『中秋の名月』 ~鬼とお月見~
「こんなところに我を連れてきて、いったい何をすると言うのだ。そなたは?」
いつものように拝殿の前に
訳も分からず無理やり連れて来られたことが不服だったのだろう。実斐の端正な顔はまるで拗ねた子供のように見えた。
「だってね、拝殿のところからだと木がたくさんあって見えにくいけど、ここからだとよく見えるんだもの」
鬼の青年の不服などは意に介したふうもなく、悠音はにこにこと笑って空を指す。
空にはこれでもかというくらいに美しい銀色の輝きを放つ、まあるいまあるい月がゆったりと浮かんでいた。
実斐は不思議そうに首を傾げると、再び視線を少女へとおろす。
「 ―― 月が、どうした?」
「どうしたって……今日は十五夜だよ。お月見をする日でしょう? 実斐さんって、ホント風流じゃないよねぇ」
くすくすと笑いながら、悠音は四阿の下に設えられた長椅子にぴょんと腰掛けた。
今日は中秋の名月だ。
この青年が以前に暮らしていた時代は観月の宴などもあっただろうし、そういう季節の行事は頻繁にあったのではないかと思ったからこそ、こうして悠音は一緒に月見をやろうと思って来たというのに。
当の本人がこれでは、まったく拍子抜けも良いところだ。
まあ、その秀麗な美貌には似ず、いっこうに風雅な趣味を持ち合わせていないというところが、この紅い鬼らしいといえばらしいのかもしれないが ―― 。
「何が風雅だ。そなたの場合は月見と言うては団子を喰らうのが関の山であろうが。風雅というなら、月を題材に
ふふんと小馬鹿にしたように顎を上げて、実斐は悠音の顔を見おろすように笑う。その口許には小憎らしいくらいに艶然とした笑みが浮かんでいた。
「うぅ……そ、それは……」
思わず言葉に詰まってしまい、悠音はぷくりと頬を膨らませた。図星なことに、悠音はしっかりと月見団子を用意してきていたから反論も出来なかった。
しかし、一生懸命にお月見の用意してきたというのに。この実斐の態度は腹立たしいことこの上ない。
「実斐さんの馬鹿っ!」
腹立たしくて。哀しくて。悠音は大きな瞳いっぱいに悔しさを浮かべながら、思わずこぶしを振り上げていた。
「本当に見ていて飽きない娘だのう、そなたは」
その手を軽々と右手で受け止めながら、実斐はくつくつと肩を揺らすように笑った。
こんなふうに鬼である自分を馬鹿呼ばわりして手を上げようとする女など、実斐は悠音以外では知らない。
「そんなに申すのならば、そなたの月見とやらに付きおうてやらぬでもないぞ。少しは気が向いたのでな」
やんわりと漆黒の瞳を細めるように笑みながら、実斐は少女の手を放してその隣に腰をおろす。
「もう、知らないもん。私の気が向かなくなったもん」
悠音はぷいっとそっぽを向いた。ここで「はいそうですか」とお月見をするのはなんだか悔しい気がした。
「まったく……ほんに我が侭よのう、そなたは」
わがままって ―― どっちが!
聞き捨てならない実斐のことばに反論しようと思ってくるりと向き直ると、明るい笑みを宿した艶やかな漆黒の瞳と視線がぶつかって、悠音は目を逸らせなくなった。
あまりに優美な笑みにどぎまぎしながらも、楽しそうな実斐の表情に思わずつられて緩んできてしまう自分の口許を自覚して、悠音は盛大な溜息をついた。
「もお。なんかずるいなぁ。騙されてる気分だよぉ」
怒る気さえも失せてしまうような彼の美貌は反則だと思う。
―― けれども。
「まあ……いいや。せっかくのお月見だものね。楽しまないと損だもの」
自分の気持ちにけりをつけたように、悠音はにこりと笑う。
そうしてバッグの中から、学校帰りに買ってきた月見団子とススキを取り出すと、手際よく
「これでお月見らしいでしょう?」
ほんの少し得意げに、悠音は鬼の青年を見やる。
「 ―― ふむ。そうよのう。少しは観月の趣が出ておるか」
ぽんぽんと軽く撫でるように少女の髪を叩きながら、実斐はくすりと笑った。団子はともかく、ススキまで用意しているというのは予想外だった。
そうしてゆうるりと仰向いて、実斐は天に掛かる中秋の名月を見やる。
ゆるゆると静かな明かりを地上に投げかける月は、確かにいつも以上に美しい。
静寂につつまれた夜空の下で、さわさわとそよぐ風に揺れるススキの穂音が、心地好く耳をくすぐるように聴こえていた。
「佳い月だ」
優美な名月に感嘆するように、鬼の青年は声を上げた。
やんわりと笑むように月を見上げる実斐のその姿は、まるで一幅の絵のようだと悠音は思う。
流れるような深紅の髪と、それに埋もれるように伸びる月光にも似た銀色の細い角。そして端正な美貌が月明かりに照らされ闇夜に溶け込むように。けれどもゆるりと浮かび上がって見えるのだ。
「……うん。綺麗だねぇ」
月も。 ―― 実斐も。
「…………」
くるりと実斐は天上の月から悠音へと視線をおろし、ふっと笑った。月ではなく己を見ている少女に気が付いて、可笑しかったのかもしれない。
けれども、その事は口に出しては何も言わず、ただ懐から何か細長いものを取り出した。
「随分と興が乗ったのでな。ひとつ
ゆったりとそう言うと、実斐は取り出したものを己の口許へと静かに持ってゆく。それは竜笛と呼ばれる四十cmに満たぬほどの横笛だった。
「これで、我が風流ではないなどとは、もう言わせぬぞ」
にやりと笑って、実斐は悠音の顔を見る。
先ほど彼女に「風流じゃない」と言われたことを根に持っていたのだと悟って、悠音はくすくすと笑った。
「うん。その笛の音色が私の好みにあっていたら言わないよ」
実斐さんにそんな特技があるとは知らなかったけどねと、悠音は悪戯っぽく笑って見せる。
その言葉に軽く肩をすくめると、実斐は「聴いておれば分かるだろうよ」と言い捨てて、ゆったりと笛を奏で始めた。
それは ―― 悠音が聴いたことのないほどに優麗な音色。この月夜の天によく似合う、柔らかな月明かりのように静かで孤高な貴さをもった旋律だった。
「……きれいな音色」
思わず溜息が出てしまうほどの音色に、悠音はうっとりと呟いた。冗談を言う気も、実斐をからかう気も綺麗さっぱり消え失せてしまっていた。
聴き惚れるかのような少女のその様子に、実斐は僅かに目を細める。
「ふ……ん。それほど気に入ったのならば、もう一曲だけ聴かせてやっても良いぞ」
一つの曲を終えて口唇から笛を放した実斐は、珍しく優しげな笑みを浮かべ、そう言った。
中秋の名月を彩るように奏でられる竜笛の音を聴きながら。ゆるゆると月夜は更けてゆく。
紅い鬼と少女の、二人だけの月見の宴を楽しむように ―― 。
忘れ水に眠る鬼 ~番外編集~ かざき @kazaki_kazahara
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