肉よりきつね

@kounodai

第1話

 俺達の下積み時代は厳しいものであった。俺は高校の同級生とお笑いコンビを結成し、大阪から東京へとサクセスストーリーを夢見て上京してきた。高校生の時には文化祭や壮行会やらいろいろな行事で漫才をやっていたので地元では割と知られていた。すぐ売れると期待していたのと裏腹に登録した事務所からは一向に連絡がなく、仕事が入るのを待ちつつ、バイトと漫才の練習に明け暮れた。家賃が高いため俺達は八畳の部屋を二人で使った。若さもあり、馬鹿な俺達はパチンコやギャンブルや派手な遊びにお金を使ってしまい、貯金が底をついたこともある。

 その時には電気、水道、ガスが止まってしまった。反対されたにもかかわらず飛び出した手前もあって、親にも頼れない。公園で汲んだみずをカセットガスで沸かして、二人で一つの赤いきつねを食べたっけ。腹が減っている俺達は二つに分けたお揚げで喧嘩になった。今思えばそれもいい思い出である。そんな俺達も長く貧乏な下積み生活の末、ようやく、とある漫才コンテストに入賞することができた。あの時には雑誌のインタビューが来て、舞い上がったなぁ。これから、栄光への階段を少しずつ登り始めるはずだった。

 それがどうしたことか、とあるウィルスがほんの一ヶ月前から蔓延し始めた。相方は初めの方にこのウイルス感染した。そして今、目の前にあるのは病院のベットに縛り付けられた相方のゾンビ化した姿である。このウィルスは人の脳神経を破壊し、理性を失わせる。なぜか、ただ人を噛みつきたいという欲望のみが極限まで増幅するという、訳の分からないウィルスだ。その特性からゾンビウィルスと呼ばれている。それに罹った相方はベットの上に拘束具を付けられて、寝かせられている。この病院はほとんど、ゾンビウィルスの患者ばかりになってしまった。街中ではこのウィルスに罹った人間が最近になって爆発的に増えている。普通に生活していた人間が急に噛みついてくる。おかげでこの一ヶ月は日本中でパニックだった。相方は意識があるのか無いのか、低い声で「う……う……」と呻いている。少し前までは賢そうなイケメンだったのに、今や目は焦点が合わず、顔はやつれて、爪と髭が伸び放題になっている。こんな相方を見ると涙が出そうになった。

「この状況、昔やったゾンビのコントにそっくりやないけ。」

 相方に言った。それは昔作ったコントで、相方がゾンビの役をするものだった。

「お前が肉肉って言って人を襲おうとするやつや。それを俺が止めるわな。やめろ!言うて。……羽交い締めにしてな。それでも肉、肉、言うから、そないに食べたければ、俺を食べろっていうやつ。ほんなら、お前がその時だけ真顔になって、嫌やって言うて。……なんでや言うたら、お前は一週間風呂入ってないやんけ。食欲湧くか?ってなるやつや。お前は真顔とゾンビの役を繰り返して、最後は若い女の子食いたいねんって。……覚えてるか?あんまり受けへんかったけど。」

 俺は病室内にもかかわらず、窓を開けてタバコを取り出して吸った。空は澄んで晴れているのに、あちこちで悲鳴やら、サイレンの音が聞こえる。夏の終わりを告げる涼しい風が吹いた。ふと、ゾンビのコントやってみようと思った。意識を取り戻すかもしれないと思った。相方は相変わらず、呻いている。

「う……。う…。」

「そんなに肉を食べたければ、俺を食べろ。」

「……う…。」

 しばらく待ってみたが、なんの反応も無かった。「あかんなぁ。」俺は独りごちた。それからも、病室で相方に話し続けた。反応はほとんど変わらない。呻くばかりだ。時折、体を動かそうとして拘束具がガチャガチャと動く。何度もいろんな話をするが、相方は呻くだけである。そんな相方のアホ面を見て無性に腹が立った。「何でこんなことになったんや。」俺は叫んだ。そして、ロッカーを蹴った。何も言わない相方にも苛立つし、この変わり果てた世界にも苛立つ。その時お腹がグーとなった。

 はっと思い時計を見るとお昼を過ぎて夕方になっていた。もう、8時間もじっとこの部屋にいる。トイレにすら行ってなかった。最近はコンビニエンスストアも品物をほとんど売っていない。俺はカセットコンロと水と鍋と赤いきつねを持参していた。ここ数日インフラもまともに機能していないのだ。

 俺は手慣れた手つきで鍋に水を張り、湯を沸かした。鍋の湯が沸騰すると、赤いきつねにお湯を注いだ。部屋中に、だしのにおいが満ちた。よく考えると看護師さんも来ていない。相方もたぶん昼まえから何も食べていない。もしかすると朝も食べていなかったのかもしれない。俺は昔と同じように赤いきつねのお揚げを半分に割り、相方用に鍋に半分移した。

 麺をすすると体がほっとするのを感じた。相方がこっちを向いているのに気づき、ベッドを起こした。

 相方はおとなしくしている。俺は箸でお揚げをつまみ、相方の口に近づけた。おもむろに相方が口を開いて言った。

「大きい方にしてや。」

 俺は相方の目を見た。

 相方はにっと笑った。

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