オタクくんに優しくて大田区に厳しいギャル悪魔さん

春海水亭

まずは自己紹介

「この近くにオタクに優しいギャルの幽霊が出るらしいぜ」

「死んだ相手には優しさを向ける側になれよ」

「安心しろ、お供え物としてエナジードリンクは持ってきてるから」

 鞄の中からエナジードリンクを取り出しながら、四天してんつくるがにやりと笑った。

 おそらく朝に買ったものを鞄に入れっぱなしにしていたのであろう、すっかりぬるくなってしまっている。


「お供え物に多量のカフェイン含むなよお前、安らかに寝かせてやれ」

 軽口を叩きながら、なんだか面倒なことになりそうだぞ、と太田おおた 邦彦くにひこは思った。

 四天創という男は、発作的に非日常的なワクワクやドキドキを求めだす。

 社会の裏側で行わえる異能力者による戦いを探して深夜に路地裏を回ることもあれば、超常的な存在に選ばれたことによる異世界転移を求めて山に何かしらの神秘的なゲートが開いていないかを探したこともある、大金が得られる命がけのゲームへの強制参加でも良いと言って「デスゲーム参加希望」と書かれたTシャツを着て一日を過ごしていたこともある。

 日常に満たされていないというわけではないのだろう。

 住んでいる町も通う高校も田舎という欠点はあるが、大体の不便さは通販と配信で補える。

 それに成績は上から数えたほうが早いぐらいだし、誰かから特別に嫌われているわけでもない、なにより漫画研究部で作品語りをする瞳に宿る炎は退屈とは程遠い熱量に満ちている。


 それでも非日常を求めてしまうのは、彼が十六歳という人間が一番ギラギラしている時期だからだろう、若さというものは満ちて足りるということを知らないのだ。

――馬鹿馬鹿しい、こういうのは中学生……いや、小学生で卒業しておくべきだろ。

 口ではこう言いながらも、邦彦は創の探索についついついて行ってしまう。

 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、結局邦彦もそういうワクワクを求めてしまうのだ。


 そして、今日は帰り道の途中に寄り道して、オタクに優しいギャルの幽霊を探そうというのである。


「で、オタクに優しいギャルの幽霊って?僕はここらへんでギャルの死亡どころか事故や事件があった話すら聞いたこと無いけど」

 邦彦がスマートフォンの時計にちらりと目をやる。

 六時三十分、太陽は沈んだがまだまだ時間に余裕はある。


「ああ、俺も聞いたことはないぜ。つまり、最近引っ越してきた幽霊なんだろう」

「あー、いいや。幽霊が引っ越すかどうかは置いとこう。で、なんでオタクに優しいってわかるんだよ」

「なんでもオタクを見ると、おっぱいを揉ませてくれるらしい」

「それは……僕なら優しい霊じゃなくて痴女の霊って呼ぶな」

「でも優しいは優しいだろ」

「…………まぁ、優しい……のか?優しさを履き違えてないか?」

「それが間違った優しさでも、俺はおっぱいが揉めるならその優しさを正しいものだと信じるぜ。それにお前もおっぱいは揉みたいだろ」

「……まぁ、揉みたいな」

 会話をしながら、人気の少ない方へと歩いていく。

 意味もないのに錆びたトタン外壁を撫ぜる。

 ざらざらとした感触は乾いた傷口に近い。

 黄色い字で神の実在を訴える黒地の看板も、もう二度と誰にも金を貸すことのないであろう古い金融屋の看板も、おそらく永遠に打ち付けられっぱなしなのだろう。

 幽霊は新しい場所が好きなのだろうか、それともこんなような誰にも忘れられてしまったかのような場所が好きなのだろうか。

(こうして語っていれば青春小説の主人公にもなれそうなのに……探しているのはギャルの痴女幽霊なんだよな)


「……邦彦」

 はたと創が立ち止まった。

 それに合わせて、邦彦も足を止める。


「今から二歩……いや、三歩だ、合わせろ」

 創の声は震えていた。

 だが、表情に怯えはない。

 武者震いは声も震わせる。

 創の言葉に邦彦は無言で頷き、創に歩調を合わせる。

「足音がさ」

 カツ。カツ。

「一つ」

 カツ。カツ。

「多いんだよ!」

 カツ。カツ。カツ。


 二人で一斉に振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。

 制服風の栗色のブレザーを着ているが、二人が見たことのないものである。

 スカート丈は短く、そこから伸びる足はすらりと長い。

 身長は平均的な男子高校生の二人よりほんの少しだけ低いぐらいだ。

 プラチナブロンドの髪は無造作にカールされ、毛先はくるくると流れる川のようである。


「んひひ……バレちゃったか」

 屈託のない笑みは幽霊というよりも、天使のそれに近い。

 導かれるよりも導く方に向いている。


「痴女の幽霊!」

 衝撃のあまり邦彦が思わず叫ぶ。


「それは失礼だろお前……」

「オタクくんさぁ……女の子の扱い方がわかんない系?」

「すいません……」

 そして当然のように怒られる。

 だが、これは太田邦彦だけの問題ではない。

 私の個人的な調査からカクヨムの利用者というのは痴女好きが多いという事実が判明している。つまり今この作品を読んでいるあなた達も、うっかりエッチなハプニングを起こしてくれる女性に対してついつい使い慣れた痴女という言葉を使ってしまって、雰囲気をぶち壊しにしてしまうかもしれないのだ。

 確かに皆さんは痴女が大好きかもしれないがTPOをわきまえていただきたい。

 よろしくないぞ。


「貴方がオタクに優しいギャルの幽霊ですか?」

 申し訳なさから、邦彦が正座する一方で創が核心へと迫った。

 偶然現れたギャルの可能性も存在しないわけではないのだ。


「いかにもあーしがオタクに優しいギャルの幽霊と、言いたいところなんだけど……ちっがうんだなぁ」

 ギャルがニヒと笑い、チッチッチッと指を振る。

 その姿はとっておきのイタズラを仕掛ける自慢する子供のようにも見えた。


「あーしは、オタクに優しいギャルの悪魔、ムスメフィストフェレス!」

「ムスメフィストフェレス!?」

「すごいわかりやすい名前!」

 衝撃を受けつつも、どこか冷ややかなものが心のなかにあることに二人は気づいていた。

 別に足が無いわけでもなければ、角が生えているわけでもない。

 羽が生えているわけでもないし、鋭く伸びる牙を見せたわけでもない。

 ギャルを見つけたという高揚感はある、しかし本物ではないのだろうという思いは二人の中に確かにあった。


「あー、信じてない?言っとくけど、あーしは嘘なんかつかないよ?あーしがエイプリルフールに一番多く言われた言葉知ってる?いっそ嘘であってくれ……だよ?」

「いっそ嘘であってくれ……」

 邦彦がボソリと呟く。

 よっぽどの大ヤラカシを起こしていない限り言われないような言葉だ。

 目の前の存在がそんなことを言われるような者であってほしくない。

 そして、そういうようなことを言われるような存在はやはり悪魔なのかもしれない。


「ま、サクッと証拠見せとこっか……エヤッ!」

 ムスメフィストフェレスが気合を入れるや否や、彼女の身体は宙に浮いていた。いや、それだけではない。その背には翼が生え、額からは髪をかき分けるように一本角が生えていた。


「オーソドックスな悪魔って感じでわかりやすいよね~」

 二人は目の前で見たものが信じられなかった。

 テレビでも動画配信者でも、ドッキリでしたと言ってくれればどれだけ救われるだろう。

 だが、その変身に種も仕掛けもないことは、瞬きもせず見ていた二人自身が誰よりも確信していた。


「悪魔……マジの悪魔だ……俺の願い事聞いてくれますか?」

 神に祈るように真摯に創が言った。

「……創、やめとけ。悪魔だぞ」

 恍惚の表情を浮かべた創を制するように邦彦が言う。


「いやいやいやいや、悪魔だからって差別は良くないよ。あーしってさっきも言ったけどオタクくんには特に優しいギャルの悪魔なんだからね、オタクくんが切腹した時にはちゃんと介錯してあげるし」

「それはギャルの優しさじゃなくて、武士の情けだろ!」

「いやいやいやいや、痛みなく首を刎ねるよ?」

「優しさの時計の針を武士の時代からせめて文明開化まで進めてくれよ!」

「ま、じょーだんはさておいてぇ……」

 重力を忘れたかのように、ムスメフィストフェレスはふわふわと創の前まで移動した。上下逆さとなって、彼女は創の顔を見つめる。


「オタクくんはぁ~なんて言おうとしたのかなぁ~?」

 ニヤニヤと嗜虐的な笑みを浮かべて。

「おっ……」

「おっ……?」

「おっ……おっ……」

 言葉を忘れてしまったかのように、創は「おっ」だけを何度も何度も繰り返していた。

(創……お前、おっぱいって言おうとしてるんだな)

 汗をダラダラと垂れ流しながら、創は次に言うべき単語を己の魂の底から必死で引きずり出そうとしているようだった。

 その表情はほとんど泣きそうで笑えるぐらいに無様なものであったが、邦彦はとても笑えなかった。


(止められねぇ……相手が悪魔でも……お前がそこまで頑張ってるなら……止められねぇよ……!)

 あらゆる非日常を求めて、とうとう創は非日常に出会った。

 けれど、そこで創が求めたものは日常と隣合わせの――しかし、非日常よりもよっぽど難しいものだった。

 だが――告白は一番の冒険なのだ、例え相手が悪魔で、交渉内容がほとんどカスのそれでも。


(行け……創……行けェーッ!!!!)

「おっ……無理だァーッ!!」

 だが、邦彦の祈りも虚しく――創は走り去ってしまった。

 真っ赤になった自らの顔を覆い、邦彦を一人残して、徒競走の記録に挑むような速さで、己のしょうもなさから逃げ出してしまったのだ。


「あらら、オタクくん行っちゃった……じゃあ」

 宙に浮いたまま、ムスメフィストフェレスは邦彦の両肩を掴んだ。

 吐息が掛かるほどの距離。

 甘い匂いが鼻孔をくすぐる距離。

 創のように逃げ出すことは出来ない。


「こっちのオタクくんの願いは何なのかなぁ~?」

「願いって……悪魔なんだろ?」

「悪魔だよぉ、だっ、かっ、らぁ!大体のことは叶えられちゃうんだよねぇ」

「それで代償で魂とか、そういうのが持っていかれるんだろうが」

 邦彦の言葉を聞いて、再びムスメフィストフェレスがニヒヒと笑う。


「あのね、あーしはオタクくんに優しいから……オタクくんから代価を取ったりはしないよぉ」

「オタクくんから……?それはつまり僕以外から取るってことじゃないか!?」

「うん、うん、うん……けど、大丈夫、大丈夫、オタクくんとは関係ないところだよ」

 そう言って、ムスメフィストフェレスは邦彦の肩から手を離し、夜の闇の中に手を伸ばした。

 まったく不思議な光景であった。

 まるで夜闇が穴と化したかのように、ムスメフィストフェレスの左手は消えている。


「ちょっとまってね……どこ置いたかなぁ……あった!」

 ムスメフィストフェレスの左手は香水の瓶を握って、再び姿を表していた。


「なんだそれは?」

「ん、あーしが持ってる道具の一つ、モテモテ香水……これをかけるだけで、男性でも女性でも好かれたいと思えばどれだけでも好いてくれるし、役者だろうが動画配信者だろうが海外セレブだろうが、会いたいなぁと思ったら向こうから会いにも来てくれちゃうんだよね、効果は匂いが消えるまで」

 恐るべき道具を「試供品ね」の言葉とともに、邦彦の制服のポケットに入れる。


「で、例えば、これの代償は……一回使うごとに東京都大田区の予算が0.1%消滅しちゃうこと」

「は?」

「あーしはね、オタクくんから代償を取ったりはしないよ」

 天使のような笑顔で悪魔が言った。

 優しく悪魔が邦彦の頭を撫ぜる。

 東京都大田区は少年の知り合いもいなければ、そもそも何一つとして知らないような土地である。


「あーしはオタクくんに優しくて、大田区に厳しいギャル悪魔だから」

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