三択老師

滝川創

前半

 今朝はいつもより騒がしかった。

「僕は今年、サンタさんに『ジャンピング・ジョニー・スプリング』のソフトを頼むんだ」

「私はバッグだよ。もう手紙も書いたの」

「俺は野球のグローブ!」

 4年2組の教室を、皆の願望が飛び交う。

素直もとなおは何をもらうの?」

 彼は鼻で笑ってから、皆を見回した。

「僕は、『あなたがいる証拠をください』って手紙を出すんだ」

 教室が静まりかえった。

「それって……素直くんは、サンタクロースを信じてないってこと?」

「それじゃあ、プレゼントがもらえないよ! 信じている子の所にしかサンタは来ないんだぞ」

 周りがガヤガヤ話し始める。まるで、皆が僕を敵だと思っているようだった。

「考えてみてよ。なんでサンタが夜にこそこそ隠れてくるのか。なんで街にいるサンタたちは一緒に写真を撮ってくれるのに、プレゼントを届けるときだけ姿を見せないのか。おかしいと思わない?」

「それは、世界中の子どもたちにプレゼントを届けるために急いでるからじゃない?」

「そんなに急ぐなら、昼間に街でうろうろしてる暇に準備するだろ」

「でも、素直も夏休みの宿題いつも最後の日にやってるじゃん」

「それとこれとは別だって。僕はサンタの正体はきっと――」

「やめなよ、素直くん」

 止めに入ったのは、木下信子きのしたのぶこだった。いつもひとりでいる、長い黒髪の地味な子だ。特に接点も無く、その名前の古くささの印象しかなかったが、彼女が突然話に割って入ってきたことに驚いた。

「せっかくのクリスマスなのに、そんなことで喧嘩しなくても良いんじゃない」

 はきはきと喋る彼女に圧倒されて、素直と周りを囲んだ生徒たちは黙ってしまった。

 彼女はそれだけ言い放つと、椅子に座り直し、難しそうな本を読みはじめた。

 開かれた本の間から小さな紙が床へ落ちた。それを拾うためにしゃがみ込む。

「あ、雪だ!」

 クラスメートのその声で、皆が一斉に窓際へ押し寄せた。素直は生徒たちの向こう側にちらちらと降る雪を見た。

 知ってしまったのだ。雪が水でできているのだと。ただ、雨が固まってできたものであるということを。

 振り返ると信子は雪に脇目も振らず、本を睨み付けていた。拾った紙を渡すと、彼女は怪訝な目でこちらへそれを突き出した。

「これ何?」


 一. 見えるものを信じるか

 二. 見たいものを信じるか

 三. 


 紙にはこう書かれていた。

「いや、君の本から落ちたんだけど」

「あ、そうなの。これ、私のじゃないよ」

「捨てとく」

 素直はそれを受け取り、教室のゴミ箱へ捨てた。

 彼女はもう本に釘付けだった。素直には、彼女がサンタクロースに何を頼んだのか、想像もつかなかった。



 ***



 布団の中に潜る。いつもだったら、そわそわして眠れないはずなのに、今日はあまりに落ち着いていた。去年、クリスマスイブに、ネット通販のページで欲しいものを見ていた。すると、そこに購入履歴が標示された。その時、知ってしまった。誰かが、通販を通して、自分のプレゼントを買っていることを。

 その年、なかなか眠ることができず、夜中に一階へ降りた。クリスマスツリーの下にあの時、購入履歴がついていたおもちゃが置かれていた。サンタクロースへの疑いの気持ちを持っていたにもかかわらず、プレゼントが置かれていたことで、疑いはより確かなものへとじわじわ形を変えていった。だがしかし、これはサンタクロースの優しさなのかもしれない、という僅かな希望も消えきることはなかった。この疑いも多めに見て、今年はプレゼントをくれたのかもしれない。

 しかし、来年も信じているふりをして、プレゼントが届くとは思えなかった。だから、いっそのこと、サンタクロースにその存在自体を尋ねてみようと決めた。手紙は書かなかった。クリスマス数週間前から、両親は手紙を催促してくるようになった。欲しいものの候補だけでもないかと尋ねてきたとき、自分の持っている疑いを打ち明けてしまおうかと迷った。しかし、それをしたら、本当にサンタクロースは来なくなってしまう気がして、まだ、自分の中には、いて欲しいという気持ちが残っていると分かった。だから、このことは本人に直接聞くまで、黙っておくことにした。


 そして、今、ツリーの下に手紙を置き、ベッドの中で鈴の音が聞こえないか耳をすませている。

 部屋の掛時計から、クリスマスの近づく音が聞こえる。

 今年のクリスマスイブはいつもと違って、沈んだ夜に感じられた。

 素直はベッドから出て、カーテンの裏側へと回った。窓ガラスが息に白く曇った。触ってみると、手に冷たい水滴が流れた。窓の外は暗く、空には冬の星空が広がっていた。よく目を凝らしてみたが、トナカイやそりらしきものは見当たらない。

 素直は足音を立てないようにして、両親の部屋の前へ行った。息を潜め、耳を傾けるが、音はしなかった。

 静かに、静かに、階段を降りた。クリスマスツリーは暗い部屋をキラキラと照らしていた。その様子は我が家で唯一クリスマスを全力で楽しんでいるように見えた。

 手紙はその場に置かれたままで、部屋の家具の位置もさっきと変わっていない様子だった。時計を見ると、十一時五十五分だった。あと五分でクリスマスだ。結局眠れなかったのだ。いつの間にこんな時間が経っていたのだろう。十二時になる瞬間まで、見張っていようと考え、椅子に座った。

 素直はすぐに暇を持て余し、手紙を手に取った。

 もし、サンタクロースが現れたら、手渡ししようかな。

 そこで、手紙に身に覚えのない文字が書かれていることに気がついた。

「なんだ、これ……」

 暗闇に慣れてきたとはいえ、内容までは見えなかったので、ツリーに近づき、その光で手元を照らした。

 自分のメッセージの下、そこには一から三までの数字が並んでおり、そこに文章が書かれていた。


 一. このままここで朝を待つ

 二. 布団に戻る

 三. 玄関を出る


 こんなもの、誰が書いたのだろう。お父さんやお母さんが書いたとは思えないし、素直は一人っ子。つまり、他の誰かが侵入して書いたとしか考えられない。

 足元に細心の注意を払いながら、玄関へと向かう。

 自分の家にいるというのに、いつもの家ではないような気がした。玄関ドアののぞき穴に、恐る恐る目をつける。

 何もない。雪で白みがかった玄関先の道があるだけだ。

 両手でゆっくりとチェーンを外し、鍵を開ける。ドアを開けると、別世界のような透き通った空気が流れ込んだ。左右を警戒しながら、ドアを出る。

 やはり、表は何の変哲も無い、いつもの風景があるだけだ。

 ドアの閉まる低い音に驚き、振り返る。そのままちょっとの間固まり、再び外の景色に目をやった。

 そこには奇妙なものがあった。

 巨大なそりと、それに乗る赤い服の、立派な白い髭を生やした老人。目をこすってもう一度見たが、間違いなく、それは家の前、歩道のど真ん中に停まっていた。

 老人はそりの運転席で、湯気の立ち上るカップをすすっていた。そりは四人用で、他の席には何も置かれていない。運転席の前には綱がつながっているが、すぐ先で地面に垂れていた。

 老人の首が、突っ立ったままの素直に向けられる。

「何してるのかね? お前さんが呼んだんだ。さあ、どうする?」

 何が起きているのか分からず、声を発さない素直に老人は立て続けに話しかける。

「君はサンタクロースを信じていないのだろう? 『イエス』か『ノー』、若しくは『よくわからない』のどれかで答えるんだ」

「よ、よくわからない」

「うむ、やはり二択は良くない。二極化は極力避けるべきである。間をさらに細かく設定することもできるが、それはそれで効率が良くない。だから、中間にもうひとつの選択肢を用意するのが適当かと思ってな」

 何が起きているのかわからなかった。振り返った数秒間に、これらはどうやって現れたのだろうか。この格好は、もしかして本物なのだろうか。

「これはおじさんが書いたの?」

 素直は手紙を渡した。

 どれどれ、と言って彼はその手紙をじっと見た。

「そうだな、これは私の字だ。私が書いたよ」

 老人はその手紙をポケットにしまった。

「では、本題に入ろう。君はどれを選ぶ?

 一. これからも疑うことなく、信じ続ける

 二. 今年で信じることをやめ、プレゼントと夢をあきらめる

 三. 真実を知る

さあ、どれだ」

「急にどれって言われても……」

 風が吹き、パジャマ姿の素直は身震いした。

「ちなみに、三の場合、オプションで服を着てくることも可能」

 彼は再びコップを口に付けて、熱そうに唸った。

「何をぼけっと見ているんだね? 決まったかな?」

 この人はサンタクロースなのだろうか。

「おじさんは不審者じゃないの……?」

 素直の問いに、老人は激しく咳き込んだ。それから、口元を腕で拭った。

 こんなに慌てるのはおかしい。しかも、サンタクロースならばトナカイを連れているはずだ。

「おいおい、そんな直球な質問に、違うと答える不審者はいないぞ。私はサンタクローシだよ」

「サンタクロースじゃなくて?」

「そうだ、サンタクロースではない。三つから選ぶ三択に、先生という意味の老師で三択老師だ。気軽に老師と呼んでくれ」

 彼は何度も説明してきたように、スラスラと言葉を並べた。しかし、何者なのかは説明を聞いてもよくわからない。

「老師は、何の先生なの?」

「普段は大学の教授に紛れて授業をしているんだよ。ほら、それよりも、三択から選んでくれ。

 一. これからも疑うことなく、信じ続ける

 二. 今年で信じることをやめ、プレゼントと夢をあきらめる

 三. 真実を知る

 さあ、どうする?」

 どれが正解なのだろうか。素直は信じることを諦めていたが、こんな不思議な老人に出会っては、サンタクロースがいてもおかしくないような気がしてくる。だからといって、これから疑わずにいられる自信はなかった。そして、最後の真実を知る、だが……。

「真実を知るっていうのはどういうこと?」

 老師の眉毛がピクリと動いた。それから、白い髭の中に大きな赤い口がにやりとあらわれる。

「その質問をするっていうことさ」

 彼はそりから垂れた手綱を手にし、席に座り直した。

「よし、さあ準備をするんだ。クリスマスが来る前に出発しなくちゃならないからな」

 素直はよくわからないまま、部屋に戻った。パジャマを脱ぎ捨て、暖かい服に着替える。何が起きているのか理解できなかった。不思議なのは、頭が追いついていないのに、心はウキウキしており、それは去年までのクリスマスと同じものだったということだ。

 時計を見ると、まだ十一時五十七分だった。突然の出来事に混乱した脳内では、時間の流れる速度がおかしくなっているようだ。

 急いで玄関に戻り、ドアを開ける。

 そこにあるのは、いつもと同じ玄関先の景色で、さっきまでのそりは形跡もなく消えていた。瞬きをしてもう一度よく見回すが、老師はきれいさっぱりいなくなっていた。

 なんだ、ねぼけただけか。

 あんなにどきどきしていた自分が馬鹿らしく思えた。こんな、すぐに信じ込んでしまうようだから、自分は両親にずっと騙されてきたのだろう。

 想像以上に落ち込んでいる自分がいた。素直はコートに丸まって、ドアノブに手をかけた。

「おい、どこに行くつもりだ!?」

 背後から、老師の声が聞こえた。

 いつの間にか、再びそりが現れていた。驚くことにその後部座席には乗客が増えていた。

「素直くん、こんばんは」

「どうして君がここに?」

 木下信子は困った顔で、老師の方を見た。

「お前さんと同じだよ。サンタを信じていないからだ」

 素直はそりに乗り込み、彼女の隣に座った。

「てっきり、君は信じているのかと思ったよ」

 自分の話を遮った今日の態度からして、サンタを信じる派の人間だと思っていたのだ。

「違うよ。私はただ、わざわざ皆の夢を壊すことなんてないでしょう、って止めたの」

「おふたりさんは知り合いだったようだな。では、出発するぞ」

 彼は手綱を手に取り、大きく振り上げた。

「トナカイがいないのにどうやって飛ぶの? というか、なんで空を飛ぶのにトナカイなのかもよくわからないけど」

 素直の質問に、老師は振り返って、あきれた顔をした。

「お前さんは、疑いが多いな。『素直』と書くのに『もとなお』と読むからすなおでないのか? それこそ、すなおに『すなお』という読み方で良かったんじゃないか?」

 素直はむっとして言い返した。

「人の名前に文句を言わないでよ。大体、つけたのはお父さんとお母さんだし。僕にはどうしようもない」

「ああ、そうか悪いな。別にご両親を馬鹿にしているわけではないんだ。ただ、気になってしまったものでな」

「名前のことはいいから。なんでトナカイがいないの?」

 老師は頭をかいた。

「最近はねえ、動物保護の団体がトナカイに重い荷物を運ばせることに対して、抗議をしていてね。トナカイたちは仕事が減ってしまっているんだ」

 彼は少し考えてから素直と信子を交互に見た。

「そんなにトナカイがいて欲しいのか。最近はもっと便利なテクノロジーがあるというのに。それならば、次のうちから一つ選んでもらおう。

 一. ジェットで飛ぶ

 二. 無重力装置で飛ぶ

 三. トナカイで飛ぶ

さあどうする?」

 映画に出てくるような言葉が並べられて、困っていると、横から「三!」と元気な声が聞こえた。

 信子は目をキラキラさせて、前のめりになっていた。学校では見たことのない表情だった。

「そう言うとは思っていたがな。そら、いくぞ。ちゃんと掴まってるんだよ」

 老師が手綱を振り下ろすと、雪が舞った。白い粉はグルグルと回転し始め、その渦が次から次へと分裂していく。それぞれの渦が大きくなっていき、そして、全てが同時にふっと消える。

 そこに残されたのは、真っ白な雪でかたどられたトナカイたちだった。雪トナカイは出発したそうに、蹄で雪を蹴った。

 老師が、もう一度手綱を振ると、トナカイたちは一斉に走り出した。ゆっくりとそりが浮き上がり、地面が遠ざかっていく。

 素直と信子は顔を見合わせて笑った。

「しゅっぱーつ!」

 老師のかけ声とともに、そりは天に向かってすべり出す。

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