ツツジと残響

真花

ツツジと残響

 空が白い。どこまでもその白さは続き、照らされる街もまた白く、その影は闇を知らない青さ。僕は走る。激しい、生命をそこで燃やし尽くそうとする紅のツツジの道を、走る。太陽が登れば彼女は行ってしまう。空気が肺を冷やす、心臓がそれを跳ね除けて、僕は何度でも足を踏み締める。眠る若葉の並木を通り抜ける。

 誰もいないロータリーの奥で駅舎だけがその内側から、ぼう、とした灯りを漏らし、その駅舎ですら白い。きっと僕も白いのだ。乱れた息を整えながら入場券を買う、改札を潜る。人気のない構内を走る。彼女がいる筈のホームへの階段を駆け上がる。

月子つきこ

 やはり真っ白なホームに、ツツジと同じ紅い色をした月子が立っていた。電車はまだ来ていない。後ろを向いていた彼女は僕に向き直って、一瞬強気な笑みを見せた後に、急激にそれが弱まって、むしろ微かに不安げな顔になる。足元には大きな黒いキャリーバッグ。彼女はその持ち手を左手で探して、握って、離した。僕は彼女の許に駆け寄りたい、でも、その仕草を見て、足と拳にグッと力を入れて、耐えた。

晴哉はるや

 声には彼女にもまだ迷いがあることが映っていた。ここは白い。それはまるで何もないようで、君にとっては狭すぎて、でも、だからってもう行かなくちゃいけないなんて思えない。僕は、僕はどうなるんだ。拳にもっと力を込める、その力が決して彼女を逃さないように。視線が二人を渡す、僕の想いはその道を通じて彼女に届く。でも、君はその視線を外した。そして電車のいない線路を見る。それが別れの意志を表しているみたいで、僕の胸に一気に言葉が溢れる。

「本当に行くの?」

 彼女は初めて気付いたように僕の方を向く。僕の全てを検分して、もう一度この目を見詰める。

「行く。もう決めた」

 胸を撃ち抜かれる、それはちょうど彼女に恋をしたときと真逆の方向に。僕は唇を噛み、大きく息を吸って、吐く。行かないで欲しい。都会で歌で成功するなんて夢物語だ。どんな人間がいるか分かったもんじゃない。十七の女の子じゃ危険がいっぱいだ。どうやって生活するんだ。……違う。そんな理屈じゃない。

「僕は、……行かないで欲しい」

 彼女は首を振る、目を閉じて。月子にだって怖さはあるし、迷いもある、きっとそうなのに、目を開いた彼女の表情にはしっかりとした覚悟が乗っていた。

「私は行く。私は歌う。必ず歌姫になる」

 そう言って、彼女は、zarameの「blue sunny」を歌う。二人でよく聴いたバンド。きっと一生聴き続ける歌。僕と彼女以外の誰もいないホームに、真っ白な空の下、彼女の声が響き渡る。それは空間の全てを埋めて、彼女の歌に僕の命が包まれる、でも、そこには確固たるサヨナラが含まれていて、だけど僕への想いも、彼女の決意も。

 声に抱き締められている内に、僕の拳は緩み、まなじりから涙が溢れる。

 月子の歌。

 響きの中、彼女は歌い終える。

「私は歌姫になる」

 それでも行かないで欲しい。僕のために行かないで欲しい。だけど。胸の中から湧き上がる感情と、歌によって呼び起こされた気持ちがぶつかり合う。

「……でも、僕は、月子の歌が好きだ」

 彼女は嬉しそうに、世界が救われたかのように、微笑む。

「ありがとう」

 だからって置いてけぼりでいいのとは違う。違うのだけど、……彼女が歌いたいことを止めたくない。止めたくない、けど、サヨナラなんて嫌だ。嫌だ。……嫌だ。でも、僕が好きな月子の、夢を邪魔したくない。胸がグッと押される。また唇を噛む。握った拳の中に汗が滲む。彼女をじっと見る。

 僕は息を吸う、だけどそこにどんな言葉を乗せたらいいのかが分からない。

 空は白い。遠くから電車が滑り込んで来る。僕も月子もそっちを見ない、僕達は見詰め合っている。彼女の唇がそっと動く。

「晴哉、好きよ」

 僕の止まりかけていた涙がまた溢れる、視界が滲むのが嫌で拳で拭う。電車のドアが開く。

「でも、もう行かなきゃ」

 彼女を止められない。もう、僕の悲しみはいい、伝えなくちゃ、最後に。

 僕は彼女に数歩近付く、だけど手が届かない距離。

「月子」

 彼女はそのままの姿勢で僕の声を待つ。

「負けるな」

 俺も負けない。口を引き結んで、この瞳にその意志を乗せる。彼女はコクンと頷く。

「負けない」

 彼女は笑って見せるけど、僅かな涙、キャリーバッグを持って、乗車する。振り返ってドアの内側、僕と目を合わせてもう一度頷く。

 発車のベルが鳴る、ドア閉まる。

 やっぱり行かないでくれ。挫けそうになる気持ちを奮わせて右手を挙げる。彼女も右手を胸の高さに挙げて、小さく振る、電車が動き出す。僕は手を掲げたまま、自然に、勝手に、電車を追いかける。彼女は同じ場所に立って、手を振り続ける。電車は加速する、僕は取り残されて、彼女は行ってしまった。

「俺も負けない」

 彼女は行ってしまった。また涙が溢れて来る。

 ホームの端から見えるこの街の白さが、昇りゆく陽光で金色に染められてゆく。僕の耳には彼女の歌がまだ響いている。


(了)


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