グリューワインに酔わされて

いいの すけこ

お酒は二十歳になってから。

 光が色に染まるのって、なんて綺麗なのだろう。

 色ガラスを大きな枠の中に収めた、一枚絵のようなステンドグラス。

 まあるい色とりどりのオーナメントを飾った、黒い縁取りで描かれたガラスのクリスマスツリーが聳えている。背景は三日月の浮かぶ夜空で、光を透かしてもまだ深い青色のガラスでできていた。天から降り注ぐ光は琥珀色のガラスで表現されていて、午後の日差しに輝いている。

「今年も売れなかったんだな、これ」

 目の前に飾られたステンドグラスを眺めて、新淵しんぶちさんが言った。ステンドグラスは、新淵さんの身長よりもまだ高い。

「売り物なんですか?」

 ステンドグラスは窓にはめ込んであるのではなくて、窓際の壁に立てかけてあった。倒れたりしないように、壁に繋がった黒いチェーンをガラスの前にかけるようにして固定してある。

「アンティークショップだからね。わりと何でも売り物だよ」

 市役所よりも、高校よりももっと先へ歩いたところ。ちょうど駅と駅の真ん中くらいにある、中途半端な場所にある大きなお店。私と新淵さんは、銀の月眼鏡店の近所――という概念が、あの不思議な場所に当てはまるのかはわからないが――にあるアンティークショップに来ていた。

 私は高校より先の場所を散策したことがなかったので、こんなところにアンティークショップがあるなんて知らなかった。


「この店、クリスマスは気合いが入るんだよ」

 そう、今日はきよしこの夜クリスマス。夜ではないけれど。

 そんな特別な日に、新淵さんと二人でお出かけをする。

 普段引きこもってるような人と、こんな日に。

 いや、私がクリスマスケーキなんか携えて、狙いすましたかのように――というか、狙った――十二月二十五日に押しかけたのだけど。

 そして『お店はあんまり、クリスマスっぽい飾りつけとかしないんですね』とか言ったから、気を使って連れ出してくれたんだろうけど。

 良いんだろうか、こんな幸福なことがあって。

「まあ、お店の雰囲気に合うもんね」

 興奮とときめきと幸せと感謝で頭を一杯にしていたところ、新淵さんの言葉で我に返った。

 お店の真ん中には見上げるような、天井に届くツリーが飾ってある。てっぺんに輝く銀色の星が、吊られたいくつものシャンデリアの灯りを反射してきらきらしていた。

 というか、種類も大きさも違うシャンデリアがあんなにたくさん飾ってあって、よく見ればそれらにはすべて、小さな札のようなものがぶら下がっているということは。

「もしかして、このお店じゅうのものが売り物ですか」

「全部が全部じゃないけど」

 ツリーにぶら下がってるオーナメントにも、小さな値札シールが貼ってあるし。ステンドグラスの枠にも、壁の時計にも、カフェスペースでお客さんが着席している椅子にも、レジ横で個別売りのお菓子を並べているアフタヌーンティースタンドも。

「値札、いっぱいついてる……。飾ってあるのは良いけど、お客さんや店員さんが使っている什器は大丈夫なんでしょうか。汚したり壊したりしたら」

「まあアンティークなんて、そもそもユーズドだし」

 そういうもの、なんだろうか。


「さて。外行こうか」

 新淵さんは店内のカフェスペースに背を向けて、入ってきたのとは別の出入り口に向かった。

 二人で午後のお茶でも楽しむんだろうかなんて思っていたのに、あてが外れた。いや、ちょっと考えが図々しすぎるか。

 外はよく晴れているけれど風が冷たく、なんとなく年の瀬らしいぴりっとした空気がした。暖房の熱気に緩めていたコートの襟もとを、ぎゅっと締め直す。

 リボン付きのファーをあしらった淡いピンクのコートは、学校に着ていくにはそぐわない。だからお母さんがクリスマスセールで勢いづいた時は、買ってもらってももったいないと思っていたけれど。

(可愛いって、言ってくれたしな)

 今日、休日に気合いを入れて出かけていくには、ぴったりだったから。お母さんには全力で感謝をしておく。

「外で寒いけど」

 新淵さんが私の方を振り返った。

 こちらは気合を入れたとかでは、ないのだろう。だけどいつも着ているシャツとベストではなく、シンプルなグレーのニットとロングコートの装いもまた違った雰囲気で、かっこいい。


「あ、良い匂い」

 お店には小さな庭があって、なにか甘酸っぱいような香りがした。

 庭の端、大きな鳥かごみたいなガーデンアーチの前で何かを売っている。外国の映画とか、海外ニュースで見たことのあるレモネードスタンドのような、可愛い売り場。

「アルコール入りと、入ってないものを一つずつ」

 お庭と売り場を眺めまわしている間に、新淵さんはさっさと注文を済ませてしまった。お財布を出す間もなく、蓋つきの紙カップを手渡される。

「ありがとうございます。えっと、なんですか、これ」

「グリューワインだよ。ホットワインね」

 じゃあ、漂ってくるのは葡萄の香りなのか。クリスマスシーズンになると、確かに食品雑貨店で見かける気がする。

 でも、ワインってことは、お酒なのでは。

「スウちゃんのは、アルコールが入ってないやつだから安心して」

「あ、良かった」

 そういうのもあるのか。でもそれって、単にあったかい葡萄ジュースなんじゃないだろうか。いやだけど、アルコールゼロビールなんてものも、世の中にはあるのだし。そう思いながら、熱いグリューワインもどきをそっとすする。


「……美味しい」

 葡萄ジュースとは違った味わいがした。スパイスとかハーブとか、ちょっと複雑な香りがする。濃い甘みと、ほのかな酸味。何よりも体が温まる。温かいのは、なんだか幸せだ。

「それはよかった」

 そういって新淵さんも、自分の分のグリューワインを飲んだ。赤いカップを掴む手は素手で、寒くないんだろうか。私は外に出た時に手袋をはめたけれど、お互い素手だったならと考えて。

(それはちょっと、できそうにない)

 自分の想像を、そっと胸の内にしまった。

「そっちはお酒、入ってるんですよね。入ってないのと、味って違うんですか」

 ワインというぐらいなんだから、アルコールが入っているものこそが正式なのだろう。私が問うと、新淵さんは首を傾けて。

「飲んでみる?」

 白い蓋に空いた小さな飲み口を、そっとこちらに向けた。


 いやいやまって。

 そのカップは、ワインは、あなたが口をつけていたもので。

 まって。それはつまり。

「ああ、ごめんごめん。つい。スウちゃん、未成年だもんね。お酒をすすめちゃだめだよねえ」

 いやそういうことではなくて! そういうことでもありますけども!

「悪い大人だ」

 ちっとも悪そうに見えない顔で笑って、新淵さんはアルコールの入ったグリューワインを飲む。

 私の分には、お酒は入っていない、はず。

 なのにこんなに熱くてたまらないのは、もっと別のものに浮かされているからに、違いがなかった。

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