第5通 明かり

 ルクスが老婆の家からいなくなった後、ルクスはまるで暗闇の渦の中に放りこまれたみたいに、何も見えない空間でかき回されていた。実際には1秒にも満たない間の出来事であったが、ルクスにはもっと長い時間のように感じられた。

 渦から解放されると、ルクスは中に放り出された。重力に従って、ルクスは地面に吸い寄せられるように尻もちをついて着地する。

「ゔぇぇぇぇ…」

 幸いにもそれほどの高さではなかったため、大きな怪我はしなかったが、ルクスはずっと我慢していた吐き気が限界を超えて溜まっていたもの全てを吐き出した。

 全てを出し切り、幾分か落ち着きを取り戻したルクスは口周りに恐らくついているだろう吐瀉物を袖で拭って、その場に立ち上がって周りを見渡す。

「ここが婆さんの言っていたもう一つの世界…?」

 ルクスの見る限り周囲一帯に明かりが何一つなく、自分の手を目の前にやってみても、その手すら見えないほどだった。

 ルクスのいる場所は野山なのだろうか、耳を澄ますと草木が風に揺れる音や鳥のような鳴き声が聞こえてくる。

「周りには誰もいないみたいだな」

 あ、そういえば、とルクスはボトルメールと老婆からもらった小袋の入ったカバンが無くなっていることに気づき、地べたに膝をつきながら手探りで探し始める。光源がないこの場所では指先の感覚だけが頼りだった。

 腕を振り、数歩進む、この作業をカバンが見つかるまで繰り返す。

ルクスが腕を振る度に草がさざ波を打つように音が鳴った。

 何度繰り返しただろうか、10分ほど地べたを這いずり回った時、ルクスの手に何かにぶつかった。カバンかとルクスは期待したが、その期待は大きく外れてしまう。

「なんだこれ。なんか柔らかい…」

 ルクスは柔らかいそれを調べようと、再度触れようと手を伸ばしたその時、手を伸ばしたその先から重く体の内側に響くような咆哮が鳴り響いた。

「グォォオオオオオ」

 ルクスは咆哮の聞こえた瞬間、大きな何かに背を向けて駆けだした。

ルクスは街育ちであったから動物を見る機会はそれほど多くはなかった。鼠や小鳥などの小動物、大きくともせいぜい犬猫止まりだった。

 そんなルクスでも、いや、下手な知識がなかったからこそルクスは本能的に危険と感じられたのかもしれない。

「はあ、はあ…」

 ルクスは一心不乱に何かと離れるために暗闇の中を走り続ける。

 背後からは聞こえる足音が小さくなりつつあった時、ルクスの地面を蹴りだすために出した足が空を踏んだ。ルクスは何も見えていないから、自らが小さな崖に突っ込んでいることに気づかず、ルクスはそのまま崖を転がり落ちた。

「うぅ…」

 着地でうまく受け身を取れなかったルクスは小さくうずくまり痛みに耐えていると、遠のいていた足音が崖の上まで迫ってきていた。

 一歩、また一歩と何かが唸り声を上げながら近づいてくる。

 ルクスはもうダメかと諦めかけたその時、何かがいる方向から銃声が鳴り響いた。

 ルクスはソラナと共に、パークスで兵士団に所属していたロイに銃の射撃訓練を見学させてもらったことがあったが、その時に聞いた音よりも遥かに大きい音に感じた。

 崖上では二発目、三発目の銃声とそれに負けじと大きな獣のような叫び声が鳴り響く。

『バンッ』

四発目の銃声が鳴ると、ドサッと地面に倒れこむ音がした。

 誰かが助けてくれた?とルクスは少し考えたが、こちらは何も見えない上に相手は銃を持っている以上、ルクスは下手な行動はとらずに、息を殺して相手の反応を待つことにした。

 足音がまた崖上の方から近づいてくる。先ほどまでと違う点は、足音が小さく人間の歩く間隔に近いことか。

 足音が真上でピタリと止まった。

 ルクスはゆっくりと敵意が無いと主張するように崖上の方へ顔を向ける。

「こんな山の中で子供が一人で何をしているんだ」

「えっ…」

 ルクスは驚きの表情を浮かべる。ルクスが前に読んだ本にあった、助けてくれたのが実は人間じゃないみたいな展開になったからではない。それはそれでルクスは驚くが。

 ルクスがこの世界に来てから最も感じていた違和感、それは何も見えないこと。夜であれば暗いのは当たり前だが、月や家から漏れる明かりなどの光が反射して何も見えないなんてことにはならない。

 はっきりとは見えないが、ルクスを追ってきていた何かを倒したその人が崖上からこちらを覗きこむ顔が確かに見えていた。

「とりあえず手につかまれ」

 その人はルクスに手を差し出す。驚きのあまりルクスは言われるがまま手を掴み、いくぞ、と掛け声とともに崖の下から引っ張り上げられた。

「大丈夫か?」

「あ、少し腕をぶつけたくらいです」

 その人はぶっきらぼうに聞いてくるが、ルクスにはその声はどこか懐かしく落ち着くように感じられていた。

 ルクスは立ち上がり光の差す方を向くと、ロイと同じくらいの年代だろうか、精悍な顔つきの男が立っており、この人を中心に半径2m程度が光っているようだった。

 光はこの男の人の腰に向かうにつれて明るさを増していて、腰にはルクスの持っていたカバンがぶら下がっていた。

「ふむ。我慢する気概は立派だが、体中擦り傷だらけじゃないか。子供のうちは素直な方が可愛げがあるというものだ」

「え?」

 ルクスは自分の体を見ると、確かにこの人の言う通り服から露出している部分は擦り傷だらけで服も所々破れていた。

「家に来なさい。簡単な手当くらいはしてやれる。もちろん無理にとは言わないが」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 不思議と落ち着く声のせいか、ルクスは気づいたらこの人についていくことを決めていた。

「よし、それじゃあ私の家はこっちだ。はぐれないようについてきなさい」

 ルクスは再び歩き始める。男の持つカバンから漏れる明かりを頼りにして。

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