追憶の部屋

理山 貞二

追憶の部屋

 テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。

 間もなく戦争が始まる。ある国への制裁措置を皮切りに、軍事大国同士の総力戦が避けられなくなった。外務省、経済産業省ほか、あらゆる省庁の予測課の公式見解だから間違いはない。

 こんなに早くはなかった。しかし前はいつと言っていたか思い出せない。昨夜の壮行会で痛飲した酒が残っている。どうせなら戦場で最期を迎えたい、と前線行きを志願した後輩を見送ったのだった。

 嫌な宴会だった。おしまいまであんたたちと一緒に居たくない、送り出した当の本人が言った。きっぱりとそう言った。だから二次会には誘わなかった。宿舎の部屋で、親しい仲間とだけ飲んで、若い奴らのことを明け方まで愚痴った。だから朝食はろくに腹に入らず、酒臭さを隠すためにミントのガムだけ噛んで、制服に着替えて配送用の特殊車両に乗りこんだところで堪らず二度寝してしまった。


 ――だらしないなあもう。


 娘に脇腹を小突かれた。

 違う。娘はもっと優しい。操縦士のみなみの仕業だった。すでに配送車はリフトに乗って、タワーマンションの壁面を上昇している。最初の対象者の住所に到着しのだ。

 足腰の衰えた老人たちは、昔ならば低階層を好んだはずだ。だが今はできるだけ高階層に住むのが当たり前になっている。マイカーも地下駐車場ではなく、リフトで居住階まで運び、張り出したベランダに停めるシステムだ。いつの間にかこんな建築スタイルが定着した。それも道理で、眼下では市街のほうぼうから煙が上がっている。やけっぱちの暴動か、単なるお祭り騒ぎのつもりなのか、気の早い連中がすでに終末活動しゅうかつを始めているようだ。

 リフトが目的の階に到着すると、バルコニーでは老婦人が到着を待っていた。顔認証とIDカードによる照合が終わるや、すぐ使って欲しいのです、手伝っていただけますか、と言う。

 厳密には薬を届けるまでが仕事だが、配送指示は二人分で、彼女の配偶者であるというもう一人の本人確認が必要だった。量産が進んだとはいえ、薬はまだ万人に行き渡る状態ではない。受給者のなりすましがあったとか、犯罪者に奪われたとかいう事例も耳にしている。

 こちらです、と案内されて部屋に入ると、車椅子に乗った老人が居た。何事かを呟きながら、ひたすら両手を振り回している。消毒薬の匂い、高野豆腐の卵とじの香り、それらが混ざった介護施設独特の匂いだ。夫人が急かす理由がわかった。もう一人の対象者は認知症を患っていたのだ。やっと来てくれましたよ、という妻の顔さえもはや分からないようだった。

「緊急措置だ。急ぐぞ」

 暴れる老人を南に押さえつけてもらい、薬の梱包を開いた。アンプルを割り、中の薬剤を注射器に採る。

「規則ですので、注射は奥様の手で行ってください」

「わかっております」

 婦人は慣れた手つきで老人の腕に針を突き立てた。注射器のプランジャーが押し込まれるにつれ、老人の身体が痙攣し始めた。泡を吹き、頬を引きつらせる夫の耳元で、彼女は語りかける。

「小学校の校庭でのことを覚えていますか。二人で泥団子をつくったでしょう。あのときの泥団子、私ずっと持ってたんですよ。貴方が東京から帰って来るまでに捨ててしまったけど、今度はちゃんと取っておいて、見せてあげますね」

「ご臨終です」

 老人の脈をとり、死亡確認を告げる。

 待ち合わせの場所を伝えたのです、と夫人は涙ぐみながら言った。

「この人はちゃんと逝けたでしょうか。私のことを覚えていてくれるでしょうか」

 さあ、そればかりはなんとも、と形式通りの返答をしようとした南を遮って言う。

「大丈夫ですよ。仮にすべてお忘れであったとしても、貴方が教えてあげればいいのです」

「これまでもそうしてきたつもりでした。二人で支え合って、ここまで来たのです」

 夫人は我々に向き直り丁寧に礼を言った。

「ごめんなさいね。前回よりかなり早く認知にんが来てしまって。お手間をとらせてしまいました」

「あなたも、すぐに処方されますか。薬は誰かに奪われないとも限らない。我々としては、早めのご使用をお勧めします」

「いえ、もう少し待って、今回の終末を見届けようと思います」

 夫人はまた頭を下げた。


「なんでこの国は、老人ばっかり優先するんですかね」

 次の配送地に向かう途中で、ぽつりと南が言った。

「老人のほうが長い時を生きているからだ」

「理屈では分かっているつもりですけど、気持ち的にはどうもね。コロナの時もそうだったけど、なんでいつもいつも老人が先なんだろうって」

「コロナのことを覚えているのか?」

「ええ。東日本大震災のことも、アメリカの同時多発テロのことだって覚えてますよ」

 なあんだ、そういう君も相当な歳だったんじゃないか。

「若い奴が過去にさかのぼっても、できることは少ないからな」


 ――その薬、私が飲んでもあまり意味がないってこと? 

 ――お前が飲んだって、試験勉強をやり直す羽目になるだけだ。あるいは、クラスメートにまたいじめられるか。


 薬理作用は未だに解明されていない。分かっているのは、脳の全ニューロンを発火させ、投与された者を死に至らしめること。被験者は死の直前、これまでの一生を走馬灯のように追体験すること。そしてその記憶と人格が大脳側頭葉のトランジェント電位に乗って、過去へ送信されるということだけだ。

 学者の説によれば、脳の情報は時間と空間のあらゆる方向へ発信されるが、それを正しく受信できるのは、全く同一の構造を持った脳に限られるらしい。だから結果として、過去の自分自身が、あるいは過去そっくりの時空に居る自分自身が、あるいは過去そっくりの時空に居る同一の脳構造を持った誰かが、たまたま同調できたときにその記憶を引き継ぐことになる。

 つまり被験者の立場からすれば、いつの時代に戻るかは運次第ながら、死んだ瞬間に過去に戻って、未来の記憶を持ったまま人生をやり直すことになるわけだ。


 この薬はいろいろな名前で呼ばれている。政府としては緊急避難剤という名前を定着させたいようだ。だが老人は自決剤と呼んでいるし、もっと若い連中は転生剤と呼んでおり、その名が定着しつつある。


 ――それって異世界に転生できるって噂があるからなんだよね。

 ――仮にできたとして、転生した者がこっちに還って来るか? 戻ってきたとして、そいつの話を信じられるか?

 

 これまでの個人的な体験でも、別人に生まれ変わったり、全く違う世界に行けたことはない。戻る場所は必ず自分自身の過去であり、記憶との細かい相違はあるものの、それは記憶違いか、先に過去に戻った誰かが改変したものとして説明できた。南もそうだが、自分と同じ前世の記憶を持つ者も多い。各省庁の予測課が、ある程度正確に未来の出来事を公表できるのもそのためだ。

 もしかしたら本当に異世界転生できた者も居るのかもしれない。しかし多くの人間が、共通して経験した未来から、共通して経験した同一の過去の一時代へと再生している。それは間違いない。そして前世の記憶をもとに現状を変えようとしている。それも間違いない。


「ああいう悲劇を最小限に食い止められたのも、その時代にそれなりの権力者だった人間を送り返せたからだ。もし世の中がこうなってしまったのが彼らのせいだと言うなら、きちんとやり直させる為にも年長者から支給する。建前としては正しい」

「私ね、最初がどう始まったかも覚えているんです。あの人たち、責任を取ってくれるようには見えなかったですけどね」

「だから建前としては、だ」


 あれはもう何回前の人生になるだろう。世界の終わりが人知れず迫っていたある時、自分には前世の記憶がある、という男が現れた。当然、最初は誰も信じなかった。だが、終末へのカウントダウンが一年を切ったとき、――そう、後から考えれば正確にその一年後に第三次世界大戦が起こった――学界や財界、政界の大物たちが、奇妙な薬を使って次々に自決していったのだ。それと同時に、前世の記憶があると称する者が世界の各地で続々と名乗りを上げた。そして、彼らの行為は転生剤を使った抜け駆けだと暴露した。


「あのとき薬を貰い損ねた奴らの中に、将来起こる地震のことを正確に覚えていた奴がいたのが幸いだった。それで政府も本気で開発と量産を進めたわけだ」

「まあ、既得権益を増やす方向ならみんな喜んで動きますよね」

「悪い事ばかりでもない。転生者が過去に持ち込む情報のおかげで、科学はだいぶ進歩しただろう。COVIDだって未然に抑えられたんだ。犯罪も冤罪も抑止できているし、医療や防災の技術革新も以前とは比べものにならない。薬の増産だって進んでいる。そのうち国民全員に支給できるようになるさ。いや、それ以上の可能性だってあるかもしれない」

「あなたが前言ってたブレークスルーってやつですか」

「そうだ。未来の技術を過去にフィードバックすることで、これまで生まれてこなかった技術革新だって起こりうる。こんな薬を使わなくても、誰でも好きな世界に行けるようになるかもしれない。それこそ、若い連中のお望みどおりの異世界にでも」


 さっきと同じ学者がこんな事も言っていた。人間の想い出や記憶といったものも、実はどこかほかの場所から送信された情報を受け取っているだけなのかもしれない。過去や、


 ――あるいは異世界からの。

 ――お父さん、それってどういうこと?

 ――それはつまり――


「住所の建物に入りました」

 どこか遠くで、ずしん、という終活の爆発音が聞こえたような気がした。しかし配送車の後ろでシャッターが下りると外の音は聞こえなくなった。到着したのは、やはり先ほどと同じ構造のタワーマンションで、そして南はまだ、何か言いたげな顔のままだった。

 リフトで上に運ばれながら気づいた。ここに住む人たちは、もう自分の車を階下に置けないんだ。地下の駐車場なんかに置いたら、何をされるか分からない。だから個人の持ち物をできるだけ手元に置く。そうやってなんでもかんでも根こそぎ自分のところに持っていこうとするから、ますます下の世代から憎まれるんだ。


 ――結局、持っていけるのは想い出だけなのにね。

 ――いつか、そうではない日が来る。ブレイクスルーさえ起これば。


誠司せいじさん、着きましたよ」

 南に呼ばれて慌てて車から降りた。


 ベランダは無人だった。ドアサッシにはカーテンが降りていて、室内の様子はよく見えない。しかし勝手口のドアが少しだけ開いている。一応、インターホンのボタンを押してみたが返事はない。

「様子がおかしいですね」

 勝手口に近づいて中を覗く。三和土たたきには子供用のサンダルが一足、きちんと揃えて置かれていた。

 どこかで見覚えがあった。

 壁には絵が掛かっている。肌色と黒色のクレヨンがぐるぐると塗りたくられ、中央には赤い逆三角形の口。

 母親の絵だ。

 振り返り叫んだ。「南、逃げろ。早く」

 そこで地面から衝撃が来た。身体が一瞬浮いて、コンクリートのベランダに叩きつけられた。身を起こそうとしたが左足は空を蹴る。ベランダの床面の一部がなくなっていた。振り向くと、配送車が南を乗せたまま沈んでいくところだった。車体はリフトを支えるシャフトにぶち当たり、一階層下のベランダを突き破ってなおも転落していく。

 しがみついていた床の中で何かが折れる音がした。爆薬がまだ残っているかもしれない。南の行方を追うのを諦めて、勝手口から室内に飛びこんだ。

 轟音はしばらく続き、やがて途絶えた。


 カーテンを開けると、割れたガラス越しに午前の陽光が部屋全体に射し込む。学習机とベッド、本棚のある子供部屋。壁にはアイドルグループのポスターが貼ってある。ベッドは綺麗にメーキングされており、枕の横に鎧兜を被った猫の縫いぐるみが座っている。机の上にはノートパソコン、こちらはアニメ声優の壁紙の上に、アイコンが乱雑に散らばる。

 ピアノも置いてあるが、あの子が弾いているのをあまり目にしたことはない。パソコンでSNSに興じるか、ベッドに寝転がってスマホの動画を眺めているのが常だった。部屋の隅には通販の段ボールが束ねて置いてあり、にやけた口元のような企業ロゴが見える。どんなものを買ったのかは決して教えてくれなかった。


 階下でいちど地鳴りが響き、部屋の空気をわずかに震わせた。それに呼応するように、ごく近くで怪獣の咆哮のような音がした。

 事実、それは怪獣の咆哮だった。有名だった怪獣映画からのサンプリング。母親からの電話に対して、あの子がふざけて着信音をそのように設定したのだ。

 もっと正確に言えば、それは懐かしい怪獣映画に似せた効果音に過ぎない。

 音は学習机から聞こえる。空っぽの引き出しの中に、スマートフォンがあった。

「気に入ってもらえた?」

 通話に応じると、予想通りの女の声が言う。

「ガーファーだったかな。それともファンガムだったっけ。懐かしいでしょ」

 林檎のマークをあしらった白いスマートフォンは、ざらざらした手触りだ。別の会社の機械に3Dプリンタから削り出したボディを貼り付けたものらしい。

「もとの住人はどうしたんだ」

「ちょっと前に片づけちゃった」

「こんなものを作るためにか」

 縫いぐるみは手作りだ。ポスターのアイドルの一人はよく観ると絵で、彼はこの人生ではデビューしなかったようだ。段ボールのロゴは油性インキで描いたものらしい。パソコンの画面に至っては、アイコンを含めて一枚の画像でしかないのだろう。

 転生剤がある程度まで普及したこの時代では、将来どんなものが売れるのか、何がヒットするのか、企画する側も投資する側もすでに知っている。予め成功を約束された製品も人材も、大手企業が次々と囲い込み、無名の起業家がイノベーションを起こす機会を奪っていった。 

 一方、それほど力を持たない転生者たちは、宝籤たからくじやギャンブルが大した稼ぎにならないことを知ると、前世の発案者より先にブランドやキャラクターを商標登録することで儲けようとした。だから生まれ変わった次の人生では、同じブランドイメージを目にすることは稀だった。よほど古いか、力のある企業でない限りは。

「いったい君は何がしたいんだ」

 また地鳴りがして、声をうわずらせる。

「何度も話したでしょう。あの子にもう一度会いたい。だからこうやって環境を整えているんじゃない」

「それは無理だ。君だって覚えているだろう」


娘へ

 間もなく戦争が始まる。お前が辿り着くまでにこの町は空爆され、母さんは死に、父さんは重傷を負うだろう。その後の世界でお前が生きていくうえで、自分が足手まといにしかならないことを、父さんは既に知っている。だから薬を使うことにした。

 支給分をお前に与えることも考えたが、それが無駄なことさえ知っている。前世では、せっかく託した薬を、お前は瀕死の私に対して使った。お前自身は決して知ることはないが、そのときのお前の苦悩を考えると今も心が痛む。しかしお前は、今生こんじょうもきっとそうするだろう。お前はそういう子だ。

 私だって、伊達にお前を二度も育てているわけではない。お前がいつそんな決断をするかも承知しているから、それより先にお前に注射することも考えた。できないと分かっていることで悩むなんて、歳はとりたくないものだな。子供は親より長く生きるべきだ。たとえその先にどんな未来が待っていようと、お前が死ぬところは見たくないし、ましてや自ら手にかけるなど論外だ。だから今回は母さんと先に行く。

 過酷な世界しか残してやれなくて本当にすまない。過去に戻ったら二度とこんなことが起こらないように、お前たちが辛い思いをしなくていいように力を尽くすつもりだ。

 お前は最高の娘だ。お前のような子を持てたことを私も母さんも誇りに思う。もし時間の神様がいて、その方が気を利かせてくれるのなら、またお前の親であれる時代に戻りたい。

 

 時はそれを許さなかった。


 そう、企業でさえ存続が難しいのに、親が自分の人生をやり直してしまったら、自分の子供が生まれる前の過去に戻ってしまったら、生まれるはずだった子供は決して生まれなくなる。やり直せるかもしれない。新しい子供を作れるかもしれない。しかし同じ子供ではない。同じ卵子と精子が出会える確率など皆無なのだから。

「じゃあ、あの子はどこに行ったの」

 ずしん、ずしんという規則的な音が響く。

「あの子のことだ。きっと自力で薬を手に入れ、人生のやり直しをしているだろう。あの子自身の人生だ」

 仮にそうであったとして、行けるのは自分が存在する過去しかない。それはこの時間軸とは違う場所だ。そこはあの子だけが行ける異世界、ちゃんと両親が居て、あの子を守っている世界だ。そこに入る余地はなかった。 

「納得できない。あの子に逢いたい」

「けど、こんな部屋で私と一緒になったって、あの子は還ってきやしない。それよりもっといい方法があるはずなんだ」

 ふん、と鼻で嗤う声が電話の向こうから聴こえた。

「あんたが前に言っていたブレークスルーってやつ?」

「そうだ。転生者がフィードバックするおかげで、科学技術はどんどん進歩している。そのうちに他の時間軸に行く方法だって見つかるかもしれない」

「それって具体的にはどんな方法なの?」

 答えられないことを彼女は知っている。

「そんな時間があるとまだ思っているの?」

 そして冷やかに言い放つ。

「もう気付いているんじゃないの。前の終末はいつだった? どんどん終末は早くなっているんだ。何故だと思う?」

ずしん、ずしん、地鳴りがさらに大きくなる。

「上手くいかなかったからってすぐリセットする奴が増えているんだ。将来のことを考えないで、自分たちの代だけ楽しんで、後の世代を見捨てる奴が増えているんだ。今度の戦争だって、債務不履行による信用恐慌が原因でしょ。誰かがほんの少し未来に繋げる努力をしなくなったら、世界はそれだけ早く滅びてしまうんだ。だから駄目でもなんでも、私たちはあの子を呼び戻さなければならないの」

 猫の縫いぐるみが倒れ、ノートパソコンの蓋が閉じた。部屋が揺れ始めた。

「終末がどんどん早くなって、死んでいるはずの人にまで転生剤は適用されるよ。大企業への集約が進んで、格差だってますますひどくなる一方だ。あんた、最初はキャリア組だったはずよ。今じゃ薬のおこぼれに預かるために、配送の仕事に就いている。次もその職にありつけると思う? それにあんた、今年でいくつになった? いつまで薬の支給を」

 銃声が響いた。

 巨大なてのひらのような影が窓を覆った。配送車として使用している特殊車両SRIVの多関節付属肢だ。いったん転落したものの、マンションの外壁をクモのように伝ってここまで這い上がってきたのだ。この踏破性能が無ければ、瓦礫で荒れ果てた市街地を抜けることすらできないだろう。

 ハッチが開いて、南が駆け寄って来た。

「誠司さん、大丈夫ですか」

「なんとかな。女はどうした」

「隣の部屋に居ました。止むを得ず、射殺しました」

「案内してくれ」

 隣の部屋では、戦闘服を着た女が倒れていた。握りしめたスマートフォンは、娘とお揃いの機種で、やはりざらざらした手触りに違いなかった。

「なんでこんなことしたんでしょう。誠司さん、この人知っていますか?」

 

 女の顔を見る。これからも人生をやり直すたびに、彼女に付き合うことになる。それを乗り越えなければならない。転生剤が支給される地位にとどまり、いずれ起こるブレークスルーを見届けねばならない。改めてそう思った。

 だがそんなものが本当に来るのだろうか。アメリカやソ連の首脳たちはあんなに強権的だったろうか。たしかソビエト連邦はこの時代にはすでに崩壊していたのではなかったか。転生を繰り返すたびにテクノロジーは進化しているが、それだけ世界の終末も早くなっている。アンドロポフとケネディの睨み合いは、越えてはならない一線を越えてしまった。いつかは自分が生まれる前に終末が来てしまうのではないだろうか。


 どうしたら、またあの子に会えるのだろうか。


「誠司さん、聞いていますか?」

「いや、会ったことはない。初めて見る顔だ」と答えた。それは少なくともこの時間軸では真実だった。かつて妻だったこともある女の顔は、記憶よりも若かった。

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