エピローグ2


「――あれっ」私の口から呆けた声がこぼれる。


 ハッとなり、視界に意識が行く。土くれの地面、ざわめく木々、人気のない閑静なその場所。見慣れた光景が私の目に映っている。ここは私の家の敷地。神社の境内。


 帰巣本能って恐ろしいな。私は無意識のうちに足を動かし、帰路を辿っていたらしい。ちなみに、石造りの鳥居が見るも無残に瓦解してしまった事案について、神主である私の父は大口を開けて仰天していたけど、私は素知らぬフリを通した。


 ボーッとしていると、私の脳内に記憶のイメージが流れ込んでくる。


 この場所で柳楽くんは、私をかわいいと言ってくれた。二回も私を抱きしてめてくれた。私の胸を……、生で見たいと言っていた。私の頬が紅潮していって――、急速に冷める。


 さっき見た柳楽くんの泣き顔が、安寧に満ちた声が、桃色に塗れた私の自意識を上塗りしたんだ。ふいに、目に映る景色が邪魔になる。環境音がノイズと化す。何も見たくない、聞きたくない。私はその場でうずくまって、両腕の中に狐面をしまいこんだ。


「……私は、とんだ大うつけ者だな」


 咲月さんと柳楽くんは、長い年月を経て紡がれた深い深い絆で繋がっている。二人だけの世界が、既に構築されているんだ。ぽっと出の私なんかが割って入り込む隙、一寸もない。


 さっきの柳楽くんを見て確信した。柳楽くんが世界一大切にしている女性、彼が特別視している女性は、咲月さんなのだ。私では、ない。


「――ぐぅっ……ッ!」


 私は寂しくて、悔しくて、恥ずかしくて……、気づいたら涙が出ていた。

 人面鳥に威嚇されようが、巨大ミミズに五体の自由を奪われようが、土人形に背中を殴られようが――、決して出なかった涙がいとも簡単にあふれ出した。


「……最初から、その気がないなら、思わせぶりな事しないでよ……ッ!」


 恨み節を吐き出す。そうでもしないと耐えられない。心が斬り裂かれて、悲鳴をあげていた。


 柳楽晴。なんだ。なんなんだあの男は。……貧乳に目がなくて、私の胸を生で見たい?

 想い人がいながら、よくそんなことが言えたものだな。

 よく、あんなにも優しく、私の背中を抱きしめられたものだな――

 私は顔をあげることができない。立ち上がることができない。全身に、力が入らない。


 このまま一生こうしていようか。いっそ身体が風化してしまえばいい。そんな心地にさえなっている。……柳楽くんに、彼に、『この世界からいなくなるな』と、身勝手に要求していた私がこの様だ。私は彼に、今更何を言う権利もない。


 もう、狐面の呪いとかどうでもいいや。私のような稀代の変態が、人並みに恋をしようという姿勢がまず間違っていたんだ。

 私は所詮、狐。妄想の世界で、自分自身を化かし続けているくらいが、お似合い――


「えっ、式部。もしかして泣いてんの?」


 背後ろから、ボソボソと覇気のない口調。聞き覚えのありすぎる声が。

 私の全身が跳ねあがる。そのままガバッと振り返ると。


「や……、柳楽くん?」


 私が今、この世界でもっとも会いたくないその人が、肩で息をしながら前屈みになっていた。

 私は焦ったように彼から視線を逸らして。


「……な、泣いていないよ。というか、なんでわかるのかな? 私は狐面をしているんだよ」

「それは」上体を起こした柳楽くんがすっとぼけた声で「……あれ、なんでだろう。なんとなくそう思って」

「……なんだい、それは」私は身体を反転させて、彼に再び背を向ける。


「キミは何でここに来てしまったのかな。咲月さんを……放っておいては駄目だろう」


 私はなるべく平静を装って、努めて冷静な振りをした。けれどどうしても、少しだけ声が震えてしまう。


「何でって」柳楽くんの困惑したような声。

「咲月はベッドに寝かせたから、とりあえずは大丈夫だよ。後でまた様子見に行くけどさ。それより式部、キミこそどうしたんだよ。急にいなくなったりして」


 ……だ、誰のせいだと思ってッ――


 全身の血流がマグマのように熱くなった。彼の無神経に全神経を逆なでされた私は、思わず語気が強くなる。


「どうもしないよ。私なんか、お邪魔だろう」

「……お邪魔? 何言ってんの?」


 相変わらず柳楽くんはトボけた態度を崩さない。前々から鈍感だなとは思っていたけど、ここまでくると無頓着はもはや暴力だ。ブチッ、ブチブチブチッ。私の中で何かが切れる。


 私は振り返って彼を見た。私の顔面は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだが、彼がそれを知る術はない。私は鬼気迫るオーラでも纏っていたのだろうか。私を見た柳楽くんがギョッと肩をすくませている。そして私は、溢れんばかりの怒声を。


「……だから、いくら私が『色欲』に塗れた変態女だったとしてもね。想い合っている二人の中を引き裂く気はないし……、自分が惚れた相手の抱擁シーンなんか見てられないって、そう言っているんだよッ!」 


 私はハァハァと肩で息をしていた。そして同時にこうも思っていた。


 やって、しまった。醜態をさらしてしまった。私と柳楽くんを繋いでいた拙い糸、私はそれを自らの手で断絶してしまった。


 私が想いを打ち明けなければ、彼とはまだ、友人として交際できたかもしれないのに。

 ……いや、どのみち無理かな。散々キスしたいとか宣っていたのだ。コレで気がないなんて言い張れる道理はない。

 もう、何もかも終わりだよ――


 私の胸中に暗雲が立ち込めて。


「――あっ、そういうことか」


 柳楽くんはのん気にも、手のひらをポンッと打っていたりする。


 なんだ。何が起こっている。何かがおかしい。私の頭にひとかけらの冷静が戻ってきた。

 さっきからなんか、会話が噛み合っていないような――


 柳楽くんが、いつもの眠そうな目をしながら、ボソボソとこぼすように。


「言ってなかったっけ。咲月は僕の、妹だよ」


 私の目が丸くなるのは必然だった。



 眼前の式部が硬直した。狐面に隠された彼女の素顔がどうなっているかなんて想像するくらいしかできないけど、たぶん彼女は、目を丸くしている。


「……えっ?」途方もなく呆けた声をあげた式部が。

「――エェッ!?」水平線の向こうまで響きそうな仰天を叫ぶ。


「あ、あれ……、同い年って、言っていなかったっけ?」

「――ああ、僕たち双子なんだよね。二卵性の」

「……苗字が違うじゃないか! 咲月さんは、確か『桐原』と――」

「――僕らが中学の時に両親が離婚したんだよ。母親の浮気が原因で。父親が僕を、母親が咲月を引き取ったんだ。『桐原』は、母親の方の旧姓」


 眼前の式部がポカンとしていた。やがて彼女の肩がワナワナと震え始めて――


「そういうの最初に言ってよッ!?」


 膝から崩れ落ちた彼女が、両こぶしで地面を叩きつける。……いや、ゴメンって。


「っていうか、それよりもさ」


 式部は死闘を終えたボクサーの如く白くなってはいるが、僕は彼女の回復を待つ気はない。先に叫ばれた彼女の怒声。その言葉の中に、あまりにも気にかかる一言が含まれていたから。


「さっき、僕のこと『惚れた相手』って言ってなかった?」


 訊いた。直球に。ありのままに。

 一切の遠慮を持たなかった。僕はそういうのが苦手だから。


 白くなっていた式部の肩がビクッと震える。彼女はおずおずと立ち上がり、もじもじと身体をくねらせながら「――言ってないよ」

 さも当然の如く、嘘を吐く。


「いや、それはさすがに無理があるよ」

「――だ、だって……ッ!」式部が両手を振り回しながら地団駄を踏み始めた。

「キミと、咲月さんが……、兄妹だなんて知らなかったから、私、か、勘違いして――」


 今度は頭を抱えて頭を左右に振っている。式部は相変わらずリアクションがでかい。

 ……なんだか面倒臭くなってきたな。取り急ぎ僕は、この場を収めようと。


「まぁ、ちょうどいいんじゃないかな」コホンッ。形式ばったような咳払いを挟んで。


「僕も、式部のこと、好きだし」


 トリッキーすぎる式部の告白に対して、僕は自分の気持ちを返した。


「……へっ?」壊れたロボットのように頭を振り回していた式部が、ピタリ硬直して。

「……えっ? えっ?」混乱した声を漏らし、じーっと僕を窺い見て。

「――エェェェェッッ!?」本日何度目かもわからない仰天と共に、ずぞぞっと僕に近づく。


 式部が僕の両肩をガシッと掴んだ。興奮している彼女が力の制御などできるはずもなく、肉に指先がくいこんでめちゃ痛い。


「そそそそそうなのッ!?」

「……そ、そうだよ。っていうか僕だって。好きでもない相手の生乳見たいとか、そんな節操のないこと言わないよ」

「な、生乳の時点で大分節操ないと思うけど」


 ふぅっ。僕は大仰に息を吐き出した。どうやら僕は知らぬ間に呼吸を忘れてしまっていたらしい。全身が熱い。……まぁそりゃ、好きな相手に告白したんだから。ドキドキして当然か。


 でも僕の眼前には、僕よりもはるかな熱量を全身に帯びる式部の姿。彼女の耳は今にも溶け出しそうだ。僕は彼女を救済するべく、再びふぅっと息を整えて。


「式部、僕から提案がある。大事な話なんだ」


 僕はなるべく平静な声でそう言った。身体を忙しなく動かしていた式部だったが、僕の真剣に気づいたらしく、直立の姿勢に直る「……なんだい。改まって」


「僕も式部と、その……、恋人同士っていうか、そういう関係になりたいと思っている。でもやっぱり。キミの狐面の呪いを解くのが先だと思うんだ」


 式部は黙っている。真っ白な狐面に装飾された赤く細い目で、僕の顔をジッと。


「僕はキミの呪いが解かれた上で、キミの素顔をちゃんと見た上で――改めて言いたいんだ。キミの、どんなところを好きなのか。僕にとってキミの存在が、どれほど大きいものなのか」


「柳楽、くん……」ポツンとこぼれ落ちた彼女の声は、どこか恍惚としていた。

「だからさ」両掌をギュッと握った。今はたぶん、僕の正念場って奴だ。


 僕は式部の狐面をまっすぐに見た。


「狐面の呪い。一緒に解こうよ。僕も手伝うから、残りの心魔をさっさと斬ってしまおう。それが終わったら僕たち――キスを、しよう」


 式部もまた、僕の顔をまっすぐに見つめている。

 狐面で素顔を覆い隠す彼女。でもこの時ばかりは、式部の顔面は恋に焦がれる乙女そのものに成り下がっていることだろうと、さすがの僕でも察することができる。


 古今無双の女子高生――式部紫乃を突き動かし続ける原動力。彼女の『エゴ』

 彼女に惚れている僕としては、それに付き合ってやるのが筋ってもんだろう。

 でも、だったらさ。


「そんで、キスしたあとに、式部の生乳を見せて欲しい」


 僕の『エゴ』にも付き合って欲しい。僕がそう思うのは、至極当然だよね。


「えっ」式部が素の声を漏らす。ロマンティックのかけらもなく。

 たぶん彼女は今この瞬間、恋に焦がれる乙女そのものから一介の女子高生に成り上がった。


「式部、一応言うけど、僕は真剣だ」

「あっ、うん。だからこその、えっ、なんだけどね」


 式部は口元に手をあてがい、思案を開始する。僕にくるりと背を向けて、ゆっくりと足を動かし、僕から距離を離す。僕には彼女の行動意図をはかることができない。僕にできることといったら、彼女からの返答を待つ。それだけだ。


 彼女が足を止めて、約一メートル先の位置から首だけをコチラに向ける。

 僕はゴクリと唾を呑み込んだ。そして式部が、妙に艶っぽい声で――


「……見るだけで、いいのかい?」



 えっっ



 宇宙の理に触れたことはあるだろうか。

 人類の創生に立ち会ったことはあるだろうか。

 歴史が変わる瞬間を目撃したことはあるだろうか。

 僕は今、それらと肩を並べる高揚を感じている。


 僕を司る六十億以上の細胞が喝采した。

 僕は両腕を振り上げて雄たけびをあげていた。

 齢十七年の歴史の中で僕は今、最も『生』を感じている。


 近くの式部が呆れたように笑っていた。その姿は存外、愉しそうでもある。


 僕なんか、この世界からいなくなってしまえばいい。少し前までそう考えていた僕だけど、あえて言おう。産まれてきてよかった。

 僕の人生だ。生きる理由なんて僕が勝手に決めてやる。僕は式部の生乳を見るまで、この手で――触れるまで、絶対に死んでなんかやるものか。

 異論は認めるし、否定をしてくれてもかまわない。けど。


 邪魔だけは絶対、誰にさせる気もないぜ。




-fin-







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【長編】接吻×チャンバラッ!! ~狐面の彼女は赤面を隠し切れない~ 音乃色助 @nakamuraya

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