年明けこそ鬼笑う
野森ちえこ
鬼の姫と人の願い
むかしむかし、ある里に見目不思議な娘が生まれました。
肌と髪は抜けるように白く、両の目はそれぞれに、朱と青緑に染まっている。
神の化身か妖魔のたぐいか、はたまた呪いの子か。
あまりにも美しく奇異なその姿は、とても人の子とは思えません。里の人々は皆いちように恐れおののきました。
しかし幸か不幸か、その恐怖心が娘を守ることになったのです。
人知の及ばない存在を害したらなにかよくないことが起こるのではないか。つまり、娘に危害を加えたら自分たちに災いが降りかかるのではないかと、里の人々はそう考えたのです。そう思わせるほど、娘の姿にはある種の凄みのようなものがありました。
ですが、危害を加えないかわりに、娘とかかわろうとする者もまたひとりもおりませんでした。両親ですら娘を恐れ、最低限の寝床と食料を遠巻きにあたえるだけだったのです。
見た目がほかの人々とちがう理由は本人にもわかりませんでしたが、娘は神でも妖魔でもなく、なにか特別な力があるわけでもない、ごくごくふつうの人間でした。
なぜ自分だけこのような姿なのか。
誰も、言葉すらまともにかわしてくれない。
さみしくて、かなしくて、もう死んでしまおうかと思いつめていた娘のまえに、たいそう美しい銀髪の青年があらわれました。
「おまえが望むのなら、鬼にしてやるぞ」
朱色の着物によく映える、腰まで届く銀色の髪をきらめかせた青年は、鬼族の若者でした。
よくよく見ればなるほど、ひかえめな三角がふたつ、頭部から突き出ています。
しかし突然『鬼にしてやる』といわれた娘はひどく困惑しました。望むもなにも、そのようなことは考えたこともありません。
それはそうです。ずいぶんと横柄な責任転嫁をしたものですが、なんのことはありません。この銀髪の鬼は娘にひと目惚れをしてしまったのです。
鬼は『シキ』と名のりました。
娘はそこでまた困ってしまいました。彼女には名のる名がなかったのです。
シキは悩むそぶりもなく、娘を『姫』と呼ぶようになりました。まるで、そう呼ぶのがあたりまえというような自然さでした。
人を喰らう鬼。嫉妬や憎しみなど負の心を糧とする鬼。ひと口に鬼といっても、その性質はさまざまです。
シキは人の『願い』をたべる鬼でした。
最初は困惑しかなかった娘ですが、自分を恐れずに話し、笑いかけてくれるシキに、しだいに好意を抱くようになりました。生まれた瞬間から人々にうとまれ忌避されつづけてきた娘にとって、相手が鬼だということはさほど問題ではなかったのです。
しかし半永久的に生きる鬼と人とでは、時間の流れが決定的にちがいます。
娘は永遠の命になど興味はありませんでしたが、自分を拒絶しつづける人間でいることにも意味を見いだせずにいました。
「この里の者どもの願いはまずくてかなわん」
あるとき、シキは吐き捨てるようにそうこぼしました。
娘が自害でもしてくれればいい。さもなければ里から出ていってくれないものか。
人々からそう思われていることは、シキと出会うよりずっとまえから娘自身感じていたことです。
とうとう、娘は決断しました。
「一緒に、連れていってくださいますか」
そういったときの、シキのうれしそうな顔を、娘は生涯忘れることはないだろうと思いました。
シキは鬼族であることに誇りを持っていました。
対する娘は、人でいることに価値を感じたことなど一度もありません。
娘が願うのは、シキと共に生きること。
自分が鬼となることでそれが叶うのならば、ためらう理由などありませんでした。
そうして娘は正真正銘、鬼の姫となったのです。
△
シキとおなじ、願いをたべる鬼となった娘はたいそう驚きました。ほんとうに、願いに味があったのです。
シキが里の者たちの願いを『まずい』といったのは比喩などではなく、文字どおりの意味でした。
鬼がたべた願いが天に届くことはありません。しかし、たとえ天に届いたとしてもすべての願いが叶うともかぎりません。天もたいがい気まぐれなのです。
鬼がたべようが天に届こうが、さしたるちがいはないのかもしれないと娘は思います。すくなくとも、人に区別がつくとは思えません。
なぜなら、ほんとうにおいしい願いをたべたとき、鬼もまたその礼として願いを叶えてやることがあるからです。
おいしいものをたべると幸せな気持ちになるのは、鬼も人と変わりません。
もっとも、鬼には偏食家も多いので、なにを『おいしい』と感じるかはそれぞれです。
娘などは苦すぎてたべられないような、悪意に満ちた願いを好む者もいれば、日常的にたべるにはくどすぎる、悲しみがあふれだしているような願いを好む者もいます。
ちなみにシキは、口のなかが砂糖まみれになりそうな甘い願いが大好物です。
△
娘が鬼の姫となってから、いくつもの時代が流れました。
そのあいだには、奇っ怪な見た目のせいで差別されている、むかしの自分とおなじような人間がいることも知りました。
どれほど時代が変わっても、人の本質というのはなかなか変わるものではないのかもしれません。
だからこそ、なのでしょうか。
人の願いは、つきることがありません。
なかでも新しい年が明けたときは、ほかにくらべようがないくらい、たくさんの願いが集まります。
抱負、目標、希望、祈り。
スナック菓子のような願いもあれば、胃にずしんとくるような、こってりした願いもあります。
ときには、姫がたべたら食あたりを起こしそうな、毒キノコのような願いもありますが、それすらも鬼の嗜好によってはごちそうになります。
姫が好む願いが多く集まるのも、年明けならではかもしれません。
それは『今年こそダイエットが成功しますように』とか『彼氏の浮気グセをなおしてください』とか、願う本人もほとんどあきらめてしまっているのではないかと思うような、やる気もなければかわり映えもしない願いごとです。
とりあえず年が明けたから願っておこうというような、気だるい味がクセになるというか、どこか懐かしい――定番とでもいうのでしょうか。心がほっとするような味がするのです。
人だったころ、姫は笑顔を知りませんでした。自然と笑ってしまうような幸福とは無縁の場所に生まれ育ちました。
それがシキと出会って、鬼の姫となり、今では人の願いをたべては無意識に笑みをこぼしている。
姫は時々、それがすごく不思議に思えます。
「おーい、姫! そろそろ出発するぞ」
新しい年が明けるたび、シキと姫は日本全国津々浦々、神社仏閣食めぐりの旅に出かけます。境内は天のテリトリーなので足を踏みいれることはできませんが、願いのエネルギーに干渉できるところまで近づければ問題ありません。
今日はシキの大好きな、甘ったるい願いが集まる縁結びの神社に行く約束をしているのですが。
「まだ夜中ですよ」
「いいじゃないか。早いに越したことはない」
そわそわと落ちつかないシキは子どものようです。
「ほら、行くぞ」
「はいはい」
思わず笑ってしまいながら、姫はそそくさと歩きだしたシキの長く美しい銀髪を追いかけます。
甘いものは姫も嫌いではありません。
小走りでシキのとなりにならんだ姫は、その端正な顔を見あげました。
ときには鬼が恋のキューピッドになるのだと知ったら、人はどんな顔をするのでしょう。
想像するとなんだかおかしくなってきます。
「姫は今年も楽しそうだな」
「ええ、とても」
「それはよかった」
シキがうれしそうに頷きます。
姫の顔からまた笑みがこぼれました。
(おしまい)
年明けこそ鬼笑う 野森ちえこ @nono_chie
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