Aさんの場合

 玄関を開けてすぐ抱きついてきた彼女からは、甘い匂いがした。

 彼女の部屋のベッドを背に座ったら、足に力が入らなくなった。立ち上がれない俺を気遣い、彼女は甲斐甲斐しく俺の身体を拭いてくれたり、大きめサイズのTシャツに着替えさせてくれたりした。

 並んで一緒にシフォンケーキを食べた。甘かった。途端にぼろぼろと涙がこぼれた。せっかく会えた彼女の前でみっともない、と焦って涙を拭おうとしたが、彼女も泣いていることに気付き、彼女を抱き締めて二人で何も言わずに泣いた。

 外で大きな音がした。

 地面が揺れだすと、そのまま揺れは収まる事なく大きくなった。

 もうすぐ死ぬんだな、と思った時、俺は彼女の背に回した手にぎゅ、と力を籠めた。

「好きだよ」

 外が赤く光った。きっともう間もなくなのだと他人事のように思った。

 彼女は俺の耳元で「私も。大好き」と返してきた。

 地面は揺れて、彼女の部屋のぬいぐるみや本や家具や、何もかもが落ちる。あちこちから破裂音や落下音が聞こえる。俺は目を閉じ、彼女のことを決して離さないようにきつくきつく抱きしめて、最後にどうしても言いたかった言葉をもう一度繰り返した。

「好きだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君と未来を 羽鳥湊 @hatori_minato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ