春来ず

「僕が死んだら、あの桜の木の下に埋めて欲しい」

 穏やかな日曜日の昼下がりのことだった。古民家の縁側に佇む小さな君はそんなことを呟いた。

「急にどうしたんですか」

 洗濯物を嫌々畳んでいる私は君に問う。君は庭にある大きな一本の桜をじっと見つめているようで、全く顔を見せない。背中の哀愁だけが私に伝わる。桜にはまだつぼみもついていない。「早く桜が咲くといいですね」家事に目を戻し、私はくしゃりと潰れた布巾を掴み雑に伸ばす。

「あぁ、ほんとに」


 二年前、祖母が死んだ。齢九十を超える、大往生で私たちに悔いはなかった。

 晩年、祖母は云った。

「もし私が旅立ったら、あの桜の下に、私の亡骸を埋めて下さい」

 それが祖母の願いなら、と私の両親たちは納得していたが当時の私は祖母の考えが理解できなかった。

「なんで、桜の下で眠るの」

 そう、一度尋ねたことがある。桜が散り始めていた時期だった。祖母はとても穏やかな表情で応えた。

「桜が美しいのは、その下に遺体があるから……ではないけど、でも、死んだ後も美しく愛おしいものの側にいられたらとても素敵なことだと思って」

 おじいちゃんには申し訳ないいけどね、と笑っていた。私はなんとなくわかったような、わからないような表情をしていたと思う。薄桃色がひらひらと舞っていた。

 それが、祖母が見た最後の桜だった。


 日が暮れ、赤い太陽が西の山に沈んでゆく。洗濯物をしまい終えた私は、まだ縁側にいる彼に伝えた。

「そろそろご飯にしようか」

君がむくりと黒い身体を起こすと共に、チリン、と鈴の音が鳴った。


 

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短編 搗鯨 或 @waku_toge

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