終章
その後、対策の会は島への上陸を果たし、近隣で航行している海上自衛隊にも無線で連絡を入れた。サクラ様を信仰していた連中はあらかた縛りあげられ、それから吉野と彼女の子どもたちは対策の会によって保護された。
葵は対策の会がここまで使っていた船に乗って、本土へ続く海を渡っていた。あのあと葵は気を失って、そのあいだにツバメとハトによって腹を縫われたらしい。目を覚ますと白いベッドの上に寝ていて、さらけだされた腹には綺麗な包帯がぐるぐるに巻かれていた。
部屋にあるドアがノックされる。葵は「どうぞ」と言った。たったそれだけで、腹に痛みが走る。
「葵」
「……っ。ああ、葉様でしたか」
葉は涙でも流していたのか、赤く腫らした目をしながら葵に近づいて、傍にある椅子に腰をおろした。
「大丈夫?」
「はい。まあなんとも寝にくい布団ですけど」
「そう。こんなの島にはないものね」
葉はベッドをじろじろ眺め、それから葵の腹にある包帯を見た。
「傷跡、残ったらごめんなさい」
「何故謝るんです? 俺が勝手にやったんですから、あなたに責任はないですよ。それより、父は? 木槿は大丈夫ですか。血、だしてましたけど」
「平気よ。顎をちょっと切っただけ」
「そうですか」
葵はホッと息を吐いた。無事ならば今はそれでよかった。
船は揺れているようだが、島の船よりはいくらかましな乗り心地だった。まるでゆりかごに揺られているようである。葵はふと眠くなって、目を閉じた。
「寝ないで」
葉が葵の腹を叩く。葵はあまりの痛みにうめいた。
「つっ――、やめてくださいよ。いったいなぁ! 縫ったばかりなんですよ。開いたらどうするんですか」
「あなたが勝手に寝るからよ」
冷たい瞳で見下ろしながら、葉はふと優し気な眼差しを浮かべた。ふとその表情をどこかで見たことがあると思った。思い返してみる。そうだ、先代だ。染井だ。彼女と初めて顔を合わせたのは、父の付き添いでだった。そのとき、こんな風に優し気な目を向けられた気がする。遠い昔の幼い頃の記憶だから、あまり定かではないけれど。
「約束、守ってくれてありがとう」
「そりゃ、どういたしまして。――、椋も喜んでくれていると良いけど」
「きっと喜んでいるわ。私が保証する」
また部屋がノックされた。返事をするとそこから満が入ってきた。藻屑と泥でひどい有様だった姿は、すっかり綺麗になっていた。
「葵くん、お加減は?」
「大丈夫ですけど、先ほど葉様に傷のあたりをぶったたかれました。これで死んだら彼女のせいです」
「葉様」
満が険しい目で葉をにらむが、彼女は「それくらいで死ぬなんて軟弱ね」と涼しい顔をしてみせた。
「何か用?」
「――対策の会の斎藤さんという方が、今後について話し合いたいと葉様を探しています」
「わかったわ。すぐに行く。けど私で良いのかしら」
「今回はあくまであなたの保護が目的でしたから、それで良いんです」
葉はふと嬉しそうな顔をした。それから泣きそうな顔になった。
「明日があるって素敵ね」
そう言うなり、彼女は椅子から勢いよく立ち上がってスキップでもするように部屋をでていった。
「葵くんには、あとで人を寄越しますね」
「たぶん寝ていると思います」
「そうですか。まあここまで長旅でしたからね。お疲れ様です。ゆっくり休んでください」
はい、とうなずいた葵に、満は会釈をして部屋をでる。それからまた部屋は静かになった。
葵は目を閉じる。船が揺れる音が聞こえた。時折部屋の前を誰かが歩く音がする。それ以外は何もなかった。
ふと瞼の裏に椋の姿を見た。彼は泣きそうな顔をしていた。葵は泣くなよと思った。声にはだせなかった。夢なのか現実なのかわからず、椋を見つめた。
けれど気持ちは伝わったのか、不意に椋は涙を止めると困ったように笑って頭の後ろをかいた。それから彼は「ありがとう」と口にした。声は聞こえなかったが、唇の動きはそうだった。
葵も同じことを思った。「ありがとう」と。そして「ごめんなさい」と。しかし椋は笑っていた。それから踵を返して歩きだした。そのあとを追いかけようとするが体は動かない。椋の姿はみるみる小さくなって、やがて闇に飲まれて消えた。
葵は彼の残像を眺めながら、涙を流す。これは完全な別れだと知った。もう2度と彼には会えない。葵も島を離れ、これから本土での生活が始まるだろう。だが本土へ着くにはまだ丸1日かかる。
それまでは静かに眠っていようと思った。大丈夫、明日はまた訪れるのだから。
桜花爛漫の一葉 凪野海里 @nagiumi
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