額縁の死神は誘う AD2021 Tokyo(11)
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銀座周辺の大規模停電は、巷を大いに騒がせた。
雷雲もなく晴天だった東京の上空約六百メートルで突如、紫電が弾け、港区から中央区に掛けての一帯が停電した。電力復旧までに掛かった時間は十三分四秒。規模は西は桜坂から東は新富町駅前までと発表された。事故も多発し、非常電源も短絡したために病院などでは死亡者も相ついだ。
復旧の三十秒前、銀座和光の時計台の頂上から青い花火があがったという歩行者の証言があり、実際の写真がSNSを通じて拡散された。都は原因を不明とし、群衆のあいだでは様々な噂が飛びかった。電力会社による事故、大掛かりないたずら説、陰謀論を絡めるものもいれば、テロ事件だったのではないかと考えるものもいた。
あれから五日。櫻武刑事は表情も暗く、阿佐ヶ谷神明宮を訪れていた。
阿佐ヶ谷神明宮。江戸時代から庶民の信仰を集める由緒正しき神社だ。鎮守の森にかこまれ、まさに神の庭と称されるにふさわしい清浄なる境内だが、正子ということもあってか、肌にまとわりつくような異様な雰囲気を漂わせていた。風が重いのだ。桜吹雪がそう想わせるのか、疎らな街灯が影をいっそう際だたせているせいか。
あの奇妙な二人組が犯人のもとにむかったその晩、大規模停電があり、その騒動に紛れてカンパニュラの額縁は完全に削除された。これらは偶然ではないと櫻武は考えていた。彼女らがなにをしたのかはわからずとも。
斯くして、連続自殺事件は終わった。
だが阿佐ヶ谷神明宮ではなおも不可解な自殺が続いている。
事の発端は三日前だ。朝から境内の見廻りをしていた宮司が続々と遺体を発見した。人数は一晩で五名。全員未明に自殺をはかっており集団自殺なども疑われたが、捜査の結果、自殺者同士に繋がりはなかった。だがこれで終わらず、翌日に二名、またその次の日には三名の自殺が続いた。
櫻武は石段をあがりながら、腕時計に視線を落とす。二時十分、昔から丑三つ刻といわれる時刻だ。丑三つ刻には彼岸と此岸がひとつに重なり、霊が現れるなどと祖母から教えられた。櫻武は怪談を信じるほどに幼くはないが、暗がりに建つ社などを眺めていると妙に落ちつかない心地になる。
まして自殺者がいるかもしれないのだ。想像すると櫻武は身が凍った。自殺にたいする恐怖心は、なおも克服できていない。されど自殺にまつわる事件を放置することもできなかった。最愛の兄を助けられなかった。それが彼の望んだ最期だったとしても、側にいれば、助けになれたのではないかと。後悔は、つきない。おそらくは一生、この傷を抱き締めていくのだ。
門を抜け、最奥にある拝殿についた櫻武は、想わず悲鳴をあげかけた。
人魂らしきものがいた。
燐光を散らしてゆらゆらと燃えながら、青火が浮遊している。だが雷門の提燈ほどもあるそれは心細げに墓場を彷徨っているようなものではない。燃えているのは怒りだ。地獄の火と滾る怨念に櫻武は一瞬、身を強張らせた。
人魂はくるりと廻って、あろうことか櫻武にむかってくる。櫻武が逃げだそうとしたのがさきか、拝殿の屋根から青い娘が飛び降りてきた。
「モリア……」
華奢な娘は銀刺繍の施された服のすそを拡げ、風に乗るように舞いあがると、剣を振りあげた。鎌を想わせる緩やかに歪曲した剣だ。櫻武の頭に、あるものが過ぎった。
モリアは人魂をひと息に貫いた。
人魂は膨張して、破裂する。散り散りになった青い光の群は大勢の人のかたちをなした。櫻武はそのなかに見覚えのある顔を見つけて、ああと息を洩らす。桜の枝で縊死した女だった。躑躅に埋もれて命を絶った少女もいる。
彼らはすべて、額縁に殺された犠牲者なのだ。
モリアが哀悼の辞儀をする。月を想わせる瞳から透きとおる雫をこぼしながら。
喪われたいのちは還らない。取りかえしのつかないものはある。彼らの遺恨や悲哀、孤独に報いることはできずとも。死はせめて、等しく安かれと。
娘の浄らかな鎮魂に死者たちは強張っていた瞳を緩めて、一様に安堵の表情を浮かべた。魂を縛りつける鎖を解かれ、人の像を手離して光に還る。
光の群が空に吹きあがって逝く。その様は季節に背いた蛍を想わせた。死者の魂を先導するひと際、輝かしき光の珠がある。あろうことか、それは娘の胸から吹きこぼれていた。彼女の魂のかけらなのだろうか。だとすれば喪服の娘はみずからの魂を割いて、霊魂を導いているのだ。
「あれは幽霊だったのか」
喋りかけなければと思いながらふさわしい言葉が浮かばず、櫻武は問い掛けた。あきれるほどに間の抜けた質問だったが、モリアはなみだぐみながら真摯に頷いてくれた。
「操られ、自殺にむかわされた人々の魂は、命を絶った後も死を受けいれることができず、彷徨い続けていました。彼らは寂しい。そして悔しい。ゆえに通り掛かった者の魂を無差別に死の側にひき寄せてしまう。ですから、わたしが葬りました」
カンパニュラの額縁による連続自殺事件はこれにて終幕となりますとモリアはいった。いつのまに現れたのか、彼女の背後にはまた、あの不敵な従者が影のように控えている。
君達は何者なんだと櫻武は素姓を訊ねかけて、やめた。
彼女たちは、遠い。こうして言葉をかわしていても、たまらなく遠いのだ。それはおそらく、青の遠さといわれるものだった。それでも何か言い残したことがないかと櫻武がなおも言葉を捜していると、細かな鈴の音が鳴り始めた。
「っと、そろそろ刻を渡る頃ですよ、姫様」
針を響かせる銀時計を懐から取りだして、シヤンがモリアに差しだす。
「今度は何世紀頃の旅になるのかしら」
シヤンは「マスクなんかつけなくていい時代だったら何処でもいいですよ」とうそぶいているが、彼はそもそも一度たりともマスクなどつけていない。
季節を終えて、死に逝く桜が降りしきるなか、ふたりは緩やかに遠ざかっていく。きっと再びには、逢えないだろう。櫻武は声を張りあげて最後に呼び掛けた。
「ありがとう」
彼女だけは自殺を強いられた犠牲者を悼み、その魂を葬ってくれた。肉親である彼でさえもむきあうことを逃げ続けてきた最愛の兄の死に寄り添ってくれたのも、彼女だ。
モリアは振りむき、微笑んだ。果敢なく、されども誇らかに。
彼女の進みいくさきには絶えず死があるのだろう。
死神、という言葉が櫻武の頭を過ぎる。ふたりは死神だったのだろうか。だとしても彼女らは死を無慈悲に振りまくのではなく、死の秩序を護る死神だ。
春の骨が舞う。桜吹雪は娘と従者の背を隠して、風がやんだときにはすでに境内には誰もいなかった。
「綺麗な、死神だったな」
春は逝く。桜の季節は終わった。
咲いた花は散るものだ。それでも、どうせ散るのだと嘆きに暮れて、咲かずに春を終える桜などは、ない。花はかぎりある季節を惜しみなく咲き誇る。それが、命だ。
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