金色の午后

蒼月りと

金色の午后

果実月16日


 拝啓。父である。

 そちらも暑い日が続いているそうだが、元気だろうか。父は王都クラースで日々三歩進んでは二歩下がる困難な研究に立ち向かい仲間たちと研鑽し、魔術と世界との調和に貢献している。

 休暇延期を知らせた際、おまえは父のクビがそう遠くないと危惧していたようだけれども、心配無用である。

「所員や院生たちが帰省する間、研究所とフラスコの中身を任せられるのはギルランド先生だけ!」と所長に絶賛されたのだ。 知っての通り我々魔術師の目指す道は、ナンバーワンよりオンリーワンである。父が拝受した任務は休暇よりも遥かに重い。 そういうことである。おばあちゃんにもそう説明してください。くれぐれもきちんと説明するように。誤解、ダメ。絶対。


 クラースも珍しく暑さが続いている。草も木も生気を失うような炎暑とはよく言ったものである。窓から見える青空のなんと眩いことか。 おまえも外へ出るときは帽子を忘れずに。また、こまめな水分補給も怠らないように。 察しのように父はこのところ研究所から一歩も外へ出ていないので安心召されよ。 下宿に帰るのを放棄したからではない。分け入っても分け入っても答案用紙の山。そういうことである。 学生というものは試験や課題のたびに不満を漏らす。だが、少し考えてほしい。我々にも終わりなき戦い、採点祭りがあることを。

 文字が悪筆すぎて読めないのはまだ序の口である。ごま粒よりも小さな文字で記述する者の方が厄介である。 老眼鏡と親しくなって久しい教授陣への挑戦状である。

 他にも表面はほぼ空欄という驚きの白さなのに、裏面にシチューのレシピを懇切丁寧に披露する者もいる。 これは古代より学生たちに受け継がれてきた伝統ある試験作法なので、減点するときはさすがの父も心が痛む。 中には手順ごとに詳しい図まで描き入れる者もいる。まったく大したものだよ。何故このシチューへの情熱を試験勉強に注がなかったのか。 とはいえ、涼しくなったら父も作って味わってみるつもりだ。何事も実践が大切である。感想は次の機会に。


 夏季休暇、大いに楽しんでいるようで何より。庭のジャスミンの花のスケッチもありがとう。 母さんの好きだった夏の世の花を大事にしてくれていること、うれしく思う。

 朝から晩まで野山を駆け回るのもほどほどに。昆虫採集で駆けっこの足を鍛えるのもけっこうだが、新学期の試験も忘れないように。

 それではお元気で。有意義な夏季休暇をお過ごしください。

草々





 夏を楽しむ我が家のお嬢さんへ


追伸

 何故まだ学校で習っていない単語スペルが混ざっているんだ、とおまえは思うかもしれない。これは父からの宿題である。 おばあちゃんに質問する前にまず辞書を引いてごらん。書斎の父の机にあるのを使うといい。 書斎には他にも図鑑があるので昆虫を捕まえたときの参考にどうぞ。







果実月27日


 父です。

 お手紙どうもありがとう。

 クラースでは去り行く夏を惜しむかのように、夕方になるとカモメたちが一斉に空を舞います。 夕焼け色に染まる海も、カモメたちの翼もとてもきれいです。そちらでは外を飛び回るトンボの種類に変化が出てきたことでしょう。 昆虫採集、励んでいますか?

 枝に引っかかった帽子を取ろうと木登りをしたとのこと。ロッテの大冒険に父さんははらはらしました。 近くを通りかかった紳士が救助してくれたのですね。そういうときは無茶をせず、おばあちゃんや先生、近所の大人に相談しましょう。 それにしても怪我がなくて良かった!


 おばあちゃんに父さんの学生時代の答案用紙を見せてもらったそうですね。

 そうです。何を隠そう、父さんも古くから学生たちに受け継がれてきた伝説の試験作法を学び、実践したことがあります。 父さんのシチューのレシピは大好評を博して加点を得ました。が、図解部分で大きく減点されました。 見ての通り、あんなにきれいに描けていたのに不思議ですね。今日に至るまでその謎は迷宮入りしたままです。 この話の教訓は、多くの芸術というものは作者の生きているうちに他者には理解されにくいということです。 時代を先取りしすぎてしまうということですね。「教訓」の意味については辞書で調べてみるように。 今日の父さんからの宿題です。


 夏季休暇前の試験とレポートの採点がようやく終わりました。 生徒たち秘伝のレシピはコツさえ掴めばおいしいものもあったので、次に会う時に腕前を披露します。お楽しみに。 まずはこちらに戻ってきた院生と所員にふるまって試行を重ねるとします。


 王都クラースでは火祭りのちょうど真っ只中です。毎日多くの人たちが街のあちこちを出歩いて楽しんでいます。 涼を見つけながら露店でふるまわれる伝統料理に舌鼓を打ったり、中央広場で次々と繰り出される大道芸に目を輝かせたりと、 過ぎ行く夏を誰もが盛大に送り出しています。父さんは研究所と下宿の往復で素敵なお店は知らないのだけれど、 リーゼロット叔母さんは五年もこちらにいるので詳しいですよ。

 最終日の今日は大変な賑わいです。今も花火の音が遠く近く聞こえてきます。 さすがに家の中では小さくしか見えませんが、やはり夜空に瞬く光の花は豪華でとてもきれいです。 王都の夜をひときわ明るく照らしてくれています。大輪を咲かせたかと思えば、一瞬にして夜の闇に吸い込まれていく。 その儚さが美しさを一層引き立てるのかもしれませんね。

 新学期の準備は進んでいますか? 火祭りの花火のカードを送ります。 残り少ない夏、おばあちゃんとアイスクリームを食べながら楽しんでください。

 それではお元気で。



シャーロット・ギルランド様


追伸

「お父さんは学校でも手紙でも偉ぶっていて人望がない」 「人望がないから夏休みをもらえなかったのでは」とロッテが心配していたと、今日届いたおばあちゃんの手紙にありました。 それは大きな勘違いです。

 ヒントは、多くの答案用紙に書かれた試験の回答欄よりも詳しいシチューのレシピ。

 ひとは、本当にいやな奴にはここまで手の込んだものをしないものですよ。今までの講義で何を学んだのか。 何故じゃがいもが材料から抜け落ちているのか。気になることが二、三点あるので彼らには新学期にじっくりお話を聞くつもりです。 それにしてもよく「人望」だなんて難しい言葉を知っていますね。感心しています。新学期、勉強も遊びもその調子で励んでください。







葡萄月5日


 こんにちは。お手紙ありがとう。

 新学期が始まりましたが、久しぶりの学校生活はいかがですか。父さんもロッテと同じ年のころは、休暇が終わるのが切なかった。 風通しの良い書斎で葉擦れの音を聞きながら本の世界の冒険に繰り出せる、あの夏の昼下がりお気に入りだった。 休暇は長ければ長いほど最高だぜ! と思っていた時代もありました。 「毎日が夏季休暇だったらいいのに」とありましたが、どうだろう。それはそんなに素敵なことでしょうか。 終わりが決まっている期間限定だからこそ、とても輝くのだと思います。おばあちゃんのアップルパイと同じですね。 あれは食べられる季節が限られているからおいしいのですよ。きっと毎日三食続けて食べたら飽きてしまいます。

 それから、「毎日が夏季休暇」というのは父さんくらいの年になると、使用を禁じられている特別な魔術と同じくらい絶大な威力を持ちます。 公園に朝から晩まで長く滞在している大人に使ってはいけません。それには深い理由と浅い事情があるのです。 君もだんだん大人になるとわかります。行くべきところ、帰るべきところがあるというのは、ささやかだけれどとても幸せなことです。


 花火のカード、おばあちゃんと楽しんだようでよかった。 色とりどりの花火が三分ごとに形を変えていく仕掛けも気に入ってもらえたようで何より。 暗い部屋で見ると、もっときれいに光が見えるでしょう?


 クラースは、火祭りが終わってからいつもの静かな町に戻りました。

 研究の気分転換に父さんは通りを散歩します。研究所の目の前の坂道を十分ほど上って行くと、小さな広場に辿り着きます。 そこは、天気の良い日には海がよく見えます。

 今朝、そこへ行ってみたらセミの鳴き声はなく、キリギリスの羽を鳴らす音がしました。 茂みを覗いたところ、ブラックベリーの実が生っているのを見つけました。朝露に濡れてつやつや光る実は、とてもきれいでした。 暑い間はミイラになってしまわないように外出を控えていたので季節の変化に驚いています。いつの間にか秋が訪れていたのですね。

 そういえば、父さんの図鑑に薔薇の押し花の栞が二枚挟まっていたと言っていましたね。 添えられた一節「王の位も何にかはせむ」が、父さんの文字じゃなかったと。ご明察。あれは昔、君の母さんからもらったものです。 母さんと(当時はまだ君も生まれていないから彼女は母さんじゃなかったけれど)収穫祭で作ってお互いの作品を交換したものです。 だからその文字は若いころの母さんのものですね。名探偵さんに一枚お好きな方を差し上げます。秋の読書のお供にどうぞ。

 朝晩だいぶ涼しくなってきました。体を冷やさないように気をつけて。



名探偵シャーロット様







葡萄月14日


 拝啓。父です。

 お手紙ありがとう。

 すっかり日が暮れるのが早くなりましたね。秋もだんだん深まりつつありますが、お元気ですか。

 おばあちゃんから手作り葡萄ジャムを頂戴しました。君も最近お気に入りだそうですね。 確かにこれは毎朝パンに塗りたくなるほどおいしい。このとろけるような甘さは実験明けの朝によく沁みます。大事に食べます。


 父さんは毎日研究所と下宿との往復に励んでいます。

 学校生活、充実しているようですね。「夏も休暇も終わってしまってさみしい」と言っていましたが、 さっそく秋の楽しみ方を見つけたとは。いやはや、さすが名探偵! なかなかやりますね。

 新しくお向かいに引っ越してきたひとが、夏休みに帽子を救助してくれた紳士でびっくりしたとのこと。父さんも驚きました。 世間は広いようでなかなか狭いですね。王都で評判のチョコレート菓子を送りました。 おばあちゃんにも伝えたので、一緒に改めてお礼に行っておいで。母さんもよく言っていたけれど、お礼は早いほどよいものですよ。

 もう一箱は、おばあちゃんや友だちと一緒に食べてください。 来週、リーゼロット叔母さんがそちらに帰るのでお土産話を聞きながら食べるのも良いかもしれませんね。 ちなみに父さんは抹茶味のものが好きです。遠い東の国のお茶の種類のひとつで、苦くて甘い少し大人の味がします。 探偵さんにはまだ早いかな?


 この間のお休みの日、書庫の鍵をおばあちゃんが開けてくれたそうですね。 雨があがってもヘザー船長の物語にすっかり夢中になっていたとのこと。 父さんも同じ年のころによく読んだお気に入りのものばかりなので、君も船長と愉快な仲間たちと一緒に楽しく冒険しているのはとてもうれしい。 リーゼロット叔母さんが小さいころにはよく読み聞かせたものです。父さんが読むとリーゼも目をきらきらさせていたっけなあ。なつかしい。

 父さんは、二巻の西アーモンド島へ行く話が一番好きです。 満天の星空の下、ホットチョコレートを酌み交わし、ホクホクのじゃがバターを食べる場面は最高ですね。 研究所で実験データの整理をしている夜、その場面がよく頭をよぎってお腹が空きます。

 ところで例のお向かいの紳士は、かっこういいですか?

 それではお元気で。



本の世界で大冒険を始めた名探偵様







葡萄月28日


 拝啓。お手紙ありがとう。

 お元気ですか。父さんは変わらず研究所と下宿との往復に励んでいます。 このごろは気候もよく、坂道の広場で夕陽を見るのがささやかな楽しみです。 夜の海に淡く溶けていくあの橙色はロッテたちにも見せてあげたい。

 チョコレート、おいしく食べてもらえて良かった。またそのうち送ります。

 リーゼ叔母さんから素敵な王都土産をもらったそうですね。深いエメラルド色のワンピースとリボンが特にお気に入りだとか。 君の瞳の色とおそろいですね。次に会う時にはぜひそれを着て、父さんにも見せてもらえたらうれしい。 少し背も髪も伸びて、去年よりもおねえさんになったロッテに会える日が楽しみです。


 来月の収穫祭の準備で町は大変盛り上がっているようですね。 学校の行き帰り、中央広場に少しずつ作られていく遊園地の様子に、目をきらきら輝かせている君の姿が目に浮かびます。

 開祭式で歌う「金色の午后」を学校で練習しているとのこと。父さんもロッテと同じく三年生のときから開祭式で歌いました。 三年生から上級の生徒全員で歌うのが伝統とはいえ、時の流れにしみじみとしています。そうか、もうロッテも三年生か。大きくなったなあ。


 ひそまりしづむ木立に 鐘は鳴り 鳥は歌う

 さやけき秋 光満ちて午后は金色に輝けり

 君と微風の夢をみる心地

 王の位も何にかはせむ


 なつかしくて一番の歌詞を書いてみました。一人で歌ってもメロディーのきれいな歌ですが、やはり誰かと声を響き合わせるのが一番ですね。 そうそう。詩を書きながら口遊んでいたら(研究所の机で書いています)、居合わせた教授と学生に代わる代わる手のひらで額を触られ、 「今日は早く帰るように」と言われました。何故だろう?

 この民謡について友だちと図書館まで調べに行ったのですね。 物事の意味や背景を調べて学んだり考えたりすることで、それを深く知る。とても大事なことです。 クラスのみんなと歌う「金色の午后」に一層深みや味わいが出ることでしょう。 素敵な歌に仕上がると良いですね。


 夏季休暇に帽子を取ってくれたお兄さんがお向かいの紳士で図書館で働いていて図書館で働いていたのがお向かいの紳士で帽子を取ってくれた親切なひとでこの歌のモデルとなった広場を丁寧に案内してくれたんですね。 大丈夫だ。問題ない。父さんは冷静です。やはり世間はなかなか狭いですね。 紳士はきれいな金髪の持ち主で背が高くてヘザー船長の冒険も他の愉快な物語も何でも知っているとのこと。 父さんはロッテと同じ髪の色で背はなかなかのものですが、もっと物知りですよ。何でも聞きなさい。 もしも紳士に泣かされたら父さんにすぐ報告を。楽しい呪いをかけて差しあげます。

 収穫祭の夜に花火を見に行きたい件。行っても良いですが、二つ約束してください。

 一つ、おばあちゃんか必ず誰か大人の人に一緒に行ってもらうこと。

 二つ、風邪をひかないように必ず暖かくして出かけること。

 この二つが守れるのならば花火鑑賞に出て良いですよ。


 収穫祭のコンテストに向けて、おばあちゃんのレース編みに精が出ているそうですね。 去年の葡萄の木の下でうたた寝するキツネ、そのそばを追いかけっこするウサギ親子をぐるりと刺繍したテーブルクロスは大変美しかったですね。 惜しむらくは、我が家にそれを飾るための宮廷サイズのテーブルが存在しないことでしょう。今年も大作でしょうか?  隣のハドソン夫人との一騎打ちになりそうですか?

 それにしても、このところ例のお向かいの紳士の話ばかりですね。

 そちらも朝晩だいぶ冷えるだろうから寝るときは暖かくしてください。合唱の練習も収穫祭も大いに楽しんで。



シャーロット様







霧月16日


 拝啓

 お返事ありがとう。とても嬉しかった。 父さんは毎日シチューを研究したり、坂道の広場へ上ったり下りたりしています。

 収穫祭の合唱は大成功だったのですね。良かった。父さんも聴きに行きたかった。 手紙からロッテの高揚した気持ちや達成感が手に取るように伝わってきました。学校の仲間と練習をがんばった甲斐がありましたね。 「高揚」については辞書を引いてごらん。

 なかなか返事が来ないので父さんは首が長くなりました。今なら例の紳士より頭一つ分は高いですよ。


 夜の花火は紳士が付き添いで来てくれたそうですね。リーゼロット伯母さんと一緒に来てくれたのですね?

 それにしても、紳士がリーゼロット叔母さんの学生時代のクラスメイトだったとは。まったく世間というものは狭いですね。 その彼なら父さんも覚えています。うちにも何度か本を借りに遊びに来たことがあったはず。 確かリーゼよりも線が細く、背の低い少年だったと記憶しています。そうか、今の彼はそんなに背が高いのか。時の流れは早いなあ。

 紳士はどこまでも親切でやさしかったとか。 叔母さんと紳士と一緒にメリーゴーランドに乗ったり、ホットチョコレートや綿菓子を買ってもらったり、秋薔薇の花びらで栞を作ったりしたとか。 おばあちゃんとハドソン夫人は仲良く二等賞だったとか。うらやましい!  扉を開けると中央広場だったらいいのになあと思いながら、父さんは実験に励んでいました。 研究所にカンヅメしていると、時々むしょうに大騒ぎをしたくなるものです。 つい昨日、学生たちと学院の中庭で焚き火を囲みマシュマロを焼いていたら、事務員さんに叱られました。 議題は術式の応用や将来への展望、何故シチューのレシピにじゃがいもを入れなかったのか、などなど。 議論を重ね、白熱しすぎたのがよくなかったのでしょうか。全員シラフだったのに馬鹿騒ぎと処理されてしまいました。 あの熱い探究心は今も胸の奥で燃えています。なんてな。 外で食べると、特に秋の金色に輝く陽だまりの中で食べるといつもよりおいしく感じるのは何故なんでしょうね。

 ところでメリーゴーランドに白馬が登場したのですね。 昔はシュッとした馬は黒い一頭だけで、他はどっしりした栗毛の馬とかぼちゃの馬車ばかりだったので、リーゼ叔母さんとどちらが黒い馬に乗るかでよく口論になったものです。 妹との年の差を考えると、兄はとても大人げなかった……。 でも、ヘザー船長の相棒のシャチに似ていたら乗りたくなるのも仕方がないでしょう?

 花火のカードをありがとう。研究所の机に飾っています。父さんが夏に送ったカードと似ているとは、さすが探偵さん!  よい観察眼をお持ちですね。そうです。このシリーズは、父さんの研究所で練り上げた魔術式を元に誕生しました。 気に入ってもらえて光栄です。この光の花を咲かせる術式を更に応用すべく、父さんたちの研究所は日夜励んでいます。 そろそろ良いお知らせができる……かもしれません。

「ヘザー船長の大冒険」シリーズを読破したとは立派です。図書館に通い始めたのですね。 できれば図書館の紳士の手を借りず、冒険は自分の手で勝ち取るのも一興だと思います。 とびきり愉快な本との出会いがありますように。読書の秋、楽しんで。


反省文を教務課へ提出しに行く父より



新しい大冒険に乗り出すロッテ船長様へ







霧月27日


 一筆啓上。お加減はいかがですか? のどによく効く蜂蜜を送ります。 おばあちゃんにこれでホットミルクを作ってもらうようお願いしました。たっぷり飲んで元気になってください。 この蜂蜜はパンケーキと食べてもおいしいですよ。父さんはお試し品を三回かけて三回ともほっぺたが落ちました。 落ちたほっぺたは今も見つかっていません。少し元気になるとベッドの中は退屈でしょう? お見舞いを同封します。 取扱説明書をよく読んでお楽しみください。色々あったようだけれど、まずはゆっくりよく休んで。父。







霜月2日


 拝啓。父です。

 お手紙拝読。熱が下がって安心しました。

 紳士はとても素敵なひとなのですね。今までのシャーロットの手紙で父さんもたくさん彼のスバラシイところを知りました。

 世の中にはひとの悪い点ばかりを探して得意げに話題にする人間もいます。 悲しいけれど、他人の粗探しはとても簡単なことなのです。反対に、そのひとの素敵なところを見つけること。 そのひとがどんなに素敵であるかを別の誰かに伝えること。この二つは簡単なようで、実はとても難しいことです。 リゲルくんのやさしくて誠実な人柄と少しおっちょこちょいなところ、笑うと眉が下がって何だか情けない感じがするところ……。 他にもたくさん彼の素敵なところを発見し、それを大切にしてきたシャーロットは大変立派です。


 リーゼロットが春に花嫁さんになる話、本人とおばあちゃんの手紙で聞きました。

 リーゼ叔母さんが紳士を取った。そして紳士がリーゼ叔母さんを奪った。二人に自分は騙された。

 今の君はそういう気持ちでいっぱいかもしれない。

「紳士が自分に優しくしてくれたのは、リーゼ叔母さんのごきげんとりのため」とはなかなか手厳しい!  確かにそういったこともほんの少しはあったかもしれないね。 ただ、露店の会計前で財布を忘れたことに気づくような彼がそこまで器用かどうか、父さんは少し疑問に思います。

 二人が一緒に居ると、二人ともがとても嬉しそうにやさしく笑う。二人がそろうと、こちらも気持ちが明るくなる。

 また新たに二人の素敵なところを発見できただなんて、ロッテはやはり名探偵ですね。 それは二人の間に、見えない大切な糸がつながっているからですよ。 ただし、その糸は、どんなに視力が良いひとでも、どんな名探偵でもその二人以外に見ることはできません。 物知りの父さんでも見える位置は知りません。二人だけの秘密だからです。

 君は、リゲルくんに「恋」をしていたのですね。 だから、大好きなリゲルくんと、大好きなリーゼ叔母さんが結婚することを知って、すごくすごくショックだったのでしょう。

「恋」というのは常に甘い時間だけが流れるのではなく、時には苦い瞬間も訪れます。そういう想いを経験した人は世界に大勢います。 父さんもその一人です。母さんもそうだったと思う。今は少し苦しくてさびしいかもしれませんが、大丈夫です。 やがて彼に恋していた日々の思い出があたためてくれます。

 大好きなものと大好きなものを足すと、もっと大好きなものになるか? その式の答えはきっと時間が教えてくれます。

 お見舞いに送った小壜、気に入ってもらえましたか? また熱がぶり返さないようにあたたかくしてお過ごしください。



シャーロット様


追伸

 もうすぐ良いニュースをお届けします。







霜月7日


 拝啓。

 お手紙ありがとう。

 体調はすっかり元気になったようですね。ほっとしました。

 この間送った、星空と夕焼け空をすっかり気に入ってくれたようですね。感想うれしく読みました。 研究所の所員や院生に伝えたら大喜びしていました。苦労や疲れが吹き飛ぶのはこういう瞬間です。 ロッテが収穫祭の「金色の午后」の合唱で存分に味わった「達成感」と同じですね。

 壜からスプーンで一杯垂らすと部屋いっぱいに広がる星空は、花火の光るカードに埋め込んだ術式を応用して考案しました。 それにしても、夏の星座と冬の星座が一緒に出ていることを見つけたとは!  何故それを!? いやはや、名探偵様には参りました。何を隠そう、送った壜はまだ試作品なのです。 プロジェクトメンバーの意見をひとまず全部まるッと入れたところ、そんな星空になりました。 とっ散らかったおかげで秋の一等星は虫眼鏡を使わないと見えません。ロッテの言うように、季節ごとに別の壜に分けた方が良さそうですね。 貴重なご意見ありがたく頂戴します。

 夕焼け空は、夏の終わりと秋の夕暮れの濃さや色合いに勝るものはないので毎日坂道の広場まで上って参考にしました。

 冬の間に王都で試験発売し、春にはそちらの店先にも並ぶ予定です。


 君がまた新しい冒険を始めたと聞いて父さんはうれしくなりました。

 おばあちゃんにレースの刺繍を教わり始めたのですね。花嫁さんにプレゼントできるよう、なんとしても春までに上達してみせるというその心意気、大変ご立派。

 完成したら、きっとそのハンカチはリーゼ叔母さんの一番の宝物になるでしょう。いや、間違いなくそうなります。 あれは気丈なようで、なかなか涙もろい子だから。すぐにそのハンカチの出番が来ることを父さんは予言しておきます。

 また図書館通いも再開したとのこと。今度は「黒髭探偵の冒険」シリーズに夢中になっているようですね。 父さんはまだ読んだことがないシリーズなので、帰ったらぜひご教授ください。


 父さんからも一つ良いニュースを。

 春からそちらの研究所に戻ることが決まりました。その準備もあるので、再来週、一度そちらに帰ります。 延び延びになっていた夏季休暇もそこでもらうことにしたので、星祭りが始まってから新年を迎えてしばらくはずっとそちらで過ごします。

 ロッテと離れて暮らしていた間、父さんはさびしかったけれど、反対にうれしいことも見つけました。 離れていたのがうれしいということではありませんよ?

 感動を伝えたい誰かがいること。美しい光景に出合った瞬間、それを一緒に見たい、胸に湧き上がったこの気持ちを伝えたいと真っ先に思い浮かぶひとがいること。 そのひととその素敵な気持ちを共有することを願って、その瞬間を眼に焼き付け心に刻もうとしていることが、どんなに幸せなことなのか。 それを改めて知り、うれしくてたまらないのです。

 君がリゲルくんに恋していた間もそうした想いを何度も体験したのではないでしょうか。

 今の父さんのお話と、君のリゲルくんへの想いの温度は大きく違いますね。でも、誰かを大切に想うその出発点は案外似ているものです。

 また、誰かと一緒のテーブルで夕食をとるとどんなにあたたかくておいしいかも思い知らされました。

 帰ったら約束のシチューをごちそうします。たまねぎを切るのが父さんはずいぶん上手になりました。 それからホットチョコレートを父さんとも乾杯してくれたらとてもうれしい。 じゃがバターや焼きマシュマロを庭で食べる計画なんていかがですか、お嬢さん。

 星祭り、何から見て回ろうか? 今年のプログラムを父さんはまだ知らないので探偵さんには綿密な調査をお願いします。

 それでは再来週、父さんは帰ります。



我が家の心やさしい名探偵様へ


追伸

「お父さんとお母さんがツキアイダシタのって、いつからですか?」という質問にはびっくりしました。 もっとびっくりしたのは、君の推理が当たっていたこと。栞を交換した年の収穫祭からです。参りました。 そうですよ。君の母さんと過ごした日々は、王侯貴族の位など何てこともないと思えるくらいかけがえのない眩しいものです。

 その話は帰ったときにでも。また。

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