第10話
翌日。
日勤が終わり、車に乗り込んだ蓮江は、今朝調べていたフラワーショップへの道のりを再確認すべく、スマホを開いた。
経路を脳に焼き付けて、スマホをダッシュボードの上に置き、エンジンをかける。
車は斜陽に照らされながら、灰色のビル郡の合間をひた走った。
毎日の通勤とは違う道。
見たことのない風景。
不思議と、心が踊った。
やがて辿り着いたフラワーショップ『ライトムーン』
茶色を基調とした店舗は、ドライフラワ―を主に扱う店だけあって落ち着いている。
その店先では、蓮江とさほど年の変わらない中年女性が、バケツに色とりどりの生花をさしていた。
「…あの!」
車から降りると同時に、蓮江はその女性店員に声をかけた。
「すみません、こちらで千日紅を生花で扱っておられるって聞いたのですが、」
「生花の千日紅?あ、ございますよ」
「…よかった、」
蓮江の顔に安堵の色が滲んだ。
店員の女性に案内された店内は、壁や天井からドライフラワ―が吊り下げられていた。
それはまるで店全体がポプリの中にあるようで、優しく淡い香りが漂う。
「こちらですね、」
「…わぁ、」
思わず、感嘆の声が漏れた。
真っ赤というよりは少しくすんだ赤い花が、銀色のバケツに入れられて無造作に置かれていた。両手でようやく抱えられるほどの量でありながら、一つ一つが小さいためにとても控えめに店の片隅でひっそりと咲く。
「…これ、全部いただけますか。」
「全て、ですか?」
「あ、はい。あ、そうだ、お聞きしたいのですが、生花だと、千日紅ってどれくらい持ちますか?あと、ドライフラワ―にするには…」
店員の女性が困惑するほど矢継ぎ早に質問しながら、蓮江は嬉々としてポケットからメモ用紙を取り出す。そして店員の説明を漏らすことなく逐一メモに残していった。
そしてそのまま、蓮江は店にあった千日紅をありったけ買い占めた。
「ありがとうございました!」
店員の女性に笑顔で会釈し店を後にする。
少し顔を紅潮させた蓮江は、足取り軽やかに車へ向かうと、助手席側のドアを開け、両手いっぱいの千日紅の花束を助手席にそっと置いた。
そして反対側に回って運転席のドアを開ける。
「……ふぅ、」
一仕事終えた充実感を胸に車へと乗り込み、深く腰かけると、改めて、隣の千日紅を見やった。
「……きれい、」
エンジンをかけかけていた手が止まる。
ほとんど無意識に、蓮江はポケットからスマホを取り出し、一枚、千日紅の写真を撮った。
「………」
スマホの画面を操作して、とあるアプリをタップする。
そこに広がる小さな異世界へ、蓮江は千日紅の写真をアップした。
「…さて。」
決意にも似た息を一つ吐き捨てて、蓮江はエンジンをかける。
スマホはダッシュボードの上へと置いた。
そしてアクセルを踏みかけた時、
ピピ、ピピ
スマホが小さく震えて鳴った。
「…え、」
蓮江はハンドルを持っていた手を離し、すぐさまスマホへと手を伸ばす。
少し震える指で画面を開いた。
そこに届いたメッセージ。
『小さくとも、変わらず赤く咲き続けるのは簡単ではないですよね。』
「………」
『それでも咲こう咲こうと頑張る姿は、まるで貴女のようでもありますね。』
「……ぅ、」
スマホの画面が、溢れる涙で揺れてよく見えない。
「……うぅ、うぅ、…」
蓮江はハンドルにもたれ掛かるようにして、しばらく泣いていた。
こんなに泣いたのは、数年ぶりだった。
蓮江は今まで、声を出して泣くことさえもできなかった。
この涙が、一体何を流し去ってしまおうとしているのか。
蓮江はそこからもう、目を逸らせないことを知った。
了
道草の先の千日紅 みーなつむたり @mutari
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