皇帝物語

@nekochansong03

第1話

サブタイトル皇帝と皇帝の主治医と妃との悲恋小説本文


皇帝物語



 日本の皇帝。現天皇ご一家の居、


王城は道六里四方程度御座り、真ん中に20四方程に堀をほり回り、御殿の数ことのほか多く見え、瓦は五色にて薬をかけ、光り輝き、


四方に門四口御座り、われらとも見物し、大手の御門には、大いなる5っ並べて置きて、橋柱のゆきげた、踏板、らんかん、いずれも石


にて欄干にはリュウを掘りつけて、橋を並べて五つ掛けて、其中一つの橋大王行幸のとき、御渡る橋にてという。


 現天皇は曲水が好きで、


目に入るのは亭々たる古柏のみ、小径を西に折々迂回し湾曲した水路を設けた、酒杯を流しそれが止まったら、詩歌を詠む、曲水流觴という。


現天皇は劉玄様御年35歳、皇后は和子様御年33歳、後継ぎはいまだできておらず、ご容姿は、貴人故に触れずに及ばず、そこで課題となるのは、光城の庭園は花園、曲径通幽、東亜に山を巡らせた谷をうがち、閣桜、桜上、山石、曲径の調和、山境、影山、日のあたり陰り、紫色の西山、小高い丘と沢、私道もあり、世継ぎと天皇の趣味がドライブで、それも酩酊状態で運転される。


皇后も同乗は必須で、週2〜3回程度で、木やがけの塀に激突して終わる。不幸中の幸いでいまだ軽傷で済んでいる。もちろん人の姿はなく、民間人はいないので、人身事故は起きない。


 今日も気に入りのブラウンの軽ワーゲンを車庫から出し「ドライブに行くぞ」と声をかける。皇后さまは、慌てた様子もなくかといって機嫌がいいわけではなく、淡々とし同乗した。


 おふたりが出会わられたのは、天皇家付属の学校の高等部の学び舎で、桜の木の下で淡い恋を育てた。天皇は幼いころから、恨みならともかく、跡目争いで、命を狙われており、悲哀を感じていた。ふたりはそれを分け合っていた。血統ですでに皇位は決まっていた。栄光よりも悲哀を感じていた。


 付属の大学まで一緒で学ばれ、そのころから酒におぼれ始め、御方28歳、御奥方26歳で成婚された。「生きるも死ぬも一緒」ふたりは誓い合ったのである。



 御方はすべての首長であった。各機関の最高機関の最高会議でのあいさつや、重要事項の答弁などあったが、その時も半分は酒によって、赤面、足元もふらつき、言葉さえ不明瞭なさまであった。各国との親善など言葉にできない様子だった。



 その年の三月のことであった。新しい天皇家の主治医が中国から着任した。体は頑健、壮建で、顔も爽やかな、もちろん賢明なる印象を与える37歳の青年医師で、名前は条金伍といったが、


先に会見した御奥方はなぜか曇った表情だった。それは海外の医師ということではなく、


国内の主治医でさえ、しばしば御方御奥方に不適切な治療をすることがあったからで、


御奥方の顔を見て、血色が悪いのでと、漢方薬まで処方してくれるかいがいしさに、ふと不振を漏らすと、


「医者ですから職業人としてその役目を果たすまでです」といった。


それでも疑心を持ち、「もしかしたら御方のアル中の治療のために参ったのではありませんか」と問うと、これにはうつむいて答えず,感じ入って、


「日本は過去に隣の小国と中国に傷つけ、惨殺し、侵そうとしたことを恨んではいないのでしょうか」と尋ねると、「経済的にも大国となり、肩を並べる以上に発展した今となっては、そんな些細な事は気にしません」といった。


そして、「私の父は中国人で、とても才能ある医師でした。母は日本人で、短気なところのある父をよく支え、盛り立ててくれた忍耐の人でした。両親亡き後、人並みの医者になっても、妻をめとる気になれず、


日本に参ったのは、皇室の主治医というそん色ない職に就けるということもありますが、


亡き母の面影を持つ妻を求めて、やってきたのかもしれません」「私はあなたの中に、亡き母の面影を見ているのかもしれません」といった。



 四月になり、皇室の恒例の酒宴が年四回あり、そのうちの一つは四月に催うされる。


光城内に人口湖をそこに小島を作り(中国の東湖を縮小したような)、高ゲタ式の建物に、渡し船の簡単な船がいくつもあり、今年は桜の花びらの散るのが早く、流れは桜の流れとなっていた。国内の名士、著名人、官僚、外交官が集い建物、船で酒宴が催うされ、無礼講。天皇は普段の催しでは、綿単衣、絹袴、絹靴下に平底沓という軽装だが、今日はいつもと違い、天皇皇后も金糸銀糸の縫い取りの衣装、京劇風の派手な衣装を着ている。チーパオも黄色の色鮮やかに沓、皇后も赤のチーパオに蛾眉の化粧、秋眉、テイショウ、仮髪、墜馬の髷、


 ひと段落し、賢明なる唯一の理解者といえる、叔父と天皇、皇后三人で酒を交わし、くつろいでいると、ある地域の知事の知り合いの有力者の秘書が、西瓜を持ってきた。召し上がるのが当然だが、天皇は「いりません」と即座に言い、皇后も即座に「いりません」といった。叔父は後見人もあり信用のある人からの特産品は食べるのが理屈に合うといい、


 食し、すぐに落命してしまった。毒物が検出された。天皇も皇后も常にこのうような目にあっているので、生存本能が人より優れていた。


 当の秘書は疑われもせず、ちょっとして、天皇が警察に同行を求められた。丁重だが取調室に連行された。「なぜ食べなかったのか」ということが問題だったらしい。すぐに釈放されはした。


 天皇は行幸が悪く、同じ日本人でも重んじる気持ちが薄れ、周りの当然守ろうという意識がなく、逆に隣の小国の恨みが増し、身近な有力者の中にも潜入し、警察内部にもわいろなどの形で入り込んでいることが分かった。


皇后、は熱心な主治医の職業的態度を見るうち、常日頃からこのようなわずらわしさの中にいて、


天皇とのきずなは義務感だけであり、天皇への愛はなく、別の人にプラトニックではあるが愛が移ったのがわかるのだった。


御方は今回のことでさらに落ち込んだようで、いとこの和人様25歳と奥様の宮子様23歳が天皇家として、その資質から適切だといった。


確かに容姿も、奥様も同じく、現天皇よりややふっくらとしていて、包容力のある方々で人望があった。


御奥方は心の中で(御方も、もう少し精神的にしっかりしていたら、お役目を果たせたはず)とつぶやいた。


また御方はすでに御奥方が心変わりしたのを察知して、「天皇家は離婚は許されない。私が死なない限り、御奥方は自由になれない」といった。


 それからいくらもたたないうちに、皇居内で天皇は自動車事故を起こした。車の破損状態からふたりとも命が危ぶまれたが、皇后は思いのほか軽症で、バイタルも安定し、重体の天皇を見舞った。「これで、御奥方を自由にして挙げられた」と言って、御方は息を引き取った。


 不謹慎ながら、バイタルも安定した御奥方に、主治医はやっとこれで一緒になれると、病室で語り、御奥方もこれからの二人の未来のことを語っていた。


 翌日、御奥方の病状が悪化した。どこも正常なのにバイタルが正常でなくなり、御奥方はつぶやいた「事故を起こすとき、無意識に自分をかばうようにハンドルを切るのに、御方は私をかばうようにハンドルを切ったのよ」そう言って、脈は薄れていき、御奥方はなくなってしまった。



 主治医はそのまま皇室に見込まれ、役職にとどまることになった。皇位継承は堂々と滞りなく行われ、いとこの和人様が天皇となり、主治医もその儀式に参列し、


お目どうりした際、新皇后と目が合い、主治医がニッコリすると、皇后もニッコリされた。


  


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