額縁の死神は誘う AD2021 Tokyo(12)



        †




 東京都千代田区、東京駅――赤煉瓦で築かれた外壁と白窓が異国情緒を感じさせる駅舎だ。明治期の都に吹き荒れた欧米の風のにおいが偲ばれる造りだった。古雅な煉瓦造の駅舎と建てられたばかりの高層ビルとが重なりあい、時代の境がくっきりと際だっている。大震災、戦争、高度成長、バブル崩壊と眩暈がするほどに慌ただしい時代の循りを静観し続けてきたこの建物はいま、何を想うのか。

 時計のついたドーム屋根の端に腰掛けて、モリアはまだ明けやらぬ暁を眺めていた。日本という地には朝が似あう。雲はないが、風がやたら強い。何処からともなく名残の雪がひらひらと舞い降りて、銀の睫毛の端に乗った。


「嵐になりそうですね」


 側らにたたずむシヤンは微睡む都会を睥睨しながら、唇の端をもちあげた。


「胸騒ぎがするのよ。なにか、ひどいことが起きるような」


 心細げに胸もとで指を組みながら、モリアが凍てつく睫毛をふせた。ほんとうは騒ぐはずもない胸だが、幻肢痛じみた鼓動が時折、肋骨を軋ませる。


「ふうん、それは楽しみですねぇ」


 死神は嗤った。娘の嘆きも愁いも葛藤も、彼は顧みない。それどころか、彼女の傷つくさまを彼は絶えず娯楽としてきた。

 熱のない指が、ふと額に触れた。


「…………ちゃんと、俺を呼びましたね」


 彼は青い双眸を細めて、褒めるようにモリアの髪を梳く。

 脈絡もない従者の言動にモリアは一瞬だけ戸惑ったが、戦いの最中で幻を視せられたときのことだとすぐに思いあたった。


「何処までいっても、なにがあろうとも、俺だけは貴女の側にいますよ。貴女が貴女であり続けるかぎり」


 ふっと、モリアは唇を綻ばせた。死神の指が、涙の余韻を残す頬に添えられる。

 あまやかな、忠誠の宣誓ではない。彼女が彼女でなくなれば、いつでも棄てるという人非ざる者の囁きだ。けれどもそれが彼の愛だと、死を想う娘は知っている。彼女は死に愛されているのだ。

 だから彼女は微笑みながら、指を絡めた。

 硝子を散りばめたような都会の地平線から、旭があがる。命ある者に等しく朝は循る。桜が、散っても。新たな春にむかって、季節の針がまたひとつ、進み始めた。

 



        †



 

 細い指がかちりと、チェスの駒を進めた。

 ヨーロッパの古城を想わせる豪奢な迎賓室だ。金縁が施された壁には角のある虎の剥製や剣、絵画などの調度品がふんだんに飾られ、エレベーターの扉を挿みこむようにして腕のない女神の彫像が置かれている。遠き貴族の栄華なる夢を想わせる内装だが、それでいて床は硝子張りだった。硝子ひとつ隔てた底は青ざめた海だ。銀河を想わせる海月の群と純金の鯨が回遊を続けている。

 舞踏会でも催せるほどの大部屋に革張りの椅子がひとつ、青年がチェスプロブレムをしていた。ひとりで遊ぶために難解な課題が設けられた、チェスのパズルだ。数学とは違って、創作要素を含み、手順の審美性が問われる上級の娯楽だった。駒を操る細い指は、猫睛金緑石クリソベリルキャッツアイを想わせる黄金の石の指輪をはめている。約80カラット。眼窩に収まった人の瞳と同等の大きさだ。駒がまたひとつ進み、白の騎士ナイトに薙ぎ倒された黒の僧正ビジョップが無造作に転がった。


「つまらねえなァ。せっかく好きにやらせてやったのによ」


 言葉遣いの割に落ちついた、品のある声が静かに反響する。


「造り物の死の行進なんかは六十年も昔に映画監督が撮ってンだよ。あげく最後は、てめえが自殺ねずみになってお終いとか、喜劇にもならねえよ。やっぱ、量産された贋物はダメだな――なァ?」


 彼は後ろにのけぞって、壁際に控えていた女たちを振りかえる。時代錯誤のメイド服を身につけた召使らは黙して諾った。

 青年は眉の端をあげて、かつんと靴の先端で椅子の脚を蹴りつける。

 転瞬、召使達は血潮を噴きだして、崩れた。ダマスク柄の壁紙に濡れた薔薇が咲く。熟れすぎた果実をわざと踏みつけたかのように血と脂肪と骨の塊があたりに飛び散った。


「俺の言葉には取り敢えず、頭をさげてればいいと思ってンだろ。軽い頭だな。どうせ理解もしてないくせに。タイクツなヤツばっかで飽き飽きだよ」


 エレベーターの扉が開いて、新しい召使が速やかに配属される。死体は清掃され、硝子は曇りなく磨かれた。どれだけ虐殺されても、誰も眉ひとつ動かさない。


「怨もうが、嘆こうが、嗤おうが、イマはこの一瞬かぎりだってのによ。瞬きのうちに終わる命を楽しまなくてどうすンだ。永遠なんかねえンだよ、……お前らにはな」


 薄い唇から舌を覗かせて彼は悪辣に嗤った。


「刻がどれだけ平等でも、時間を刻む針の重さは違う。命は平等じゃない。永遠は、選ばれた者にだけあるんだよ」


 最後に白の王を倒して完璧な終幕を迎えると、彼は大理石のチェステーブルに脚を乗せて、全部の駒を蹴り落とした。椅子の背から垂れた髪は彗星のような銀だ。


「枯れない花ほど綺麗なものはないよ、モリア」


 娘と揃いの黄金の双眸が緩く、弧を描いた。ひどく穏やかに。

 嵐の前の静けさを想わせる微笑だった。

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死者殺しのメメント・モリア  夢見里 龍/メディアワークス文庫 @mwbunko

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