょうがない。素直はカップを手に取った。温かさが手に染みこんだ。
老師はマグカップを手に取り、乾杯と言った。
二人もそれに続き、三人はココアを楽しんだ。
今までに飲んだことのないほど、甘くてまろやかなココアだった。ココア好きの信子はとても幸せそうな顔をしていた。老師も口の周りの髭を茶色に染めながら、ココアを飲んでいた。
三人がココアを飲み終わると、老師はテーブルクロスの端を持ち上げ、カップを包み込んだ。途端に、テーブルクロスは雪の粉に変わり、宙に浮いたそりから下へと落ちていった。
「魔法のココアはどうだったかな?」
「とっても美味しかった」
信子は目をこすった。
「おっと、夜は遅いけど、今夜はもう少し目を開けているんだよ。今から魔法の時間だ」
彼女は頷き、それから僕の顔を見た。
「素直くんは、ココアのお味は?」
「おいしかったけど、やっぱり何か入っていたんだ」
老師はホッホッホーとクリスマスらしい笑い声をあげて、前を向いた。
「そうだ。真実が見える魔法を入れておいたんだ」
彼が手綱を手にすると、どこからともなくキラキラとした結晶が集まり始め、雪のトナカイが戻ってくる。
「これは夢じゃないぞ」
老師がそう言うのと同時に、トナカイたちが一斉に空へ駆け出す。
街中が次第に赤くなっていく。素直はよく目を凝らして、赤い点を見た。それらは動いていた。
「メリークリスマース!」
老師の声が眠る街に響き渡る。
「見て、サンタだよ」
信子は興奮して素直の裾を引っ張った。
「高度を下げるぞ」
街が近づいてくると、その全ての赤い点が家の中にいるサンタクロースの姿だと識別できた。
街中を埋め尽くす赤の正体はプレゼントを届けるサンタクロースたちだったのだ。
二人は目を丸くした。
「サンタクロースはひとりだと思ったかい?」
老師が振り返る。
「こんなにいっぱい。だから、世界中に配ることができるんだ!」
信子の目は街路樹のイルミネーションみたいにキラキラと輝いていた。
「これ、皆のお父さんお母さんがコスプレしてるわけじゃないよね?」
老師は大きな声で笑った。
どこを見渡してもサンタクロースがいた。それぞれが、眠る子どもたちの枕元や、靴下の中や、クリスマスツリーの下へとプレゼントを運んでいる。
「サンタクロースのことを、何だと思う?
一. 魔法使い
二. 幽霊
三. もっと違うもの」
「私、三だと思う」
「僕も」
「なぜそう思う?」
「なんかそんな気がしたの」
素直は、それが一番幅広いから、と答えようと思ったが信子の答えを聞いて言うのをやめた。
「時には直感も大事だ。お前さんたちの答えは正解だ」
「具体的にどんなものなの?」
素直は答える代わりに質問をすることにした。
「具体的な言葉にするのは難しいな。おっと、そろそろ魔法の時間は終わりかな」
街中の光が一つずつ、徐々に消えていく。
薄くなっていく赤の数々は、やがて闇へと変わった。
静かな夜が再びやってくる。
「もう私たちの目には映らないが、サンタクロースはさっきと変わらずに存在している」
彼はそう言いながらそりの進行方向を変えた。
「子どもを喜ばせる、笑顔にする、それがサンタクロースだ」
「何か難しいね」
素直がつぶやく。横で信子があくびをかみ殺しながら聞く。
「希望、とか、夢、とかに近いものなの?」
「そうだな。そんな感じのものに限りなく近いと言えるだろうな。君たちの心の中にも、いつかやってくるかもしれない」
「私の中にはもうサンタがいる気がする」
老師は彼女の言葉に後ろをちらっと見、微笑んだ。
そりは素直の家へと向かっている。たまに行くショッピングモールが下に見える。
「なんで、老師は僕たちの所へ来てくれたの?」
「それは、君たちが真実を知りたがっていたからだな」
「他の子どもたちは?」
「他の老師が行っているだろう。老師も結構数はいるから。ちなみに、三択老師は日本限定だ」
「何で?」
「三択老師っていう言葉が海外じゃ通じないだろう。まあ、中国とかなら通じるのかもしれんが、私は中国について詳しくないからよくはわからない。とにかく、似たような役割の存在はいるだろう」
「ふーん。そうなんだ」
素直は肩に重みを感じた。信子がもたれて眠っていた。
「睡眠薬は入れてないぞ」
老師は冗談めかして言ったが、素直も強い睡魔に襲われ始めていた。
それにしても、今日は信子の見たことのない表情をたくさん見た。いつも教室では、表情一つ変えず本を読んでいるイメージだったから、とても新鮮だった。明日、教室であったら話しかけてみようかな。
「もう二人とも眠ったかい?」
老師は振り向かず、手綱を持っている。
「まだ、ちょっと眠いけど」
どこからか鈴の音が聞こえてくる。
信子のしていた腕時計を見ると、十二時一分だった。
サンタクロースが魔法使いでないのならば、三択老師は魔法使いなのだろうか。
「一. 見えるものを信じるか
二. 見たいものを信じるか
三. ……」
老師はそこで黙った。
「見えないものを信じるか?」
「……いや、この質問は三択にするにはあまりにも大きすぎると思ってな」
眠気が少しずつ視界を侵食していく。
「三つ目の選択肢は自分で探すんだ。信じる、信じないだけが全てでもないからな」
老師の背中がぼやけてきた。細雪が頬を撫でるようで心地良い。
「答えを見つけることが大事なんじゃなくて、答えを探すことが大事なんだ」
「そんなのあり?」
「それが、世界だ」
意識はそりに揺られて、薄らいでいった。
***
温かい温もり。じゅうじゅうと何かを焼く音。
布団の中にいた。
ごそごそと起き上がる。
鏡の前に行くと、昨日のパジャマを着た自分が立っていた。
「おはよう」
リビングでは困った顔の両親がいた。
素直はクリスマスツリーの下へ走り寄った。手紙はなかった。
「手紙は!? どこ?」
今すぐ、老師の文字を確認したかった。
「いやあ、それがね……手紙はサンタさんが持っていたみたいなんだ」
そうだ。あの時、老師に手紙を渡して、そのまま返してもらっていなかったのだ。
これでは確認できない。
「残念ながら、今年はサンタさん、素直の欲しいものがわからなかったみたいなんだ。それでだけど――」
「来年はちゃんと書くよ」
父は素直の反応に驚いた様子だった。
「そ、そうか。そうだな。素直はいい子だし、手紙を書いてくれたらサンタさんもちゃんとプレゼントくれると思うよ。で、今年なんだけど、代わりにお父さんがプレゼントを買ってあげるよ」
「ありがとう」
朝ご飯を食べながら、思考を巡らせる。
たしかに、欲しいものもあったが、今、一番欲しいのは昨日の夜のことについての確信だった。あれは自分の妄想だったのだろうか。それとも単なる夢か。
「あっ」
「どうしたの?」
学校のゴミ箱に、あの紙が捨ててあるはずだ。あそこには三択が書いてあったはず。何か手がかりになるものがあるかもしれない。
「早く学校に行かなきゃ」
「何? 今日から冬休みなんじゃないの?」
素直は机に突っ伏した。
昨日は終業式だったのだ。一日ずっと居眠りをしていたから、印象に残っていなかったが、今日から冬休みだ。
「そんなに学校に行きたいなんて、子どもの頃のお父さんと違って素直は偉いな」
校門は閉まっていた。
ぐらぐらしている柵の間からすり抜け、敷地内までは入ることができたが、校舎に入る入口は職員室近くしか開いておらず、流石にそこから入るのは気が引けた。
しょうがなく街を歩いていると、昨日見た景色に出た。
ここはそりで来たおもちゃ屋前だ。
向かいのガソリンスタンドの屋上に目をやる。そこには冬の青空が広がるだけだった。
屋上の雪にそりの跡が残っているか確かめたかったが、見下ろせるような場所もなければ、もちろん登ることは不可能だった。
諦めきれない気持ちで、顔を下げるとそこには信子がいた。
不思議な感覚に包まれた。
彼女は素直を見て笑った。
***
あの日、サンタクロースはちゃんと素直にプレゼントを届けてくれた。
大人になった今でも、彼はそのプレゼントを持っている。彼はサンタクロースを信じていて、彼の中にはサンタクロースがいる。
サンタクロースを信じているのは素直だけではない。信子も一緒に信じており、たまに三択老師の話もする。
そして、この冬、彼女のお腹にいる赤ちゃんが生まれる。素直と信子の子どもだ。
出産予定日は十二月二十五日。
今年のクリスマスには二人のもとへ、きっと、また、新しいサンタクロースがやってくる。
三択老師 滝川創 @rooman
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