もう一つの これまでの世界。これからの世界。

 その機械は地中の奥深く、膨大な空間でただひとりでに点滅をしていた。誰もいない空間で。だれも知り得ない空間で。


 数千回に及ぶ失敗の赤を乗り越え、ただ一つの緑を生み出していた。


 その緑が機械のある部分を無機質に照らしている。

 

 

    世界演算装置

    世界の希望をこの女神、マキナに載せて


                    研究員 宍戸


 その装置は今日この瞬間まで、ただ粛々と世界を仮定し、演算しつづけていた。木っ端微塵に崩れ去った世界の裏側で。


 この世界はすでに戦争で滅びていた。3度目の世界戦争は、あれだけ丁重に扱っていた遺産を。あれだけ美しいとあがめていた自然を。人類の英知をことごとく破壊し尽くしたのだ。


 その時の人類は皆こう感じていた。「また過ちを犯してしまった」と。

 

 死の灰が降り積もるようになった世界で人々は考え始める。真の平和とは何なのか。なぜ人は差異を恐れ、認めず、自分だけが分かるように考えを統合しようとしてしまうのか。全ての人が認め合い、真に平和な理想郷は作れないものなのか。これが出来ないから、人類は同じ過ちを犯してしまうのだろうか。


 そしてある人は思い浮かんだ。真に平和な理想郷はどのようなものか、それをネズミで実験した人がいると。


 Universe 25。ネズミにとっての理想郷。脅威や飢餓の無い環境下でネズミたちはどのように発展するのか。

 

 まず完全に食物連鎖から隔絶された環境に8匹のネズミを放つ。その空間はネズミにとって最適な環境。水も食料も保証される空間。まさに思い描く理想郷だ。その空間でネズミたちは何不自由なく生活し、自身が思い描くまま生殖を繰り返した。その結果、8匹から始まったネズミの人口は600匹にまで増加した。


 600匹に到達したそのとき、ある異変が起きる。ヒエラルキーの完成だ。ネズミ本来が持つ縄張り意識が影響し、空間内のあちらこちらにテリトリーが出来る。そしてそのテリトリーに入ることが出来なかったネズミは「のけ者」にされた。のけ者は下に、支配者が上に。ヒエラルキーが出来た事で、明確な上下関係が生まれてしまった。


 そして異変は徐々に大きくなっていく。優れたテリトリーに所属した鼠は、下層の鼠に攻撃的になるようになった。まるで弱いものいじめをするかのように、それを敵だと思い込み、異様なまでの攻撃性を体現するようになった。格差は徐々に大きくなっていく。


 格差が大きくなっていくように、歯車の狂いも大きくなっていく。ネズミの増殖は止まらない。出生率は多くなっていく。あれだけ小さかったネズミの社会は2000を超える第集団と変化していた。そしてヒエラルキーの増大も止まらない。迫害されたネズミは殺されるようにもなった。やがて迫害されたネズミは逃げるように小さなスペースにまとまり出す。まるで人のスラムのように。


 安寧の歯車は狂い始めていた。追い込まれたのけ者達は異常行動を取るようになった。生物として非合理的な、子孫を残さないことに意欲的になったのだ。スラムのネズミたちは何に対しても無気力で、目の前につがいがいたとしても、その体を動かすことは無くなってしまった。そして追い込んだネズミたちも狂い始める。攻撃性は歯止めを知らず、ありあまるその殺意の牙を自分の子孫にも向けるようになった。


 そしてそこにあったはずの平穏は崩れる。生まれたネズミは自分の親に追い出され、ただ生きているだけのスラムに逃げ込む。そこで子孫を残すことを知らずに殺されていく。理想郷は壊れてしまった。死亡率が出生率を上回ったのだ。子どもを作るのはヒエラルキーのトップのみ。生まれた子どもは親に追い出され、そして惨めな下層のネズミとして子孫を残さず死んでいく。


 こうしてUniverse 25 は完全に崩壊した。安全な理想郷は、同種の敵意によって滅ぼされたのだ。


 そして化学者はまた間違える。異常を排し、攻撃的にならないように適度な的を用意すれば世界は上手く回り続けるのではないか?


そして作りだした。世界全てを演算するAI、世界演算装置を。


 悲劇を繰り返さないために、世界の人口をAIで管理した未来社会を想定し、そこでAIで管理された社会がどういった結末を迎えるのかを演算をすることにしたのだ。


 化学者は一つ目にこう仮定する。社会が一つであるのなら、戦争なんてものは起こりえない。ならば一つにしてしまえば良いのではないかと。統一国家の完成だと。


 次にこう仮定する。望ましい考え以外は、社会全体で摘んでしまえばいいのではと。こうして新たな世界には、絶対的な管理体制が必要だ。


 そして最後にこう仮定する。誰もが皆安全で安心できる社会を望んでいる。生物が持つ残虐性は誰も制御できない。それならば的を用意してやれば良い。傷つけられる的を。


 全てが管理された社会、運命も、希望も。そして、残虐性を向ける的も。化学者はそれらを全て叶えた世界をこの装置の作りだした。そして再現をさせた。人類が平和に生きることが可能なのか。そして上手くいった暁には、演算装置に保存した「その世界」を構築し、次人類を復活させようと。


 これからの世界の運命を決める演算装置に希望を乗せて、かつて愛した人の名前をつけて。


 しかし結論は全て失敗に終わっていた。


 何百何千何万何億と演算を繰り返しても、その世界が迎える終幕は悲劇。演算装置の一部が真っ赤に転倒している事がそのおびただしい失敗を証明している。管理された社会が平和な世界を作ることはついぞ無かった。


 世界中の全ての人類の死体が土に還った時、自己完結するようになった演算装置はある仮定を導き出した。

 

 人間が持つ力を強く反映させたのなら、世界はどうなるのだろうか。


 そこで特異点を生み出した。「勇気ユウキ」と「ラスカ」を反映した人物キャラクターを。


 そして演算を開始した。新たな物語デクトリアはどのような結末を迎えるのか。


 結果として「勇気」と「愛」は支配を砕き、機械仕掛けの女神様すら魅了して見せた。世界を変えたのは絶対的な管理体制ではなく、人の可能性だった。人間は間違える。だがその過ちを記録して、やり直すことも出来る。人類史はやり直しの連続だ。そこに神様の横槍なんて必要ない。彼等の物語は、それを証明して見せたのだ。


 ただ一度の緑は、存続可能な証。何一つとして変える必要は無かったのだ。人は間違え、そしてやり直していく。そこに絶対的な支配は関係ない。自分の心に従う。それがたとえ間違えだとしても。この新しいいつもの世界は全てが自由だ。職も恋人も、そして運命さえも。神様なんていない。あるのは自分の心だけだ。自分たちは心に従う、いわば心に従順な機械仕掛けの人形だ。そして、神様こころの絶対的な管理体制はこれからも、これからずっと続いていくのだろう。


 もうこの機械も朽ち果てるだけになった。世界はきっと上手くいく。おびただしい赤色の結末を迎えないとは限らない。しかし、それでも、緑色の未来は、何度もやり直すことで必ずやってくるのだ。そしてそれを繰り返すのは、演算装置じぶんではなく、人類にんげんだ。仮想世界はもう作らなくて良いのだ。


 この結論に達した演算装置は自分の電源を切りにかかる。自分の役割は終わったんだ。自分を作りだした研究員は笑ってくれるだろうか。


 けたたましく響いていた駆動音が徐々に勢いを無くしていく。それはもう自分が再び動くことはない事を暗に示していた。


 まぶしかった光がまぶたを下ろすように弱くなっていく。まるで、今際の人間がその生涯に幕をおろすかのように。その生涯に悔いは無かった。役割は果たしたのだから。


 今を生きる人類に希望を残すかのように、緑色の光が最後に消え、この空間は真っ黒な世界に落ちていった。

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