恋愛以上、友達失格。

霜月このは

恋愛以上、友達失格。

 私の隣に、男の子が寝ている。男の子じゃなかった。もう二十六歳の立派なアラサーだ。彼、トモキは、私の高校の同級生で、今は地方公務員をしている。


 地方公務員と言えば、きっと待遇が良くて、民間に比べればぬるま湯のような労働環境なのだろう、と思う人もいるかもしれないが、少なくとも彼の業務に関しては違うようで、「仕事をやめて専業主夫になりたい」が彼の口癖だった。


 仕事よりはプライベートを大事にしたくて、恋愛とかはちょっと苦手だけど、子供は好き。トモキはそういう人だった。


 私たちは十年前、同じ高校の演劇部で知り合った。女子ばかりの同級生の中で、唯一の男子、それがトモキ。女の子の恋バナに当たり前のように混ぜられたり、女子の制服を着せて女装をさせられたり、合宿の寝床はなぜか女子と同じ部屋に雑魚寝だったりと、それはそれは、皆に可愛がられていた。


 「トモキ」


 とりあえず名前を呼んでみたが、反応はない。きっと熟睡しているのだろう。今日はとても疲れたはずだ。


 ここは繁華街にある所謂ラブホテルの一室で、そこにある一台のセミダブルベッドが、私たちの今夜の寝床だった。ベッドサイドのテーブルには、缶チューハイが二本、中途半端に開けて、飲みかけの状態で放置されている。


 使ってからまだそんなに時間が経っていないお風呂はまだ温かいようで、湯気でガラスが曇っていたが、部屋は薄暗い照明にしてあり、あとは寝るだけの準備ができている。しかしベッドは妙にふかふかしていて、眠り心地はあまり良くなさそうだった。


 時刻は午前一時。確かに寝ることが正しい時間ではあるのだけれど、こんな場所に来ているせいか、私の目はすっかり冴えてしまっていて、かといって隣に寝ているトモキを起こすわけにもいかなくて、手持ち無沙汰になっている。


 ラブホテルといえば備え付けのテレビに映るであろう、アダルトの有線放送を見てみたい気持ちなどもあったのだけど、トモキが先に寝てしまったので、見そびれてしまった。だから本当は眠くもないのにこうして、居心地の悪いベッドに横になることくらいしかできなかった。


 隣に寝ているトモキからは、お風呂上がりのシャンプーの匂いに混ざって、ひっそりと、しかし確かな、オスの香りがしていた。それはなんと言い表せばいいのかわからないのだけど、きっとフェロモンのようなものなのだと思う。


 私は花の蜜に吸い寄せられる蝶のように、なんとなく横を向いて、トモキの姿を視界に入れる。いや、蝶と言えるほど、私は見目良くはない。せいぜい、蛾だ。でもそれも、蛾に失礼かもしれないとも思う。


 いつも一緒にいるとうっかり忘れてしまうのだけど、トモキもしっかり男なのだな、と、こんなとき今更気づく。だけど、こんな風にトモキの匂いを感じることは、実は以前にもあった。



 大学生になってしばらくした頃、高校の同級生の何人かで、地元の花火大会に行ったことがあった。高校生の頃はなんとなく部活や勉強で忙しかったから、皆で花火大会に行くのは初めてのことだった。


 私は張り切って浴衣を着ていったのだが、私以外の女子は浴衣ではなく、普通の動きやすそうな洋服で、一人だけ気合いを入れてしまったのがなんだか恥ずかしかった。


 「浴衣、きれいだね」


 皆の中で一人浮いてしまっている私に、トモキはそう一言だけ言った。


 「あ、ありがとう」


 なんだか意外な人から意外な言葉が出たので、私は戸惑ってしまった。今までトモキがこんな風に他人のことをストレートに褒めるのは聞いたことがなかったし、私の容姿についてトモキに言及されることも、多分それまでなかったと思う。


 花火大会を楽しんだ後は、流れで居酒屋に向かい、皆でお酒を飲んだ。当時私は都内に一人暮らしをしており、実家も会場からは少し中途半端な場所にあったので、飲み会の後はそのままカラオケでオールでもしたいなと思っていた。


 しかし、それぞれ皆都合が悪かったり、酔ってしまったりして早々に帰宅し、気づいたら飲み会もトモキと二人だけになってしまっていた。お開きにするにはあまりにも寂しいなと思っていたら、トモキがオールに付き合ってくれることになったのだ。


 カラオケ店は安さを優先して選んだから、駅から少し離れて、ホテル街を抜けていったところに向かうことになった。途中、ちょっとガラの悪い客引きにおびえながらも、まだ十九歳だった私たちは、キラキラ光るラブホテルの看板を見てキャッキャッとしていて、行ったこともないその場所への想像を膨らませていた。


 もちろん、ただ泊まるだけなら、その当時だってそういう場所を選ぶこともできたのだろうが、そのときは、まだトモキと二人で行動するのはほぼ初めてだったので、さすがにそんな選択肢には少し抵抗があったのかもしれない。いや、というよりは、ただ単純にお金がなかったんだと思う。


 カラオケ店に着いてからは、ひたすら歌を歌い続けたが、途中、疲れて選曲が止まったときに、トモキは私にコメントをくれた。


「ユミは歌がうまくていいな。よくそんな高音出るね」

「トモキもうまいじゃん。可愛いよ。」

「可愛い、か……」


 トモキはちょっと複雑そうではあったけれど、歌をほめられて、まんざらでもない様子だった。可愛いと言ったのは、トモキが女性アーティストの曲ばかり歌っていたからで、本当に純粋な褒め言葉のつもりだった。


 夜も更けてきて、午前二時くらいになる頃には、二人とも疲れて、おやすみモードになってきたので、明かりを消して、ソファータイプのせまい椅子に、それぞれ横になることにした。


 後先考えない私は、着替えもなく浴衣のままだったので、帯が窮屈でとても寝られる状況ではなかった。そのため、トモキにはしばらく後ろを向いてもらうことにして、その間に帯を外して、浴衣の裾を長くして、前をとじて寝ることにした。


 あられもない姿になってしまったことを、トモキには申し訳なく思った。夏だったけど店内は空調が効いていて、少しだけ寒かった。


 仮眠を少しだけとって、午前五時頃、トモキが起きる前に身支度をととのえた。浴衣を自分で着られるようにしておいてよかったと思った。私が身支度を終える頃、室内に電話が入り、閉店時刻のお知らせがあったので、トモキを起こし、一緒にお店をあとにした。


 全然寝ていないせいで、当たり前だけどすごく眠かった。思考力のない頭のまま、そのあと気づいたら、都内のアパートの自室に、トモキをお持ち帰りしていた。


 私の部屋は六畳のワンルームだったが、ロフトが付いていて、いつも私はそこで寝ていた。その日も家に帰るなり、シャワーを浴びて着替えた後は、私はロフトに寝ることにして、トモキは下の部屋のお客様用のソファーベッドに寝てもらった。


 なぜそんなことになったのかは、全く覚えていない。トモキの家は私の家とは反対方向だったし、そもそも電車はもう動いていたのだから、トモキは自分の家で寝ればよかったはずだ。なのにどうして私の家に来ることになったのかは不思議だ。


 今思うに、二人の性格から推測すれば、当時の私が、寂しいとかなんとか言って強引に誘ったのだろう。それで、お人好しのトモキは遊びに来てくれた。おそらくそんなところだ。


 私たちは結局昼まで寝ていた。目が覚めた私がロフトから降りると、いつもの私の部屋にはない匂いがした。多分それがトモキの匂いなんだろう、と思った。


 別に不快な匂いでもないけれど、とりわけ惹かれる良い匂い、というわけでもない。ただそれは、私たちがそれぞれ異なる生き物だということを指し示すだけのものだった。多分おそらく、それがオスの匂いなんだろう、私はそう認識した。


 結局、私たちは一晩中一緒にいたわけだけれども、指の一本もふれあうことはなかったし、そんな気配も全くなかった。ただ仲良く飲み会をして、仲良くカラオケをして、仲良く家で一緒に寝ただけだ。他にしたことといえば、私の部屋の切れた電球を、トモキが換えてくれたとか、そういう程度のことだった。


 当時十九歳の多感なお年頃だった私は、そのときの出来事を、トモキとは面識のない大学の友達に面白おかしく話したのだが、誰もがトモキのことを「その男、ぜったいおかしい」「きっとゲイだよ」などと言うものだから、こちらが笑ってしまった。トモキは少なくとも、ゲイではないと思う。昔、男の子に好かれそうになって、嫌がっていたのを知っていたから。




 十九歳の私を頭の中に呼び出して、セミダブルベッドの中の私は、にやりと笑う。懐かしくて、なんだか甘酸っぱい思い出の数々。


 あの頃の私は、男女の友情は当たり前に成立すると信じて疑わなかったし、それができない奴こそが不純な考えの奴なのだとすら、思っていた。だから、トモキと全くふれあわない一夜を過ごせたときは、なんだかとても嬉しかったのだ。


 懐かしい気持ちに浸っていたら、隣のトモキが寝返りをうった。少しだけベッドがきしんで、動いたシーツが私に触れたけど、トモキ自身にはぎりぎり触れることはない。私と彼との距離は、あと十センチといったところか。ふれる、といえば、トモキに初めて触れたのは、一体いつだったのだろう。


 多分それは、高校二年生のとき、テーマパークでのこと。学校が創立記念日で休みだったので、同じ演劇部の皆で、地元のテーマパークに遊びに行ったのだ。いつもどおり、女子六人、男子一人のメンバーで、仲良く。


 あの頃の私たちはといえば、思春期らしく、ちょっとした下ネタで盛り上がることがあって、確かそのときも、トモキと私は二人して馬鹿なことを言い合っていた。そうだ、そもそもトモキとは高校生のときはそういう関係だった。


 「手、恋人つなぎしようよ。」


 どちらが先にそう言い出したのかはわからない。だけど、とある絶叫アトラクションに乗るとき、くじ引きで隣の席になった私とトモキは、手を恋人つなぎにして乗ったのだ。


 初めて触ったトモキの手は、冷たくも温かくもなくて、ただただ違う人間の手、という感じがして不思議だった。


 それは「恋人ごっこ」のつもりだった。もちろん、他のメンバーに笑われながら、二人とも大笑いしながら。今となっては何が面白かったのか全然わからないが、当時の私たちは、恋愛関係にある人たちをどこか小馬鹿にしている雰囲気が合った。


 それぞれ、嫉妬だったり、自己愛をこじらせていたり、はたまた私のように本当に恋愛に興味がなかったり、事情は違ったのだろうが、私たちは「恋愛をしていない」ことで一種の連帯意識を得ていた。


 しかし、その連帯意識はあくまでも期間限定のものだったらしい。大学生になった皆は、一人、また一人と、恋人を作っていった。私とトモキを除いて。


 時を同じくして同窓会の頻度は減り、その代わりに、私とトモキが二人だけで会う時間が増えた。私たちはなぜか話が合った。特に何の話をしていたのかあまり覚えがないけれど、多分それほど、とりとめのない話で盛り上がれていた、と言うことなのだと思う。トモキといるといつも楽しかったし、沈黙が訪れることも全くと言って良いほどなかった。


 あるときは、東京タワー、またあるときは水族館、友達のライブなんかに行ったときもあった。デートスポットと呼ばれるところには、一通り行ってみたと思う。ときには、あのときのように、笑いながら恋人つなぎをして。


 高校生の時からの「恋人ごっこ」。それは、私とトモキをつなぐキーワードのうちのひとつだ。恋人同士を嘲笑していた私は、トモキとカップルの振りをするのをむしろ楽しんでいたところがあった。街ゆく人々から見て、自分たちがカップルに見えるであろうことが愉快で堪らなかったのだ。


 私たちは、なんでもない、ただの大事な友達だ。だけど、おまえらの卑しい目には、私たちは恋人同士なんかに見えるのだろう。なんて愚かなんだ。


 しかし、愚かなのは私だった。多分、恋人関係を嘲笑していたのは私だけで、もしかしたら、トモキは違ったのかもしれない。本当のところは、もうわからないけれど。


 トモキが寝返りをうって仰向けになると、オスの匂いと共に、彼の吐息が聞こえてきた。私は反射的に彼に背を向ける。排卵日近くの私の身体にとって、このオスの匂いは、なんだか無駄な刺激だ。


 恋人関係を嘲笑していた私だが、性欲がないわけではなかった。大学一年生の冬頃、私は一人の男の子とセックスをした。彼は中学時代の同級生で、私にずっと片思いをしていた。


 通算四度目くらいの告白で、ついに私は折れた。といっても、別に付き合うことにしたわけじゃない。ただ一人暮らしの家に彼を呼んで、一緒にお酒を飲んで、セックスしただけだ。そしてそれが私の初体験だった。


 そのとき、かつて私の家にトモキが来て、仲良くただ眠ったことをなんとなく思い出していた。それはなんだかすごく平和で、優しくて、そのときの思い出と比べると、今の自分の惨状がなんだか悲しかった。


 惨状と言っては失礼だけど、実際ひどいもんだった。セックスをしたあと、通算五度目の「付き合おう」を言われたのだけど、私は頑なにそれを固辞したのだ。初体験のセックスは大変盛り上がったはずなのに、どうしてそんなことになったのか、相手は本当にわからないという顔をしていた。


 実際、それは聞くところ、初めてにしてはかなり上出来な方で、私は充分感じていたし、一度目が終わった後、まだ離れがたくて二度目を求めたほどだ。私は言った。


「ひとに触れられるって、きもちいいんだね」


 この言葉を聞いて彼はますます燃え上がって、私の身体を執拗に愛撫した。私も何度も彼を求めた。


 結局、その関係は一年ほど続いて、最後はけんか別れをしたけれど、その経験は、私の身体に愛欲というものを植え付けて去って行った。


 特に意識していたわけではないけれど、セックスに溺れていた頃の一年間は、なんとなくトモキと会うことは少なくなっていた。


 しかし、次にトモキに会ったときには、私は初めてセックスを経験した話を面白おかしく話したのだと思う。トモキはまだセックス未経験だったから、それを興味深そうに聞いていたのを覚えている。


 その日の夜も、トモキとはお酒を飲んで、そのまま私の家に泊まり、たしか今度は添い寝をしたのだと思う。くっつくまではいかなくても、今のように隣にいるだけで、伝わってくる体温というのはあるようで、私の身体のうち、トモキがいる側は、なんとなく温かく感じた。


 トモキからは相変わらずオスの匂いがして、それとは対照的に、眠ったときの吐息は可愛らしかった。


 セックスを既に経験していた私は、そのときトモキとのセックスを想像しなかったと言えば嘘になる。相手に触れたいとか触れたくないとか言う以前に、その頃の私は手っ取り早い快楽が欲しかった。だけど、トモキとそういう関係を持つのは、やはり違うように思われたし、そもそもどういう手順でそのような関係になれるのかも、よくわからなかった。


 トモキとそういうことをすることを想像すると、なんだか身体がむずがゆくなるような気持ちと、笑い転げてしまいたくなるような気持ちと、布団をかぶって寝てしまいたくなるような気持ちとが押し寄せてきて、なんだか不快で、しかし逆に愉快でもあった。




 もう、お風呂から上がってしばらく時間が経つというのに、私の身体はなんだか火照って熱くなっていた。


 なんとなく足がムズムズするような感じがして、私はまた寝返りを打って、トモキに背を向ける。なんとなく、そわそわするのは、やはり私の身体のバイオリズムのせいなのだろうか。


 前回セックスしたのはいつだったかな、とふと思いを巡らせる。社会人になって一年目、私は同期の男の子と付き合うことになった。仕事の関係で会話を交わしているうちに、気づいたら飲みに行く仲になり、気づいたらキスやセックスをしていた。


 今までもそういうことはあったのだけど、観念して付き合うことにしてしまった理由は、多分仕事がつまらなくて、毎日がつまらなくて仕方なかったからだと思う。


 相変わらず恋愛感情というものがよくわからない私ではあったけれど、その人と付き合えば、マンネリ化した日常が変わるんじゃないかなどと思ったからだ。


 結果は残念だった。その人とは三ヶ月で破局した。たとえ好きという感情がわからなくても、別れというものは身に堪えるものだ。私はやさぐれた。


 気づいたら、またトモキとデートをしていた。そのときは確か、地元の居酒屋で飲んだのだ。社会人になったトモキは一人暮らしをするようになっていたが、私がその部屋に遊びに行くことはなかった。初めて付き合った男の子との話を、面白おかしくたくさん喋って、終電ギリギリの電車で家に帰った。


 その後も、何人かの男と付き合った。その間は彼氏に悪くてなんとなくトモキとは疎遠になって、でも別れてからはまたトモキと会う、といったペースで、私たちの関係は続いていた。



 言い忘れていたけれど、結局今日に至るまで、トモキとはセックスどころかキスだって、したことはない。


 どんなに遅くまで飲んで、酔っ払っても、どんなにやさぐれた夜でも、そんなことは一度も起こらなかった。それが私にとってはひとつの自慢で、安心でもあった。



 今日、私たちは地元で有名なテーマパークでデートをしてきた。高校生のときに何度か一緒に行った場所だ。


 絶叫アトラクションでキャーキャー騒いだり、ショーを見たり、子供向けのコーナーでほのぼのとした時間を過ごしたりした。


 大人になった私たちには少しだけお金があったから、以前はできなかった、少しリッチなディナータイムも過ごした。


 思い切り健全に楽しんだ後なのに、私たちが繁華街のど真ん中のラブホテルなんかにいる理由は、帰るのが寂しくなった私に、ラブホテル未経験者のトモキが、興味津々でついてきてくれたから、というだけだ。


 もう高校生ではないけれど、久々のテーマパークに興奮した私は、とても家に帰って大人しく眠れる気分ではなかったのだった。


 それにはいくつか思い当たることもある。一つは前述したように、ただ興奮していただけということだ。


 問題は二つ目。昼間アトラクションに乗った時、いい加減懲りない私は、絶叫アトラクションが怖くなっていまい、結局トモキに手を繋いでもらったのだ。


 こういうのを、吊り橋効果って言うことは知っているのだけれど、例によって私は、アトラクションから降りたあとも、なんだか胸のドキドキが収まらないような気がしていた。


 そして三つ目。風情も何もない話なんだけれど、さっきも言ったように、私の生理周期はそろそろ排卵日だということを、スマホのアプリが教えてくれていた。


 そんなこと、教えてもらわなくても、カレンダー女の私はいつもわかっている。端的に言えば今日、私の性欲はとても高まっていた。他意はほんとうにないのだけれど、なんとなく落ち着かなくて、誰かのそばにいたい気分になっていた。


 正直に言えば、今トモキの隣でふかふかのベッドに寝ているこの瞬間、私の身体は湿っていて、ひとの体温を求めていた。これはもうどうしようもない衝動なのだと思う。


 それにしてもひどい、と、私は、トモキが寝入る直前の私たちのやりとりを思い出していた。


「ねえ、せっかくこういうところ来たから、えっちなことでも、してみる?」


 私は明らかに冗談とわかるトーンで言った。しかし実際、そういうことになっても、いいような気がしていた。私の身体は、冬にも関わらず、すごく熱くなっていたのだし。


 いつものように笑いながら、トモキに言った。きっとトモキは、笑いながら冗談を返してくれるものだと思っていた。そう信じていた。


 だけど、トモキは、とても悲しそうな顔をして言った。


「そんなこと、できないよ。友達にそんなこと、できない。」

「そっか、そうだよね。」


 私は笑いながら返したけれど、あとになってから、実は自分がとても酷いことを言ってしまったのかもしれないと気づいた。


 もしかしたら自分は、トモキを傷つけてしまったのかもしれない。私は忘れていた。セックスは本当は好き合っている者同士でするものなのだ。


 でも、好きな人ができたことのない私は、セックスはしていても、好きな人とセックスをしたことはなかった。だから、わからなかったのだ。それは付き合ってもいない相手に、軽々しく言って良い言葉じゃなかったのだ。


 トモキは「ねむいから、おやすみ」と言って、反対側を向いて眠ってしまった。あとには、目がさえてしまって眠れなくなった私だけが取り残されていた。


 自分は本当はトモキとセックスがしたかったんだろうか。私は自分自身に問いかけた。わからなかった。


 私の身体は、飲酒と非日常による興奮のために火照っていて、ただ衝動をおさめたかっただけなのではないだろうか。そう思った。


 だけど、そんなこと、友達に求めたらいけない。だって、それは相手を傷つけてしまうことだから。自分の衝動くらい、自分でおさめないといけない。


 トモキが寝静まった隣で、私は声を出さぬようにそっと自分を慰めた。私の身体はずっと湿っていて、誰かの指を欲していたけれど、そんなことは、トモキには関係ないのだから。


 そんなことに利用しようとしただなんて、自分はトモキの友達失格だ。恥ずかしい。こんなの、友達以下だ。



 だけど。ほんの少しだけ、私は思いを巡らせる。あのとき、私がトモキに言った言葉が違っていたら、きっと結末は違っていたのかもしれない。


 「えっちなこと、してみる?」なんて、自己保身だらけの文句、正しいはずがない。今日一日、いや、今までずっと、付かず離れずの距離にいてくれて、いつでも嫌な顔せずに、隣に来てくれて。そんなトモキに言うべき言葉なんて、多分決まってた。


 きっと、ただこれだけ言えば良かった。相手の目を見て、まっすぐに。


 「だいすき」と。


 あれからもう五年も経つ。私は結婚相談所でお見合いをして、結婚して子供を産んだ。


 トモキにはもうずっと、会っていない。今私の隣にいるのは、愛する旦那様と愛する子供たち。幸せな生活、夢見ていた「特別」な関係。


 だけど、私は、まだ恋をしらない。

 

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