第3話

その日、大夢が消えた。



大夢の母親から、深夜遅く電話が来て、「大夢を知らないか」、そう言われた時、全身の血の気が引いた。


そして、あの奇妙な女の姿が頭に浮かんだ…



ワタシは気づいたら、家を出て、おばあちゃんちに向かっていた。


出て、しばらくしてから、部屋着のままで、コートも羽織ってないことに気づいたが、取りに帰る時間もおしかった。




こんな時間に、寝てるかも…


おばあちゃんの家の前に来てから思い至ったが、玄関のドアを叩く前に、スッと開いた。


そこに立つ、おばあちゃんは、悲しげな表情の中にワタシを見つめる優しい瞳があった…



その瞳を見た瞬間、ワタシの目から、涙がこぼれた。



泣くつもりは無かったから、自分でも驚いて手の甲で拭う。


が、自分の意思とはうらはらに、あとからあとから涙が溢れてきて、止まらなかった。



「おばあちゃん…」


だが、ワタシが何か言う前に、おばあちゃんが、毅然とした表情で言った。


「山に、行ってはならんよ」


「でも…」


「ダメだ。おばあを、一人ぼっちにする気かい?」


おばあちゃんが、ワタシの頬に手を当てる。


「いいかい?うちに帰って寝るんだ。いいね?」


有無を言わさない、その強い語気に、ワタシは肯くしかなかった。


「…わかった…」


ワタシは踵を返し、おばあちゃんちをあとにした。


家に着いたワタシは、出来る限り、服を着込んで寒さに備えた。


家にいる気など、さらさら無かった。


懐中電灯を探し出し、リュックに入れ、雪用のブーツを履くと、ワタシは山へ向かった。


途中タクシーを使い、山の麓で降ろしてもらう。


いぶかしげな顔をされたが、「登山部の合宿で、皆先に行ってワタシを待ってるんです」、そんな説明で、納得した顔で去っていった。



懐中電灯をつけ、山に入る。


真っ暗な山の中では、懐中電灯の明かりなど、ほとんど無意味だ。


頼りない明かりは、足元しか照らせず。


例え、すぐ隣に誰かがいてワタシを凝視していたとしても、気づくことが出来ないだろう。


闇に震え、何度も足を滑らせながら、それでも山道を前へ進む。


少しは木に遮られるものの、雪は絶え間なく振り続いている。



やがて、猛吹雪になり、さすがに足を止めざるをえなくなる。


寒さで全身の筋肉が固まり、動くことが出来ない。


もう、ここまでか…



大夢、ほんとにゴメン。


どうしてワタシは、いつもあと少し力が足りないのだろう…



自分の不甲斐なさに、涙が出そうになった、その時。


一瞬、雪が途切れ、すぐそばの崖に、ポッカリと空洞があるのが、滲んだ視界ごしに見えた。


すぐに雪が大量に降ってきて、視界を遮る。


まるで、ワタシから、空洞を隠すように。



そんな、見えない天の意志に逆らうように、ワタシはさっき見た空洞のほうへ、力を振り絞り歩を進める。



ふいに、雪が止んだ。


いや、後ろを振り返ると、視界を真っ白に覆うように、雪は降り続いている。



ワタシは、洞窟の中へ入ったのだ………


洞窟の中は暖かいのではないか、そんなワタシの予想を裏切り、外よりも冷え冷えとし、寒々しい空気が漂っていた。



どこまで続いているのか。


頼りない懐中電灯の明かりでは、奥の暗闇をうかがい知ることが出来ない。


高さニメートルほど、横幅一メートルぐらいの、押しつぶされそうな圧迫感におののきながら、ゆっくりと洞窟を進んでいく。


突然、激痛が脳天を襲い、ワタシはうずくまる。


「痛ぁ…」


声に出さないと、耐えきれないほどの、痛み。


頭を触ると、血が滲んでいた。


慌てて上を見ると、大量のツララがぶら下がっている。


地下水が染み出たものが、凍ったのだろうか…



ワタシはリュックを肩から下ろすと、頭に乗せて、先へ進む。


………


どこまで行っても、終わりが無い。


もしかしたら、大夢があの女に囚われて、ここに閉じ込められているのでは…


そんな思いから歩き続けていたが、もう限界だった。


しばらく、ここに座って休もう。あと、数歩進んだら…



その時、懐中電灯の頼りない明かりが、前方の床に転がる何かを捉えた。



それが何か分からず、ワタシは本能的に立ち止まり、懐中電灯で照らす。



懐中電灯の鈍い明かりでは、距離が遠く、判別がつかない。


動く気配が無いので、ワタシは安心し、数歩近づく。



…靴の裏だ。


白いスニーカーの。


ワタシの心臓が、ドクンと強く脈打つ。


急いで近づく。


そこから伸びる足がはいているのは、うちの高校の制服…



駆け寄り、顔を照らす。


「大夢!」


ワタシは懐中電灯を地面に置き、大夢の肩を揺する。


白目をむき、気絶しているようだ。


「大夢!起きて!」



…だが、その時、ワタシは気づいてしまった。


かじかんだ、感覚の無い自分の手でも分かった。


彼の体が氷のように冷たいことに……



「嘘…、嘘だ…お願い大夢、目を覚ましてよ…」


大夢の体を揺すり続けるワタシの足が、床に置いた懐中電灯に当たり、大夢を照らす角度が変わる。



大夢の顔を、正面から明かりが照らす。



ワタシは見てしまった…


大夢の口に、雪が詰め込まれているのを。



そして、白目をむいてると思った…



それは、目玉では無く、眼窩に押し込まれた、真っ白な、雪だった……



ワタシは力なく立ち上がり、よろよろと後ずさる。


こんなの、現実じゃない。


こんな現実、見たくない。


こんなことが、現実であっていいはずが無い。



…背中に、薄ら寒い気配を感じ、振り返る。




そこに、あの女が立っていた。


舞うように、回りだす。


洞窟の中なのに、四方から、雪が降ってくる。


それが、大夢と、動けずにいるワタシの上に、降り積もっていく。




「………ン、…………ス…………………」


女の声なのか、低い、つぶやきが聞こえてくる。



「…マ…………、ス……………マ…………………………ン…」



女の長い髪が乱れ、一瞬、顔が覗く。



その顔は、セピア色の写真の中にあった、おばあちゃんの若い頃に、似ていた…


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雪神 砂野秋 紗樹 @goichido

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