第12話 終わり
懐かしい名前を聞いて、エムロードは脱力した。
いくら繕っても無駄だ。誰にも話したことがない名前を知っている時点で、彼女の腹芸は通じない。
そもそもおそらく人ではないであろう彼女に腹芸をするなど、それこそ無礼ではなかろうか。
「私はただ元こちらの世界の住人だったアナタに、特別な祝福を与えたいだけよ。私はうちの子を可愛がる主義なのよ」
「……それってつまり、地球人みな可愛がるつもりなのですか?」
「可愛い子には祝福という名の愛を、悪い子には天誅という名の愛を。っていう感じね」
「なるほど」
「元とはいえアナタは地球人で可愛いくて良い子だし、今回の功績者だから選ばせてあげたいのよ」
「その祝福を他の人に譲ることは?」
訊くと魔法使いは目を見開かず、まるで予想していたと言わんばかりに微笑んだ。
「馬場柚に譲ることは可能よ」
ああ、やはり。
この自称魔法使いはエムロードが涙を流した本当の理由を知っている。
前世の唯一の心残りだった弟が大きくなった姿を見て、感涙したのだと知っている。
「念のために言っておくけど、西園寺万里に譲ることも可能よ?」
「あら、万里のことは柚が幸せにしてあげたらいいのですよ。それくらいの甲斐性、あの子にはあるはずですからね」
自分の好意を伝いきれてないところがあったようだが、これからはその心配はなさそうだ。
「最近は女も男を幸せにしなきゃいけない風潮だけど?」
「それは当たり前のことでは? 柚が幸せであれば、その幸せは万里にも降りかかってくれると思いますし」
「確かに馬場柚の傍にいるかつ、馬場柚が西園寺万里の幸せを願っていたら祝福が西園寺万里に一部移るわ。けれど、それは些か傲慢じゃない?」
「なにがでしょうか?」
「あの二人が別れないっていう考えが」
「そうですね。もしかしたら、今はすごく好きでも、将来は嫌いになるかもしれない。ある意味賭けかもしれませんね。でも今は、お互いどうしようもなく好き合っているのは明白ですから、それを信じることにします」
魔法使いがジッとエムロードを見据える。その瞳を見返し、見つめ合うこと少し経ち。
魔法使いはふっと笑って、肩をすくめた。
「意思が固いようで」
と呟いて、魔法使いは腰を上げる。
「では、アナタの祝福を馬場柚にあげるってことで」
「ありがとうございます」
「別に祝福じゃなくても、馬場柚の様子を定期的に見ることも出来るけど」
「その必要はありません」
エムロードは首を横に振り、静かな目で魔法使いに微笑む。
「私はもう既にこの世界の住人です。確かに未練はありましたが、おかげさまでその断ち切ることができました。だから、もういいのです」
馬場清見の記憶が戻ったときから、年の離れた弟のことがずっと気がかりだった。泣き虫で甘えん坊で、どうしようもなく可愛い子。
親は弟が物心つく前に他界したから、たった一人の家族だった。その家族を不本意ながら措いていってしまった。
この世界に転生して、もう弟に会えないから忘れようと、必死になってこの世界に馴染もうとした。けれどいつも弟のことが忘れられず、ずっと後ろ髪を引かれて、一歩が踏み出せなかった。
いつも輪の中にいるようで、輪の中にいない。ただ輪を眺めているような疎外感をずっと抱えていた。
けれど、それももうおしまい。
万里が柚の傍にいてくれるのなら、柚の心配をする必要もない。ちゃんと幸せになれるのなら、それでいい。
後ろ髪を引く子はもういない。これでちゃんと、この世界で生きていくことができる。
「そう」
魔法使いは満足げに頷いた。
「それがアナタの決めたことなら、これ以上は何も言わないわ」
「魔法使い様、改めてお礼を申し上げます」
「どういたしまして。それじゃ、アナタも幸せにおなりなさい」
魔法使いが微笑む。エムロードは腰を上げて、頭を下げた。
ふわっと風が頬を撫でる。
ちらっと顔を上げると、目の前にいた魔法使いの姿が消えていた。
帰ったのか、と肩の力を抜いてドサッと椅子に雪崩れ込む。
脱力したまま天井を見上げ、万里のことを思い出す。
彼女からたまに聞かされた彼氏の話は惚気ばかりだった。珍しく愚痴を言ったかと思えばすぐ惚気に変わる。
そのときの彼女の顔といったら、なんとまあ可愛らしかった。そして話した後はすごく沈んだ表情になって慰めていたものだ。
彼女から聞かされた弟の話を思い出して、ふっと口元に弧を描く。
「実質、万里が私の義妹になるのかしらね」
天井から外に目を見やる。月明かりに照らされた夜空を見上げて、あの二人のことを想う。
「柚のこと、よろしく頼みましてよ。万里……」
彼女に届くことはないけれど、これは言わずにいられなかった。
夜空に一筋の流れ星が流れる。
エムロードはこのとき初めて、故郷との別離を受け入れた。
魔法使いが職場に戻ると、異世界に行く前よりも書類が溢れかえっていた。
人間でいうところの所謂お洒落なオフィスをイメージして作られたが、机の上のみにならず床にまで浸食している紙の塔のせいで、お洒落とは程遠い内装になってしまっている。
ついでにいうと、屍のように机の上で寝そべっている人物もいるせいで、地獄絵図のような感じになってしまっていた。
「だからアナログじゃなくて電子化にしろ、とあれほど言ったのに」
げんなりとしつつ、机の上で寝そべっている男性事務員を叩き起こした。
事務員は目を薄らと開けて、魔法使いの方を見るとへらっと笑った。
「あ、おかえりなさい。帰ってきて早々悪いのですが、報告書を書いたら次の仕事に取りかかってください~」
「ブラック企業も真っ青の対応ね。出張から帰ってきた人をすぐ出張させるなんて。それは定石じゃないわよ」
「人じゃないでしょ、あなた」
「元人よ」
しれっと言いのける魔法使いに、事務員がわざとらしく大きな溜め息をついた。
「元ですから今は違うでしょ。それと本当のブラック企業は、これが当たり前だと聞きましたよ」
「悪しき風習ね。そんなものさっさと断ち切るのが定石よ」
「それが定石だと分かっていない人が一定数いるんですよ、悲しいことに。まあ、ホワイト企業が増えると下の会社がその分を補うために忙しくなるとかなんとか」
「正しく悪循環。地獄よりも恐ろしい闇の世界ね」
二人同時に深い溜め息をつく。
「せめて人員を増やしてくれたらいいのに」
「無理言わないでくださいよぉ。あなたのように異世界に渡れるほどの力を持っているかつ、異世界に渡ったところでさほど影響が出ないような逸材、なかなかいないんですから」
「その逸材達はみんな出払っているのね」
「ほんと、勘弁してもらいたいものですよ。昔は楽だったのに。昔に戻りたい」
「それなら人間を変えないといけないわね」
落ちていた書類を拾い上げ、ひらひらと泳がせながら魔法使いは言う。
「異世界転生やら転移やらが増えたのは、人間の想いのせいなんだから、その想いを枯らせないとね」
昔々、異世界といえば神が住む世界か死者が住む世界のことで、どちらに行きたいという発想がなかった。
だが昨今、創作物の界隈で異世界転生及び転移ものが流行しはじめた。 人の想いは一つ一つは小さいが、合わさると強大な念となり、それは時に人智を超えることもある。
その念が異世界へ続く穴を開けさせる。人間の強い憧れや、異世界に対する認識により穴が開かれ、穴を塞いでも次から次へと新しい穴が空いてしまう。
生身の人間は穴に落ち、魂だけの存在となった人間は穴に吸い込まれる。
事務員が頭を抱え込み、うなり声を上げる。
「ああもう、人間の想い強すぎる……一人一人の力は弱くても束ねると強いのは本当のことだったと、常々思いますよちくしょうめ」
「キャラがブレているわよ」
「そうだ……僕が新しいジャンルを作って、人間の世界に広めれば、この地獄から解放されるのでは…………?」
「ジャンルを開拓する時間を作る前に流行が過ぎるわよ」
呆れた、というばかりに吐き捨てるように溜め息をつき、職場を見渡す。
「次の仕事はいいけど、その前にこの部屋を片付けるわよ。これじゃ危険度が高い遭難者の書類を見落としてしまうわ」
「女神がいる」
「女神よ。ほら、栄養ドリンク飲んだらさっさと動きなさい」
「イエッサー!」
やたらとテンションが高かったり低かったりする事務員に、片付けが終わったらコイツ無理矢理寝かせよう、と心に決めて魔法使いは指を鳴らして、赤いドレスから動きやすい服装にチェンジをした。
異世界遭難者管理課。
それは地球であって地球ではない、どこかの狭間に本拠地を構える部署の名前。
異世界に飛んでしまった地球人の保護活動、及び救助活動をしている部署。
部署はある施設の中にあるのだが、その施設の中にいる人は全員人ではない。
これはそんな管理課が担当した、一例のお話である。
【完結】異世界遭難者管理課の活動報告 空廼紡 @tumgi-sorano
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