千と一人目のシェヘラザード

藍の都エルカンドの会計士、ナヴィド記す。

所用で出掛けた病院で、顔に包帯を巻いた老婦人が、興味深い物語を聞かせてくれた。

“その女“は、かの高名なシャフリヤール王に、このように告げたのだという。



いいえ、私は何も要りません。

これ以上誰も犠牲にならなくて済むならば、それだけで充分でございます。


今宵はドゥンヤザードもおりませんが、御礼にもう一つお耳に入れましょう。

このお話は、千と一の物語より始めにございました。


とある街に二人の少女が暮らしておりました。

戦争にあっては手を取り合って逃げ落ち、飢饉にあっては食べものを分け合い、そうして貧しいながら二人で生きてきたのです。


しかし賢く美しく成長したシェヘラザードが、王の目に留まることも時間の問題でありました。

ドゥンヤザードは寂しく思いはしましたが、王の妃になるという栄誉に、友人を送り出すしかありませんでした。

しかしこの王は、国中から娘たちを集めては、毎夜のように切り捨てていたのです。


シェヘラザードを慕うドゥンヤザードは、息災であるか王宮に尋ねようとして、変わり果てた姿の友人に会いまみえました。

ドゥンヤザードは嘆き悲しみました、あの時自分が代わりに行けばよかったのだ、シェヘラザードを引き留めるべきだったのだ、と絶望したのです。


名前が気になりますか、王よ。

これは物語なのです。

どんな名も持ち得るのですよ。


ドゥンヤザードは正気を失わんばかりに焦燥して、友人の骸を抱き、月の無い王宮の庭々を徘徊しました。

すると、彼女だけではなく、卑しい身分の者たちが、娘の姉妹の恋人の名を呻きながら、草むらを柱の間をのたうっている様子が見えました。

泥に沈んでいくように、怨嗟の声の中を進んでいるうちに、ドゥンヤザードはある企みを思いついたのです。


娘を失った精肉業者がシェヘラザードの頭の皮を剥いで、

恋人を奪われた皮革業者がその皮を仮面に仕立てて、

妹を差し出した大臣の息子からその身分を買って、

毎夜一人の人間がその仮面を被って王の元に出かけるのです。


まるで魔法か呪いのように不思議ではありましたが、誰が仮面を身に付けてもまるで、シェヘラザードが生き返ったように見えました。

娘を失った精肉業者が、恋人を奪われた皮革業者が、妹を差し出した大臣の息子が、数多の悲しみに見境を失った者たちがその皮を被って、王に夜毎、物語を話して聞かせました。

王が物語に夢中であるうちは、新しい娘が殺されることもありません。

そのために彼らは、おぞましい王に自ら近づき、物語という鎖をかけていったのです。


私は毎夜傍らで聞いておりました。

今宵はいよいよ私の番となりました。

王よ、この顔の下に何があるか、知りたいと申されますか。

千と一の物語は、千と一の人間が紡いだものです。


あなたは先の妃の裏切りによって、女を信じられなくなったと申されましたね。

だが“私“ならば側に置けると。

王よ、あなたという男は“私“が“私“でないことも分からなかった。

毎夜、違う人間が傍らに侍っていたことに気付かなかった。


王よ、人は誰でも物語を持つ者です。

あなたが闇に打ち捨てた女たちにも、その家族にも、その恋人たちにも、人は一人一人に秘められた物語があるのです。

あなたは物語を聞くのがお好きだけれど、今までにどれだけの物語を終わらせてしまったか。


さあ、私の顔をよく見て下さい。

私は、千と一人目のシェヘラザード。

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ナヴィドの手記(短編集) 田辺すみ @stanabe

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