私は依緒莉くんが男の人として好きだから

「3000円て。だいぶ食べたな」

「朝のプリンの分と合わせてだよ。これだけで許してあげる私の懐の深さに感謝することだね」

「はいはい、ありがとうございます」

「はいは一回」

「はい」

「よろしい」

「変なこと考えてるんじゃないかって心配になったんだよ。今朝なんかものすごく寝汗かいてたし、その影響かもって」

「心配かけた」


 俺は海琴の頭を撫でる。


「でもいつもは連絡を怠らないはずの依緒莉くんが珍しい」

「ちょっと考えごとをだな」

「何を考えてたの?」

「人の気持ちってどうやったら分かるんだろう、みたいな?」

「それ……って、もしかしておばさんの影響?」


 なぜこういう時には鋭いのだろう。正直、何それって流して欲しかった。でも海琴は良くも悪くも俺のことをよく見過ぎている。海琴との間でのらりくらりと躱そうという考えは浮かばなかった。


「依緒莉くんはずっと無理してるよね」

「……してないが?」

「そう見えるの。人と触れるのが怖くて、無理に距離を置いているような。そんな感じ」

「どうしてそう思うんだ?」

「なんとなく。昔の依緒莉くんは親しい人と積極的に遊んでたけど、今は全くそんなことないし」

「大人になったんだよ」

「大人になった? とてもそうは見えないよ。大人になったんなら過去を乗り越えているはずだよ」

「もう乗り越えた。心配されなくとも大丈夫だ」

「おばさんが亡くなってからずっと、私は依緒莉くんを側で見てきた。依緒莉くんは表向きは強がっていつも通り振る舞おうとしてるけど、私には無理してるように見える。立ち直ったなんて一ミリも思わないよ」

「……」

「人と深く関わって自分が傷つくのが怖いんでしょ?」

「……鋭いな。流石は海琴だ」


 重苦しい空気を振り払おうと、引きつる瞼を堪えて笑みを浮かべる。


「茶化さないで。私は真剣に言ってるの」

「なんて言えば良いのかな。……母さんが父さんの後を追おうとしたのは、愛ゆえだと思ったんだ」


 脳が愛は危険なものだと、勝手に認識して咀嚼してしまった。そのせいで無意識のうちに“愛”に発展しうる感情を全て遮断しようとしているのかもしれない。愛なんて言葉を口にするのは恥ずかしかったが、それ以外の表現が見つからなかった。


「恋愛が怖いってこと?」

「どうなんだろうな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。最初は海琴だった。実は怖かったんだ。海琴と話すのが」


 遠い目で虚空を見つめる。


「それは私が女だから?」

「どうだろうな。自分でもよく分からない。最初は女子相手だけだった。異性相手だとどうしても恋愛に絡めて考えてしまうものだから、自然と心が危険を回避しようとしたのかもしれない」


 異性は全て恋愛を絡めてしまう、あたりの発言で海琴の眉間が険しく寄せられた。別に異性が厳密に恋愛対象になるわけじゃないが、男とはそういうものではないだろうか。男女の間に友人関係は成立しない、とは正しいと思う。


「でもその対象は瞬く間に広がってって、ついには恋愛に限らず、誰が相手でも話すのが怖くなった。そして人が自分をどう思ってるのか、気になりだした。小説だってそうだ。今まで登場人物の感情をその手で書き記してきたけど、こんなこと考えてないんじゃないかとか、急に不安になってしまった。まあとどのつまり、俺は人と関わるのが怖い腰抜けに成り下がってしまったわけさ」


 笑えるだろ?と力なく微笑しながら告げる。


「笑えない、笑えないよ」


 海琴が懐に頭をつけてくる。心臓が跳ねた。その瞳には涙が浮かんでいる。


「ごめんね。気付けなくて。無神経に踏み込んでしまってたかも」

「いやいや。海琴にはほんと感謝してる。いなかったら俺は抜け殻のままだったと思う。救われたんだよ」

「ほんとに?」

「ほんとだって」

「でもやっぱり心配だよ。表面上は良くなったとしても、根本的には何も解決してないから」

「そうだな。海琴が離れるのを心のどこかで恐れているのかもしれない」

「私が?」

「不安定だった頃、寄り添ってくれただろ。こうやって家族と一緒に住まずに従兄を心配して一緒にいてくれて助かった」

「従兄だからじゃないよ」

「え?」

「私は依緒莉くんが好きだから」

「それは……家族としてだよな?」

「ううん。男の人として。そうでもなきゃ、こんなめんどくさい奴のお世話なんてしようと思わないよ」


 真剣な顔で毒を吐く。自然と瞼が引き攣るのを感じた。


「冗談?」

「この顔見て冗談だと思う?」

「いや。でもどうして急に」

「言うつもりなんてなかったよ。でも依緒莉くんには乗り越えて欲しいから。愛が怖いなんて言わせたくない。依緒莉くんはわたしを変えてくれたんだよ」

「俺が?」


 俺は眉根を寄せて疑問符を浮かべる。


「私って昔完璧主義者だったでしょ?」

「そうだな」


 俺は薄く笑う。海琴は中学生の頃、側から見て欠点の見当たらない女の子だった。大人びすぎて近づき難かったのを覚えている。いつからかそれが変わって、とても親しみやすい子になった。そのきっかけが何かは見当もつかないが。


「『周囲の目を気にしすぎるあまり、完璧な虚像を演じるのは自意識過剰だ。滑稽にしか映らない』っていう台詞、依緒莉くんの小説の中であったよね。あれでハッとなったんだ。私は勝手に重圧を感じて、完璧なあるべき姿の維持をを自分に課してた。それからありのままの自分を出そうって思ったんだよ。だから感謝してるんだ。壊れなかったのは依緒莉君のおかげ」


 心の奥底から温かいものが湧き上がってくる感覚になる。気付かされた。自分の書いていた『作り物の感情』が、確かな温もりを抱えていたのだと。そう思うと、自然と凝り固まってた思考が融解していくのを感じる。同時に、海琴が俺に告げた“愛”が胸に浸透して、拒絶していたはずの心がそれを受け入れている。


「俺も感謝しかない。こんなダメダメな従兄を支えてくれた。俺も海琴が好きだよ」

「ふふ。それは家族として、ね。ありがとね」

「そんなこと一言も言ってないけどな」

「え。どういうこと? 全然わかんない」

「なんでもない。でも海琴のおかげで吹っ切れた」

「何が琴線に触れたのか分からないけど、それなら勇気を出した甲斐があったってものだね」


 まだブランクは大きいが、少しずつ歩みを再開しよう。人間関係もそうだが、小説も。進路もこれからしっかり将来を見据えて考えよう。色々思考を巡らせると、楽しみな気もしてくる。俺は晴れやかな気分で、得意げな表情で仁王立ちになる海琴を抱きしめた。



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心配性で世話焼きたがりの従妹との同居生活 縞杜コウ/嶋森航 @Kiki0914

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