第10話 黒猫がもたらす幸せ*村田圭吾の場合 ②

 チェストの上には、小さな骨壺と紗子がピアノを弾いている横顔のポートレートの写真が飾ってある。


 癌、それもステージⅣだという告白から、たった半年でこうして、小さな壺に納まっている紗子に一言文句も言いたくなる。


 だいたい我慢強いんだよなママは……。


 昔、包丁で切った小指を明日もレッスンがあるから病院なんて行かないと言い張ってたよな。そんなママを何度も説得して、夜間救急に連れていったっけ。当直の先生からは、八針も縫うような怪我を我慢してはだめですよと叱られたよな。

 そういうママの事だから、ちょっと背中が痛いわと聞いた時、すぐに病院に行けと何度もせかしたんだよ。だけど、本当にずっと行かなかったよな。結局、俺が仕事を休んで、無理矢理病院に連れて行ったら、まさか癌だったとは・・・。


 俺は、チェストの上に飾られている紗子の写真にデコピンをする。


 ママがいないと俺が駄目な事、知ってるくせに、、、ほんと酷いぜ。

 俺の目に、じわっと涙が滲んで来る。



「ピンポーン」


 なんだろう?宅配便か?特に何も無いはずだがと思いつつ、モニター画面を見ると、宅配便のユニフォームを着た小柄な女性が映っていた。


「宅急便です。村田紗子様からお荷物が届いています。順番に回って行きますので、後ほど伺います」


「あ、お願いします」


 そう答えると、モニター画面は黒に反転した。

 そして、漸くそのことに気づく。


「えっ?今、紗子って言ったか?なんだ?なんなんだ?」


 俺は、そわそわしながら、リビングを行ったり来たりしている。とにかく落ち着かない。ママが?なんで?どうやって?


「ピンポーン、ピンポーン」


 部屋のチャイムが鳴る。

 俺は慌てて、玄関に駆け寄ると、チェーンを外しドアを開けた。


「こんにちは〜。村田紗子様からのお荷物です。お届け先をご確認下さい」


 俺は、半信半疑で送り状を見る。

 すると、 確かに送り主は、紗子となっていた。


「あ、、はい。私宛の荷物です」

「それでは、ここに押印お願いします」


 俺は、半分あっけにとられつつ印鑑を押す。


「ありがとうございました」


 そう言い残すと宅急便の女性はエレベータの方へ走って行った。


 玄関に置かれたのは、百七十センチはあろうかという大きなダンボールだった。しかも、その箱には、俺が知っているギターメーカーのロゴが大きく印刷されている。


 箱を開けると、中から黒革のハードケースが見える。俺は、そのケースを取り出すと、ゆっくり蓋を開けた。


 そこには、学生時代、欲しくても買えなかったあのギター。ピックガードに鳥が描かれているあの名器と言われているアコースティックギターが入っていたのだ。


 俺は、涙を流しながら、ギターをケースから取り出す。

 そして、約三十年振りにギターを鳴らしてみた。


 その乾いた音は、俺と紗子が二人で苦しみながらも楽しんでいたあの時代に俺を一瞬で引き戻していく……。


「そうか、紗子はギターを弾いている俺が好きだったんだな。忘れてたよ。悪かったな……」


 今度は、素直にそう思えたのだった。



 それからあっという間に一ヶ月が経った。

 今、俺は、紗子が住んでいた街が見える小高い山に来ている。

 そう、今日は、先日、俺が契約したお墓に紗子を納骨する日なのだ。

 俺の傍には、娘の沙也とその夫である孝くんも来てくれている。


 お花や妙子が好きだった八朔、そしてジャスミン茶を墓前に置くと三人で手を合わせる。どうか、ゆっくりと眠って欲しい。俺は大丈夫。ママの思い出を胸に生きていくから、、、。


 そして、ママのお望み通り、今から歌うよ。聞いてくれ。


 俺は、持って来たハードケースからギターを取り出すと、ストラップを肩に掛け静かに立ち上がる。


「紗子、俺とお前の思い出の曲だ」


 この一ヶ月、俺は、夢中になってギターの練習をした。勿論、全盛期にはほど遠いが、それでもきっと紗子は喜んでくれるだろう。


 


 歌い終わると沙也は、「お父さん、、ギターと歌、上手いんだね。初めて聞いたよ」と泣きながら拍手をしてくれている。孝くんも涙を溜めつつ、「お母さん、喜んでいると思います」と言ってくれた。


 きっと、俺は、これからも、紗子がくれたこのギターで、死ぬまで音を紡いでいくだろう。音楽の事を最後に思い出させてくれたママはやはり、俺の宝物だったよ。ありがとう。ありがとう……。



「あ、お父さん、、。ちょっと報告があるんだけど」

「ん?なんだ?」


 ギターをケースにしまいながら、俺は沙也の方を見る。


「あのね、、来年ね、、お父さん、おじいちゃんになるのよ」


 折角止まっていた涙がまた溢れてくる。

 ママ!!俺がおじいちゃんになるってさ……。


 俺は、沙也を抱きしめる。

 良かった。本当に良かった。


 すると、突然、黒猫が現れた。そして、俺たちの方を見ながら墓前の前をゆっくりと歩いている。

 あの蒼色の目、あの時に見た黒猫がどうしてここに?

 俺は、あっけにとられながら黒猫の方を見つめる。すると、今日も、黒猫は尻尾をリズム良く左右に揺らし、優雅に俺たちの前を横切って行った。

 ただ、前と違うのは、蒼色の目を持つ黒猫の後ろを、とても小さな黒猫が遅れないように必死で歩いていることだった。


 そんな二匹の姿を見た俺は、久しぶりに声を出して笑っていた。



 

終わり(村田圭吾の場合)


「僕の前を黒猫が通ると幸せが一つ起きるみたい……。」 完



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読んでいただいてありがとうございました。

この物語はこれで一旦終わりますが、クーロはまだまだ多くの人を幸せにしたいようです。


不定期更新になると思いますが、是非引き続き応援いただければと思います。


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僕の前を黒猫が通ると幸せが一つ起きるみたい……。 かずみやゆうき @kachiyu5555

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