A氏一行が田舎に似つかわしいエンジン音を鳴らしながら帰っていくのを確認して、すぐさま私はベッドに座り込んで頭を抱えた。


 何だ、あの---私の知らない、彼の話は。彼が私のことを思って絵を描いた?それがもし本当なら---。


 「私が馬鹿みたいじゃない、これじゃ。」


 本当に、馬鹿みたいだ。情熱的な愛に気がつかなかったのは私ということになる。彼が死んでから気がつく、数十年来の事実。じゃあ私が、彼の作品を見て、彼の面影を思い浮かべて泣いたのは、あながち誤りではなかったのだ。


 「ずっとあなたは、私に話しかけていたのね。」


 思えば、彼はいつもそうだった。絵の過程は見せずに、最後の完成の直前にだけアトリエを抜け出して家事をしてる私の目の前にやってきて---私にその絵が好きかどうか聞くのだ。とんだ照れ隠しだ。でも、身を熱くするくらいロマンがあった。


 そんな愛の形を見えなくしていたのは、私の方だった。彼はいつでも、ぼやけた輪郭の中に愛という主題を隠し込んで、遠回しに私に語ったのだ。


 面倒な人。その言葉で片付けられたらどれだけ良いことか。それでも彼はもういない。私の心は、一生の後悔と悔恨で傷つくばかりだ。


 また泣いた。夜中中、何も見ないように泣いた。この前は突然立ち上がった彼の幻影に涙し、今度は私自身の心に残った影に涙した。ぽっかりと、心のどこかが欠けたような気分だった。


 思うに、愛というものは元々形なんて無いのだ。形を持たせて見えるようにすることは、一見情熱あることに見えても、実際は風流を解さない、私のような人が求めることだ。本当に美的センスのある、まるで彼のような人なら、愛というのは丸みを帯びた絵の具の染みのように、ぽたり、ぽたりと垂らすだけで良い。厚みを塗り固めるのではなく、びちゃびちゃとかき回すのでも無い。じっくりと、永遠とも言える時間をかけて、己の人生というカンバスの中で、主題モチーフとして完成させていくものだ。それが完成した時、彼は私にこうやって見せるのだ。愛とは、どういうものなのかを。


 「とんだロマンチスト。詩人でも、もっとマシな詩を詠むわ。」


 自分を卑下するように独り言を落とす。やっぱり、私と彼は似たり寄ったりなのかも知れない。




 それから数日、私は無気力に過ごした。最低限の家事だけをして、その他は自宅の窓から庭を眺めたり、散歩をしたりした。心は休まらないが、体は落ち着いた。


 そんな生活をしていると、酷く気に入らないことがあった。彼が本当に私のことを思って絵を描いていたか、ということだ。


 A氏は画家として、プロ画家の精神として彼を語ったが、彼はあくまで趣味の画家だ。本当に彼に高尚な思いがあったのか、不思議でならなかった。


 ---風景画で愛を語るなんて。


 そもそも、そんな曲芸のようなことをしても、私が気がつくはずがないのだ。作品だって、私がアトリエまで見にいったことはほとんどない。アトリエの中の、彼が愛したというあの景色だって、私はついこの間まで知ることはなかった。


 そう思うと、急に心が軽くなった。呪縛は残ったままでも、死人に口なしとはかくやという訳で、彼を貶せば私の気持ちは幾分か和らいだ。


 だけど、そこにA氏から宅配があった。かなり大きい荷物で、中にはイーゼルと、紙でぐるぐる巻きにされた、おそらくカンバスと思われるものが入っていた。


 A氏からの手紙は付いてなかった。おそらく、これを見ろ、という話なのだろう。正直、私は気が乗らなかった。何しろ、ようやく彼との関係を再び踏ん切りしたところだ。そこにまた、何で彼の作品を?そう思って、カンバスを数ヶ月放置した。置く場所が無かったので、しょうがなくアトリエに置いておいた。


 だが、ある日、窓の外を見ると夜空が満月なことふと気がついてしまった。とても綺麗で、まん丸で、例の窓から見たらさぞかし良いんだと感じた。結局私はその誘惑に負け、アトリエに足を踏み入れた。アトリエの中は、大変な暗さだった。ランプをつけ、梯子を上り、窓を出す。白銀の光が、一面にアトリエへと広がった。


 丁度良い場所に、やっぱりあのスツールがあったから座った。暫く無心で月を眺めていたが、視界の隅に映るイーゼルとその足元にある姿を隠したカンバスが、やけに強調して見えた。


 胸の動悸を抑え、息を整えてイーゼルを立てかける。次に、カンバスを開封する。するとそれはまたま白い布に覆われていた。おそるおそるカンバスをイーゼルに乗せ、カンバスと向き合う。


 A氏が送ってきたのだから、無意味な作品ではないのだろう。そう思うと、私の心は負けてしまう。


 私は、欲望に負けてしまう愚かな女だった。


 もし、彼が私を愛してくれていたなら。もし、彼が私に明確な愛の形を用意していたら。数ヶ月前に捨て去った、彼への憧憬が急速に私に迫ってくる。


 そんな思いの中、えいや、と白い布を取り去る。そこには、絵があった。風景画だ。だけど、それは---今私が見ている月の光と同じ構図の、美しい夜空の絵だった。


 思わず唾を飲み込んだ。私にも分かる、最上の美があった。彼の描く平凡な淡い自然画の集大成とも言える、普遍的な美の有り様がまざまざと存在していた。


 その瞬間、彼が目指していたのはここなんだと知った。彼が取り憑かれたのはこれなんだと思った。彼はこのアトリエで、ただこれを描くためだけに、毎日夜まで籠り切って、夜空を眺めていたのだと知った。


 私は、これを見逃していたのだ。彼は愛の形も、美の形も、等しく考えていた。人とは違う二人の愛の形は、彼が結局のところ考えるぼんやりとした美の形と同じで、何度も何度も繰り返しの日々で、ゆるやかに、そして着実に普遍的な形を見出そうとしたのだ。


 私はそれから二度逃げた。はじめは己の鈍感さを呪って。次は彼の遠迂さを呪って。


 愛には形がない?違う。形は段々とできていくのだ。それが一気に起こるのでは、彼のあの淡白な色彩では認められなかった。彼はどこまでも頑固で、真面目で、ロマンチストで、秘密主義だったのだ。人の精神は、碌に変わりやしなかった。


 「---ありがとう、あなた。」


 穴に落ちたのは私の方、でも救ったのはやっぱりあなただった。愛を最後に教えてくれたのは、私の愛する、あの人だった。愛は常にあるもの。それを共有することは必要ない。ゆっくりと、融け合うように、手を繋ぎあってひとつにするものだった。


 涙は静かに、月の光の中でさらりと流れた。美しい二つの月光を前にして、私は泣いた。


 このカンバスは、私の手元に置いておこう。A氏の配慮に感謝しつつ、私はカンバスを凝視する。スツールから足を踏み出し、ぐるりと背面を見る。すると、カンバスの端っこに、彼のサインと、幾らかのキャプションが付いていた。


 『アルテミスの君へ』 1982年6月5日


 彼が死に際に描いた、最後の作品。タイトルは『アルテミスの君へ』。最後に私は、この愛の形の完成を以って、彼への追悼とした。

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アルテミスの君へ 新田 威 @Nitta_Takeru

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