エピローグ ~人生のとびきりデザート~|

 何度も、何度も、何度でも、驚かせてくれることに。


 純は不良たちが全員逃げていくまで、戦い通してしまった。



 最後の一人が去った直後、頽れるようにその場に膝をついた純を引きずって、あたしは会場まで戻った。

 事情を話すと、不良たちがしたことは犯罪に近いからと、マネージャーさんが厳重に対処してくれると言っていた。 

 とは言え、アイドルがまともにやばめの脅迫状真に受けて戦闘するとは何事だ、お前は大勢の人の前に出ているという自覚があるのかと純はめちゃめちゃスタッフさんや偉い人に怒られた(さすがにちょっとかわいそうだ)のち、ベッドに戻された。


 純をここまでひきずってきたことであたしはスタッフさんたちから多大なる感謝を受けた。

 彼はあたしのせいでこんなふうにぼろぼろになっちゃったのに。

 なんだか泣きたくなった。


 でも、応急処置を受けたあとの彼のそばにいることを二十分だけ許されたとき、あたしはその申し出をついに辞退することができなかった。


 通された楽屋で二人きり。

 右にずらりと並んだ鏡の台。

 左に三つ座布団を敷いた上に、純が横たわっている。


 あたしたちは二人とも、しばらく無言だった。


 まいったな、とあたしはこめかみをかく。なんだか、とてつもなく変わったクリスマスデートになってしまった。


「あの。純」



 沈黙がたまらず、あたしはそっと声をかける。

 ふつうの声さえ、今の彼には負担になりそうだったから。


「少しはよくなった? 身体、まだひどく傷む?」


 こくり。

 座布団の上に横たわり、右頬を腫らした純が頷く。


「だよね……」


 ちらとあたしは楽屋にかかっている時計を見た。

 許可をもらった時間はまだあるけど。

 


「あたしもう帰るよ。とにかくゆっくり休んで――」

 立ち上がりかけると、右手を強くつかまれる。


「いやだ」


 いじけるようにそう言った彼の顔が、崩れる。


 そのうちに純の息がつかえたようになり。

 激しくなって。




「なんで――家から出た」


 あ。


「ごめん。なんか、電話越しの純の声がすごく弱ってて。不良たちにアイドルなんてどうとでもできるって脅されてたから。それで、じっとしてらんなくて」


 純は片手で顔を覆った。


 もしかして。



 常に強気で強引なオレ様アイドルが。


 泣いてる?




「最悪だ。お前を危険な目にあわして」


 かすれた声が楽屋に響く。


「オレのためにどうにかなっちまったら。一生自分を呪ってるとこだった」


 片手で顔を覆ったまま、もう片方の手があたしの手を強く握る。


「ごめんな。すげー……悔しいよ」


 驚いた。



「泣き虫ってほんとうだったんだ」

「うっせー」


 なんかおかしい。


 ほんと、完璧主義にもほどがある。


 熱のある身体で、あたしのこと助けてくれたのに。


 じゅうぶん、完璧なくせに。


 しゃんとしろっ、背筋伸ばせって、いつものお返ししたいところだけど。

 そう前置くと自然に頬が緩む。


「いいよ。あたしの前ではかっこいいアイドルじゃなくたって」


 彼が左腕をあてがってる目の上の額をそっとなでる。


「かっこつけてて上から目線で偉そうで。でもほんとうはすごく繊細で優しい純で、いいよ」

「……っあほ」


 額の上の掌がぐっと握られる。


「んなこと言われたらよけいかっこつかなくなるだろ――それ以上に具合悪いのが」


 あたしたちの片手はつながったまま。

 目を覆っている左手をかすかに上げて、純は言った。


「もう離したくなくなんだろーが」


「……っ」


 ふいに身体を逸らしたけど、彼はやっぱり、右手を離さない。


 鼓動がどくどくいうのがきこえて、ごまかすように、あたしは話題を変えた。

「小説、最後まで書けたんだ」

「マジ」

 純が額から完全に手をどけて、横になっていた座布団に座りなおす。

「見たい」

 持っていた手提げから取り出した原稿を半ば奪うようにとって、途中からむさぼるように読みだすからまた心配になる。


「あの、その身体でまた無理したら――」

「ラストシーン、瞬間移動じゃなくてフライングにしたんだな」


 原稿を撫でるように目を通すそのあたたかいまなざし。

 やっぱり、あたしの意識は小説を読んでくれる彼にぎゅっと集約されてしまう。


 しばらくすると、純はほっと息をついて紙の束を傍らにおいた。

「――エンディングの二人の心理描写もいい。伝わってくる」

 ふいに、好奇心が頭をもたげる。

「純も、このエンディングの二人みたいな気持ちになったことあるの?」


 生きていてよかったっていう、小説を読んでくれた人にあたしがプレゼントしたかった、満ち足りた気持ちに。


「わかった。コンサートでお客さんたちに喜んでもらったときだ」

「……それもあるけど」

「――あ」


 握られていた手が、彼の胸にもっていかれる。

 そっとふれたそこは予想以上にあたたかかった。


「今だ」


 穏やかな鼓動が、右手を通して伝わってくる。

 それを伴奏のようにして響いたのは、決心したように息を吸う音。

「……じっとしてろって言ったのに。人の心配して飛び出してくるとかあほだなって思ったけど」

 

 ちらと、一瞬だけ、彼がこっちを見る。

 それはいつもの自信家で強気なまなざし。


「そのあほさ加減がぐっときた」

「ほめてるの? けなしてるの?」

「あと!」


 ちょっとだけ眉をハの字にして、自信家はうつむいた。


「髪ほどいたお前も、悪くないと思うぜ」


 そして、髪をかきむしって。

 つまり、とちょっといらいらしたように言った。


「契約とか、告白避けとかそういうの、抜きに」


 さっと頬を赤くすると、彼は一瞬、その口をつぐむ。


「好きになっちまったみたいだって。言ってんだよ」


 頭が真っ白になって。

 自分がなにを感じているのかわからなくなって。

 その感情はやがて、雪のように心地よく、胸に溶けていく。


「純」

 そしてその雪は、やがてくる春の空に。

 ちょっとだけ遅れた結晶として、きらびやかに降り注ぐ。

「あたしね、みんなに好かれるようにふるまうのが、小さい頃から苦手だったの」

 彼の瞳が、まっすぐに据えられる。

「たまにいじわるされることもあって、なんでいつもじょうずに歩けないんだろうって、思うこともあったんだ」

 顔を上げたあたしはきっと。

「でも、それがどうしてなのか、今わかったよ」

 前より、幸せな顔をしている。

「あたしは、みんなに好かれたいんじゃなかったんだ。純だけのたった一人になるために、雪にうずもれて転んで、ここまで来たって気がする」


「純は、あたしにとってたった一人だよ」


 きらきらしたトップアイドルじゃなく。

 強がりで上から目線で泣き虫。


「小説は完成して、契約期間は終わっちゃったけど。その……これからも」


 毒舌のナイフに見える、細々とした彫刻刀で、あたしの心を、夢を浮き彫りにしていく。


 ――そういう、ただの一路純として。


「お願いします。あたしとつきあってください」


 ぺこりと頭を下げる。

 同時に、つないでいた腕をぐっとひきよせられた。


「なに人の台詞とってんだよ。あほ。……あほ作家」


 首元に回された、あたたかで力強い感触。

 今年、天使がくれたクリスマスプレゼント――甘い甘い、人生のデザートをあたしはぎゅっと抱きしめ返した。


                                     了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

I(dol) love(s) you ほか @kaho884

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ