ハナカマリキの苗
加賀山かがり
ハナカマリキの苗
『ハナカマキリの苗だよ』
『花カマリキが苗から生えてくるわけねーだろー』
『それが生えてくるんだよ、これが』
そんな会話をしたのが確か今から八年ぐらい前。
何の因果なのか、巡り巡って、その謎のハナカマリキの苗とやらは僕の手元にやってきている。
「いやしかしどーなんだ……、これ……?」
白い鉢に植えられた苗はどう見てもただの観葉植物の葉っぱにしか見えない。
くっきりとした葉脈のある双葉が茶色い土からぴょこんとかわいらしく生えている。
それだけだ。
たったのそれだけ。
何にも特別なところはない。
チェーン店のハンバーガーくらい何の変哲もないただ芽吹いただけの葉っぱ。
こんなものが一体何になるって言うんだ……。
だけれどまあ、モノは試しだし、育ててみるか……。
そう思って説明されたとおりに毎日水をやって、毎日恨み言を囁きかけた。
なんでも育ったハナカマリキが目的を達成するためには芽が出てから毎日毎日恨みつらみを浴びせかける必要があるそうだ。
誰かの髪の毛とか爪とか皮膚とかを採取してこないとダメですよ、なんて言われていたら正直きびしかった。
でも恨み言を吐くだけならば何ら問題はない。
その程度ならばいくらでも、本当にいくらでも身の内から湧き上がってくるから。
いや、罵詈やら雑言やら、誹謗やら
でもまあそれは出てきてしまうのだから、仕方がない。
そうして毎日毎日水をやっては悪辣な言葉を投げつけていると不思議なことに僕の心は穏やかになっていった。
特に何か強い意味があったわけではないと思う。
不思議な効果や、不思議な力があるわけではない。
ただ、何というか合法的に暴言を吐き散らかしてもいいというこの状況が、なんとなく精神衛生上良かったのかもしれない。
だって、普通恨み辛みなんて口にするのも憚られるモノじゃないか。
でも、今僕はこのハナカマキリの苗を立派に育てるために、必要だから、そう感情のままに、ではなく必要に迫られて冷罵の言葉を吐き捨てているのだ。
この違いは大きい。とても大きい。
あくまで仕事、必要なことして、悪罵をあげているに過ぎない。
そういう何というか自分の醜さと向き合うことをせずに悪口を言えるということが、とても良い。
これも一種の人間の浅ましさかと思わないでもないけれども……。
でもいいのだ、仕事だから。
そうして一週間が経った頃、ハナカマリキの苗が急に大きくなった。
ただの草の芽にしか見えなかったモノが、急に小さな木くらいの大きさになった。例えていうならば生垣用の背の低いツバキくらいの大きさだ。
低木だ。
まあでも鉢植えで育てたアボカドよりは小さいし良いか。
それからまた一週間くらい、悪言の限りを尽くしながら水を上げ続けると、ぷくぅっと小さな実が生った。
「おお……。でもなんだこれ……?」
それは見たこともない実だった。
白っぽくて、仄かなピンク色が混ざった実なんとなく桃や梅に近いような気もするけれど、でも、それとは大きさが大分違う。細長くて、つるんとしている。そう多分トウガラシとか、キュウリが小さな果実になると丁度こんな形になるような気がする。
でもこれはハナカマキリの苗なので、この実は食べ物じゃない。
そう、この実からハナカマキリが生まれてくるらしいのだ。
意味はよく分からない。
だってハナカマキリは不完全変態の昆虫で、卵から孵化した小さなコカマキリの姿から脱皮を繰り返して成虫へと成長していく生き物なのだ。
断じて苗から生えてくる謎生物ではない。
でも、この実からハナカマキリが生えてくるらしい。
そもそもなんで僕はこんな与太話を信じることにしたんだろう……? 不思議で仕方ないけれど、でもお仕事として頼まれたのだからしょうがない……。
そういえば、あの時話したあのおじさんも僕みたいに色々なの事をため込んでいたのだろうか……?
じゃなければこんな変な生き物(本当に生き物と言っていいのかどうかも未だ定かではないが)育てられないよなあ。だって本当に一日に何度も何度も何度も何度も、口から言葉の暴力を羽ばたかせなければいけないのだもの。
それからまた数日が経って、少し大きく膨れてきた実がもぞもぞと動き出した。
おっ、これはと思って観察をしていると、パキっと小さな音を立てて実の皮が割れた。
皮が割れて、カマキリの羽になった。
摩訶不思議な光景だった。
だって、どう考えたって、おかしい。
でもその後もどんどん変化は進んで行って、いつの間にやら実全体が小さなハナカマリキの形になっていた。
全体が変化し終わったらぽとっと樹からカマキリが落ちた。
それを用意していたピンセットでつまんで虫かごへ入れて蓋をする。
その日はそれだけだったけれど、次の日からは大変だった。
いつの間にやらついていた白いハナカマリキの実がわぁっと孵化し始めたのだ。
そんなに大きくない鉢で育ったそんなに大きくない低木から次から次へとハナカマキリが降ってくるのだ。
とにかくつまんで何匹化をまとめて虫かごにしまい込んでいく。
本当は一匹につき一つの虫かごでなんて言われていたけれど、数が多くてそうも言っていられない。
結局先に受け取っていた虫かご一〇個に対して、取れたハナカマキリの数は四〇を超えてしまった。
ハナカマリキの苗を譲ってくれた人に連絡を入れると、次の日買取に来るということだった。
次の日、やってきた男に虫かごを見せると、「おおこれまた大量ですねぇ、ヒッヒッヒッ」なんて笑っていた。
買取金額は何と一匹につき二〇万円。総額八〇〇万円を超える臨時収入になった。
こんな楽な仕事で本業の何年文化の稼ぎになるなんて、ひゃっほう。
こんな実りの良い仕事は他にはないし、出来ることならもう少しくらいは続けたかった。
その旨を男に伝えると、男は快諾してくれた。ただ、今はもうハナカマリキの苗がないらしいので、次の苗が手に入った暁には、一番最初に連絡をくれると約束してくれた。
いつになるかは分からないけれども、これならば実りの良い次の仕事が確約されたも同然だ。
僕は内心でウキウキしていた。
ただ、その男は帰り際に少し気になることを言っていた。
「収穫後は一番危険ですからねぇ……。取りこぼしがあるかもしれませんから、よく探した方がいいですよ」
確かに、あのハナカマキリを捕まえ損ねていたとしたらそれは少し不気味ではあるけれど、でも所詮はハナカマキリだ。人間をどうこうできるような力は持っていないだろう。
そんな風に考えて僕はその日幸福感に浸りながらゆっくりと風呂に入った。
こんなに満たされた状態で眠りにつくの何ていつ以来だろうか。
まだ幼く、何も知らなかった小学生の時以来かもしれない。
その日の夜、僕は夢を見た。
あんなに清福に眠ったのに、酷い悪夢を見た。
何か小さなモノに、自分の鼻梁を切り飛ばされる夢だ。
夢だからか、特に痛みらしい痛みは無かった。
ただ、スースーと鼻周りが異様に寒さを感じた。
それから数日の間は特に何もなく、過ごした。
いつも通りの無味乾燥な日々だ。
特別なことなんて何にも起きはしない日々。
一つ変わったことと言えば、普段の生活でわざわざ日々の誹りを口にしなくなったことだろうか。
次のハナカマリキの苗を育てる仕事が来た時に存分に発散するために取っておこうとなんとなくそう思って悪口雑言は控えめになっていた。
それが良いのか悪いのか……。
そんなある日、僕はなんとなく鼻に違和感を覚えて、鏡の前でひたすらに自分の鼻梁を眺めていた。
特になんてこともない、やや潰れた感じの鼻だ。
不格好と言えば不格好ではあるけれど、まあ長年連れ添った自分の鼻だし、今更特に何かどうこう言うこともない。
でも、気になる。気になってしまう。
なんだろう、女子が体形を異様に気にするのってこういうことなのかなってなんとなく考えてしまうくらいに、意味もなく気になってしまう。
ただ、あんまり気にしても仕方がないと思っているのも事実なので、ほどほどにして顔でも洗うかと、頭を下げたその瞬間、洗面所の流しに僕の鼻がころんっと転がった。
「は……?」
取れたハナがもぞもぞと動き出す。
思わず僕は自分の鼻を確かめるように、手を動かした。
目は落っこちたハナから離せない。
すかっと手が空ぶった。
ぽたりと、遅れて血が滴った。
鼻が取れた割には随分控えめだった。
もぞもぞと動くハナから無理やり目を引きはがして、眼前の鏡を覗き込む。
そこにはぽっかりと鼻の取れた血まみれの顔が映っていた。
もう一回洗面台の上に視線を落とせば、今度はもう洗面台は血で真っ赤になっていた。
混乱していて、痛みはよく分からなかった。
ただなんとなく妙に鼻がスースーしているような感じがした。
もぞもぞと動いていたハナがすぅっと立ち上がった。
それはカマキリの形をしていた。
最初に見たあのハナカマキリによく似ている。
だけれど、色も大きさも、全然違った。
あのときのハナカマキリはもっと白とピンク色をしていた。今はどうだ、人間の肌のような自然な肌の色をしているじゃないか。形だってそうだ、いくらカマキリが不完全変態で脱皮を繰り返して大きくなる生き物だとはいえ、それでもこれはおかしいじゃないか……?
……、そもそも一体いつからここにいたんだ……?
しゃこしゃことハナカマキリが空を切るように両手の鎌を振り回した。
僕はそれに言いようのない恐怖感を覚える。
そう何か素振りをしているみたいに見えるのだ。
ぱららとハナカマキリの羽が大きく広がった。
瞬間的にキレイだなと思ってしまった。
明らかに今から自分を害しようとしているであろう存在に対して、そんなことを思うなんてどうかしていると思う。
でも、思ってしまったから仕方がない。
それからは、あっという間だった。
ただただ――。
了
ハナカマリキの苗 加賀山かがり @kagayamakagari
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