ぬれおかきの味

入間しゅか

ぬれおかきの味

ぬれおかきの味




 ある日、私は女子高生になっていた。名前は柿本その子。正確に言うと『私』という表現はおかしい。『私』は『私』になる以前は『私』ではなく、『それ』であり、『あれ』であり、『これ』であった。生命を持たない物であった。それがどうした訳か女子高生になっていたのだ。


 何日、いや、何年、いやいや、数分前かもしれない、とにかく過去の話をしよう。目覚めると私は、いや正確に言うと目覚めるはおかしい。物が目覚めることなどないのだから。だが、目覚めるとしか言い様がない。目覚めると私は、眩い光を放つ四方を白い壁に囲まれた空間にいた。そして、どこからか(上からのようでもあり、下からのようでもあり)声が聞こえてきた。それは私が初めて聞いた音だったのだが、なぜ『声』だと認識できたのか不可解でならない。その声は早口で言う。「驚いているとは思いますが、ここはこの世とあの世の狭間です。生命ではなかったあなたにはあの世とかこの世とか言われてもわかんないですよね、でも説明ダルいので飛ばします。とにかく『ぬれおかき』として役目を終えたあなたに新たな役目を与えます。それはここを出てからのお楽しみ。安心してください。ここ出たらあなたは自分が『ぬれおかき』だった過去をきれいさっぱり忘れます。そして、見事に生まれ変わります。おめでとうございます。生命を手に入れるのです。ええ、ええ、わかりますわかります。あなたが言いたいことは全部わかります。訳分からんですよね。ですが、これが私の仕事なんで説明はさせないでください。そういうもんだと受け入れてください」と。すると、目の前の壁に丸い穴が開いた。奥には深い闇があった。声が言う。「さあ、この穴をくぐるとあなたの新たな冒険が始まります。楽しんで、行ってらっしゃい!」と。突如、背後から衝撃がはしり私は穴に放り込まれた。闇の中へ。最後に声のこんな言葉が聞こえた。「やべ、リセット押し忘れた」

 上も下も右も左も縦も横も何も無い闇を泳いだ。ここはどこなのか。どこへ向かえばいいのか、どこに向かっているのか。何もかもわからなかったが、私は泳いだ。すると、遠くにかすかに光るものが見えた気がした。かすかな光を求めて必死にもがいた。進んでいるのかの判断もできなかったが、徐々に光が強くなっていくのを感じた。光源にたどり着くまでどれほどの時間がかかっただろうか。闇の中にポッカリと開いた丸い穴。そこから眩い光がさしていた。私は意を決して穴へ飛び込んだのだ。



 奇跡。らしい。それはもうひどい事故だった。らしい。らしいとしか言えない。何故かと言うと私は光の穴をくぐった瞬間。柿本その子になっていたからだ。柿本その子はどうやら、交通事故に巻き込まれ、死にかけていたようだ。目覚める見込みはないと言われていたようだ。だが、私は闇の中を泳いだだけで、なんのことかさっぱりわからないのだ。記憶喪失というらしい。だが、私にはなぜか私が柿本その子という名前の人間で、性別は女で、高校生であるという認識があった。私は今、病院という場所にいるらしい。何やらわからないものをたくさん身体につけられて台の上に寝かされている。身体を起こそうとするが上手くいかない。私は身体を動かしたい。私は不思議で仕方がないのだ。初めて『見る』という経験をしたはずなのに、視界に入るものが何かわからなくても『区別』できている。だから、身体を動かしてもっと見たいと思っている。特に私は私を見てみたい。私からは私が見れないからだ。病室の窓から外が見える。外とはなんと奇妙なものだろう。常に何かが動いている。明暗がある。強い光が射すことがあれば、暗くて光の弱い時もある。

 私はわかることと、わからないことがあることがわかる。なぜわかるのかわからない。まず音がわかる。言葉がわかる。私は言葉を使って話すことが出来る。例えば、目の前には母親(母親とは何かがわかる!)を名乗る女性がいる。その人に向かって「お母さん」と呼びかけることが出来る。声を出す方法がわかる。表情がわかる。表情の意味がわかる。母さんはほほえんでいることがわかる。しかし、なぜほほえむのかわからない。わからないことが多かった。そもそも、なぜ、ここにいるのか。どうして、柿本その子になったのか。私とはなんなのか。



 気がつくと私は外に出ていた。知らない場所にいた。見た事がないのに懐かしさを感じる。そこで初めて私は私を見た。柿本その子を見た。なぜ、私だとわかったのかわからないが、あれは私に違いなかった。


 学校の教室。名前の知らない友達。お弁当。


 私は高校生だ。一緒にお弁当を食べる友達がいる。教室の窓からは心地よい風。友達が私のお弁当から卵焼きをつまんでたべた。私は怒ったかもしれない。いや、楽しかったのかもしれない。友達は笑っていた。私も笑っていた。帰ろう。ふと、そう思った。だが、どこから来て、どこへ来たのかもわからないのに、どこへ帰るというのだろうか。



 また病室にいた。母さんにさっき見た私について話した。母さんは涙を流した。私は「わからない」と言った。私は眠っていたらしい。眠りにつくと夢を見ることがあるという。

「夢ってなに?」と私が訊くと、母さんは「わからない」と答えた。そして「でも、」と付け足した。「いつかわかるようになるかもしれないね」と言った。

「そっか」

 私はまた夢が見たいと思った。

 翌日、夢で見たあの友達が病室に現れた。私は「昨日あったね」というと、彼女は首傾げていた。彼女は由美という名前だった。私が「友達の名前が知れて嬉しい」と言うと、彼女は俯いて「そうだね」と言った。由美にも夢で見た私の話をした。

「その子ママの卵焼きちょーうまいもんね」と由美は楽しそうだった。

「そうなんだね、私も食べてみたいなぁ。母さんの卵焼き」

 由美は笑った。

 それから私たちは私についてのいろんな話をした。私は私について詳しくなっていくのが嬉しかった。足が早くて、リレーのアンカーを務めたこと。陸上部にスカウトされたけど、断ったこと。勉強が苦手でいつも赤点ギリギリだったこと。そして、ぬれおかきが大好物だったこと。由美は丁寧に私について教えてくれた。私と由美は小学校からずっと一緒だったらしい。「なんだかうれしい」と言うと、由美は何度も首を縦に振って「うんうん」と言った。由美が帰ると、私はわかったようで、何もわかっていない気がしてきた。私は私について知っただけだった。結局、私とはなんなのだろうか。



 私は次第に身体が動かせるようになっていった。頑張った。看護師さんが車椅子に乗せて中庭へ連れてってくれた。風が吹いていた。花が咲いていた。空の青さに思わず瞬きを忘れた。私は生きているんだと思った。

「ねえ、私は私のことをいつかわかるようになるかな?」

 看護師さんはどこか遠い方向を見ながら「そうだねー、いつの間にか思い出してるかもしれないね」と言った。

「そっか」

 鳥が飛んでいる。たくさん飛んでいる。もう帰らないと。ふと思って、どこへ帰ればいいのかわからないのがたまらなくつらい。

 それから、何日経ったのかわからないけど退院した。怪我の何やかんやで、歩けないから車椅子でしか移動できないらしかった。一度は歩いてみたかったなと思ったけど、一度も歩いてないからいっかとも思った。初めて家に帰った。母さんが卵焼きを作ってくれた。美味しかった。「母さん、とても美味しいよ」と言うと、母さんは優しくほほえんだ。母さんが初めて嬉しそうにしているのを見た気がした。自分の部屋を見た。何も思い出すことはなかった。なにかわからないけど、絵が貼ってあって、私の好きなアニメのキャラだと説明された。

 由美が遊びに来てくれた。

「退院祝いになにほしい?」と訊かれて、私は「ぬれおかきが食べてみたい」と即答した。由美は大笑い。何がおかしいのかわからなかったけど、つられて笑った。ぬれおかきも美味しかった。「私、これ好きだなぁ」しみじみ言うと、由美はまた笑った。「ほんと、ぬれおかき好きだよね」

 その時私はハッとした。持っていたぬれおかきを思わず落とす。あの白い空間でのことを思い出したのだ。あの声は私に言った「『ぬれおかき』としての役目を終えた」と。

「ねえ、由美。私、思い出した!私のこと」

「え?」

「私、ぬれおかきだったんだ!」

「は?」

「そうか、そういうことか。いや、まてまて、どういうことだ?私ぬれおかきじゃない」

「たんまたんま。その子、落ち着こう。なんの話してるの?」

 私は白い空間での出来事を由美に話した。由美はしばらく考え込んで、言葉を探しているようだった。しばらく、二人の間に沈黙が流れた。壁掛け時計の秒針の音だけが聞こえていた。由美は何度か頷いて「ま、いいんじゃない?」と言った。

「そうなの?でも、私まだ私がなにかわからない」

「その子はその子だよ。ぬれおかきだったとしても」

「そっか」

「そうだよ」

「そうね」

 その夜、私は夢を見た。また白い空間にいた。声が聞こえる「ごめん、ぬれおかきの記憶消すの忘れてた。でも、上手くやってくれて助かりましたよー。まあ、これからも頑張って!」と言うと声は聞こえなくなった。

 

 

 目覚めてから私は考えた。ぬれおかきは夢だったのか。それとも、私が夢なのか。由美がくれたぬれおかきはまだ袋に残っていて、私はまじまじとそれを見る。

「まいっか。うまいから」

 ぬれおかきを頬張るととても幸せな気持ちになった。

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