第6通 父の面影

 ルクスは目の前を歩く男に助けられ、手当のために男の家に向かって山道を歩いていた。

「そういえば、君の名前まだ聞いてなかったな」

 男が前を向いたままルクスに問いかける。

「ルクス・フォン・ドートルです」

「ルクスか。いい名前だな。私はカイル・グラント、カイルでいい」

「カイルさん、さっきは助けてくれてありがとうございました」

「別に礼をされるほどの事でもないさ。元々狩りの途中だったからな」

 カイルは紐で足を縛られた2羽のウサギをルクスに見せるように肩にかけた。

「さっきの大きい獣は?」

「熊の事かい?一人で運ぶには大きかったからね。町に戻ったら何人か人を呼んで後で運ぶことにするよ」

「熊だったんですね…」

「なんだ、君は熊を見たのは初めてか」

 カイルは意外そうにルクスに尋ねる。カイルの住む町では狩猟や農耕で生計を立てている人が多く、狩りに出かけたことのない子供でも熊のことは知っているのが普通であった。

「は、はい。初めてです」

「ふむ…」

カイルは少し考えこむ素振りを見せ、立ち止まって後ろに振り向いた。

「…君は中央セントラルの人間か?」

 カイルは語気を強めて威圧するようにルクスに問いかける。カイルの眼光は鋭く尖り、ルクスの目を真っすぐに捉えていた。

 ルクスは気圧されてその場に尻もちをついてしまう。 

カイルは地べたにへたり込んでいるルクスの目をじっと見つめ、ルクスは自分の心の内を透かされているようだった。

「…本当に知らなさそうだな。すまない、今のは忘れてくれ。仮に君が中央セントラルの人間でも子供に罪はないのにな」

 カイルはルクスに手を差し出し、ルクスを立ち上がらせる。先ほどの威圧感は消え、表情に柔らかさが戻っていた。

「それで、ルクス君はどうして山の中にいたんだ?」

 カイルは前に向き直り、再度歩き出した。

 ルクスは本当のことを言っていいものか、どう答えるべきか考える。

「えっと、友達を探していたんです。それでこの森に迷って、それでその…」

 ルクスはカイルが持っているカバンをちらりと見る。 

「ん?あぁこれか?途中で拾ったんだが…ルクス君のだったか」

 ルクスはこくりと頷く。

「早く言ってくれればよかったのに」

 カイルは明るく光るそれをルクスに手渡す。ルクスにとっては現状唯一の光源であるカバン。カイルにはこの光無しでこの暗闇を何故歩けるのか、とルクスは疑問に思った。

「ありがとうございます。あの、カイルさんは明かりなしで森の中歩いて危なくないんですか?」

 ルクスは思い切ってカイルに尋ねてみた。

「明かり?確かにこの辺りは木が生い茂っているし夜であれば危ないが、まだ昼間だから明かりは必要ないぞ」

 まだ日が出ている?ルクスは空を見上げて確かめる。黒のペンキで塗りつぶしたみたいに真っ黒で吸い込まれてしまいそうな景色がどこまでも続いていた。

 ルクスはこちらの世界に来てからずっと真夜中だとばかり思っていた。しかし、カイルの話が本当であるならば、今ルクスの視界には一面を覆い尽くさんとばかりの緑とその隙間から覗く清々しい青が太陽の日差しをもって写っているはずだった。

「空を見上げてどうかしたか?」

 呆然と空を見上げるルクスを見て、カイルは不思議がった。

「あ、いえ。すみません。ボーっとしちゃって」

「いや、いい。熊に追われて疲れているんだろう。もう少しで村につくから頑張りなさい」

「はい」

 カイルは優しく微笑みかける。ルクスは自分が上手く笑えているのか自信がなかった。

 それから村につくまで二人は静かに歩き続けた。





 カイルの住んでいるユーベニリス村はルクスとカイルが出会った場所から1時間程歩いた場所にあり、パークスの街よりも小さく、住居も村を囲っている塀も全てが木造建ての簡素な村であった。

「カイルさん、お帰んなさい。今日の収穫はどうでした?」

「今日は野兎が2羽と熊が一頭だ。熊はその場に置いてきたから、あとで荷馬車と若いのを何人か集めておいてくれ」

 カイルがユーベニリスの入口付近で男と話している。恐らく見回りをしている人だろうか、ルクスにはその男の位置まで光が届いていないため想像するしかなかった。

「後ろの子供は誰ですか?」

「森で熊に襲われていた所を助けてな。怪我をしていたから手当をするために連れてきた」

「言いづらいんすけど、大丈夫なんすか?村長に何て言われるか…」

「大丈夫だ。何かあれば私が責任を取る」

「まあ、それならいいんすけど…」

「ありがとう、コリンズ」

 どうやらカイルと話していた男はコリンズというらしい。

「ルクス君、私の家はこっちだ」

 ルクスはカイルの先導に従って歩く。一瞬コリンズと思われる男の顔が見えたが、ルクスの事を怪しんでいる顔をしていた。

 その後もカイルの家につくまで、すれ違う人たちのルクスを見る顔は怪しむか怖がるかのどちらかだった。

「さあ、適当な椅子に腰掛けてくれ」

 ルクスは近くにあった椅子に座る。家族がいるのだろうか。テーブルを挟んで椅子があと2脚置いてある。

「僕は歓迎されていないみたいですね」

「すまない。コリンズも村の皆も悪気はないんだ」

 カイルは荷物を置いて、暗闇の中に消えていき、暗闇の中からカイルの声が聞こえてきた。

「ルクス君の手当ては少し後でもいいか?先にウサギの処理だけさせてくれ」

「はい、僕は大丈夫ですので」

 扉の閉まる音がした。ルクスは待っている間、部屋の中を散策し始める。

 ルクスのいる部屋は食卓も兼ねているのだろう、近くには食器棚が置いてあった。食器棚の中には木製の食器が種類ごとに分けられ、それぞれの食器は3枚ずつ重ねて綺麗に並べられている。カイルの家族構成は3人なのだろう。

「父さんがもし生きていたなら…」

 ルクスは叶わない夢だとわかっていながらも、想像してしまう。父さんと母さん、そして僕。もしかしたら、妹か弟もいたかもしれない。家族で食卓を囲み、今日あった出来事を話したりして笑顔が絶えなくて。

 ごく普通の、多くの家庭で享受できる幸せを想像している内に、ルクスの視界は本人の意思を無視して滲み始める。

「ルクス君、待たせてしまってすまない……どうした?」

 ウサギの下処理を済ませたカイルは傷薬や濡らしたタオルを持ちながら心配そうな顔を浮かべていた。

 ルクスは自分が泣いているのに気づいて急いで涙を拭ったが、どれだけ拭っても今まで堰き止めていたものがまとめて押し寄せる。

 カイルは手に持っているものをテーブルの上に置き、ルクスをそっと抱きしめた。

 ルクスはその腕の中で泣き続けた。カイルに自分の父親の姿を重ねながら。

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拝啓 もう一つの世界の君へ 中村 侑生 @yuki_nakamura

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