これは、書き下ろし編となる「東京編」へのレビューです。
死を司る一族の最後の一人、モリア。彼女は自らの心臓を抵当に、死神シヤンを従える。一族に関わるものを探して時と場所を越え、たどり着いたのは現代の東京であった。摩天楼。その隙間で小さく嗤う、陰と闇。新品のキッチンとぐずついた排水溝の同居するこの街で、不可解な連続自殺事件が発生していた。モリアの失われた身体が、静かに疼く。
今回の書き下ろし編ですが、かなりテーマの利いたパートだと感じました。本編で提示されたテーマである「死」を、ある側面から深掘りしているのです。今回の事件――連続自殺事件には櫻武刑事という登場人物が関与します。この櫻武刑事がテーマを表現しているのだと感じました。モリアは「死」に対して広く理解していますので、モリアと櫻武刑事のやりとりが非常に興味深い。読者はこのテーマの提示を受けて、どのように感じるのだろうと思いました。
また「東京編」には筆者のもつ「都会感」が如実に表われていると感じます。
『ひとつひとつが誰かの命で、いずれは死にむかう輝き』
『地上247mから見おろす都市夜景はさながら電子回路だった』
これらは本文からの抜粋ですが、作者は都会の「光と闇」に着目したうえで執筆をされているのではないかと感じたのです。事前にロケーションをされたような気がするほどに丁寧な描写の数々。具体的な地名、そしてその場でじっさいに見られる風景がありありと表現されています。そしてそれらには必ずといっていいほど「光と闇」の要素が感じられました。この、都会のもつ両面性こそが筆者の都会感なのではないでしょうか。そのあたりをイメージしつつ、筆者の尋常ではない筆力を楽しんでいただければと思います。
しかし本作のシナリオ構造と各種描写ですが、「古き良き時代のライトノベル」を思い出しました。けっこう難しい語彙が並びます。主人公が苦境と闘います。こちらも思わず眉をしかめるシーンもあります。でも、こころのなかではモリアとシヤンを応援している。いつしかこちらも、都会の暴風を頬に浴びている。
面白い――。
面白かったのです。もうそれだけなのです。ただただ、面白かった。そして懐かしかった。こんな物語が好きなのだ、と再認識しました。物語が脈打っているように感じられました。
どの時代にも。たとえどんな豊かな時代にも、場所にも。
死は、在る。
死を纏い、死を縫っていけ――、モリア。
麗しき少女と美貌の死神。
ふたりは国を時を渡り、死者を葬る旅を続ける。21世紀のNYから18世紀のパリ、再び米国、ポーランドを経て、21世紀の東京へと。テンプス・フギトの銀の懐中時計が九つの針をまわすとき、少女・モリアと死神・シヤンは時空を超える。
--怨まない。怨まない。どれだけ言葉では誓っていても、こころがあるかぎりは怒りは燃える。--
されど、彼女は復讐も蘇生も望まず、ただひとつの願いを宿す。死神の双眸に滾る青と黄水晶のように硬く澄んだ彼女のまなざしが融けるとき、読者は青の世界に誘われる。
その青は、死の青だ。
memento mori. メメント・モリ。
死を憶え。
この物語は生を通じて生を語らず、死を通じて生を語る。然らば、その生は死の陰の濃さに比例して一層眩しく冴えわたる。
美しき青の幻想に誘われ、少女と死神の時渡りの旅をあなたも共に歩んでみませんか。