第3話
昔、キンおばさんは、妖怪は、科学的に分けられる怪異(①偽怪、②仮怪、③誤怪)と現在の科学では解明できない怪異(真怪)に分けられるという話を聞いたことがあった。マニアなら知っている人が多いかもしれない。『偽怪』はペテンなどの人為的なもの、『仮怪』は自然現象によるものだが、特に彼女は、恐怖心や精神的な問題による見間違い、『誤怪』に目をつけた。五感で感知困難なものには、自分の体から分離した状態こそ、人ではない何かを見るための鍵を持っているのではないかと考えたのだ。
そこで、キンおばさんは、知り合いの精神学者に「幻覚を見ている世界を見るにはどうしたらよいのですか?」と聞いたところ、「自分から幻覚を見るような身体になってみたらどうです?」と言われたのである。
その話から着想を得て、人ではないものを見るには、人間の耐久力を限界まで追い込んだり、感覚遮蔽を行ったりと、身体的・精神的外傷を引き起こすよう脳神経に作用させる装置を作ったのだ。しかし、向こう側の世界に入り込むために、お化けを見るために、自分の体を痛めつけるなど馬鹿馬鹿しくてそこまでやる必要はないと常人ならそう判断するだろう。しかし、開発中、何回も試着をして試着前と試着後で、精神に異常は見られないと判断されたため、周りの人間も多めに見ていたようなのだ。
「籠を身に着けると、赤い文字が出てくると思うけど、爽ちゃんには少し難しいかもしれないから読まなくていいよ。」
その後に、ひと呼吸おき、それよりもねと付け加えた。「これをつけると、爽ちゃんの体をひどく傷つけちゃうかもしれないんだけど……。」
「でも、これをつけたら、見られるんだよね?お化けに会えるんだよね?」
その意味をよく分かっていなかった無邪気な少年は、お化けが見えると知ったら、警戒心よりも好奇心が勝ってしまった。キンおばさんは、ちょっと困っていたのが分かる。私は、なんの躊躇いもなくその服を着てみることにした。
服の顎から股座にかけて一直線に、竹籤がマジックテープでつながれている部分があるのだが、それを外してつなぎ服みたいに着るようだ。外す途中で、空気が抜けるような音がして、人形の形を保っていた服が萎れた。さっきまで、竹の感触があったはずが、ポリエステルやポリウレタンで編んだ水着のような感触になる。
これは、電磁レオロジー流体という性質を持つ服に近い。竹籤内には、コンピュータに管理された電流が流れるようになっている。竹籤は本来絶縁体であるが、この籠に使用する竹籤は、表面だけが絶縁体になっており、薄い繊維が水素結合よりも強い結合を用いるように改良した壊れにくい竹紙で出来ている。
一方、内側は液状になっている。電流が流れると液体に含まれる金属粒子が磁力線、つまり網目状に沿って整列し、液体が硬化するのだ。だから、本来なら服が萎れた状態で受け取るのが普通なはずだ。ただ、マジックテープを外す直前まで、キンおばさんは、籠の服を充電していたため、竹籤内の液体は硬化した状態で人の形を保っていた。その後、時間差で電流が流れなくなり液状に戻ったのだ。
また、外的要因について詳しく述べると、竹籤内の金属粒子が、目に入る像を歪める働きを持っていることがそうだ。籠の穴、六角形・三角形の部分にそれぞれ注目すると、高速で動く粒子によって、複数の六角形・三角形の穴から入ってくる周囲の光や像、匂い、音、感触、それぞれの情報が金属粒子に歪められるため、今目の前にいる対象物に接している感覚が籠を身に着けていない時と異なるのだ。よって、籠を通して人、動物、器物に近づくと、幽霊、獣の妖怪、付喪神とまでは、いかなくとも妙な動きをした化け物に触れられるのだ。
本当になぜ、この外的要因だけにしなかったのか……。それだけでも十分だったのに、リアルさを追求したあまりにあんなことになってしまうなんて……。
「これで、服みたいに着られるよ。」キンおばさんに促され私は、袖、足、頭と順に通して全身を籠で覆った後、マジックテープでつなぎ直す。
黄色味を帯びた籠を身に纏うと眼前は、縦横無尽に竹籤で張り巡らされた網目が見えた。
規則正しく並んだ小さい穴から辛うじて外の様子が見られる状態だ。頭頂部に生体認証の装置が付いている。これに頭が擦れることで、電流が流れる。次第に籠の内側で、竹籤の表面の色が所々赤色に変わり、キン婆さんの言うような文字が現れた。小さい穴が開いていようとも文字としてきちんと読める。
〈I will evaluate your physical condition now.〉
〈And I will adjust to be able to see unidentified thigs for you.〉
〈measurement…〉
〈measurement…〉
〈measurement…〉
〈Height:A〉
〈Body weight:A〉
〈Visual:A〉
〈Hearing:A〉
〈Tactile:A〉
〈Taste:A〉
〈Smell:A〉
〈etc.〉
……
……
……
〈comprehensive evaluation:A〉
しかし、当時の私には、そこに何が書いてあるのか理解していなかった。キンおばさんに言われた通り無視することにした。今考えると、書かれていたものは、当時の私の身体状況を診ており、籠のスーツを身に着けることに適した状態か判断するための過程だったのだ。
英語で書かれていたのは、化け物が現実世界に現れるのを堪能する娯楽用品として作成し、全世界に普及しようとしたためだ。他にも数項目あったが、とにかく当時の身体状況を総合的に見たところ、どうやらA判定だったようだ。判定は、A、B、Cと3段階ある。Aの場合は、身体に異常はないと判断されるが、Bは要注意、Cは身体に異常ありという意味になり、強制的にシャットダウンされてしまう。また、長時間の試着は体に負担をかけるとのことで、時間が来たらシャットダウンするように促される。
身体判定の結果が上にスクロールされていき、下からまた別の言葉が現れる。
〈There were no abnormalities.〉
〈Then I will cultivate a sense of fear.〉
〈I wish you the best.〉
脳神経に作用させる装置が動き始める。これがまたつらい。
急に耳鳴り音がして、一瞬立ち眩みしそうになり、耳を押さえたくなる状態になる。まあ、籠を覆っているため押さえられない。次の瞬間、喉に何か異物が張り付いているような感覚が来て、吐き気を催しそうになる。やがて、竹籤の網目構造が薄くなっていき、籠の外側の世界が見えるようになる。景色が何だか変だ。風邪をひいて、周りの景色が近いような遠いようなそんな状態だ。
「ちょっと山の中を一緒に歩いてみようか。」いつの間にか、おばさんも籠の服を身につけていた。
おばさんに連れられ、近所にある山に入った。山に入って間もなく、キツネが叢から飛び出してきた。しばらく見ていると、キツネの体がグニャリと渦を描くように歪み始めた。
「あら、変化し始めたねぇ。爽ちゃん、驚い……、爽ちゃん!」
情けないことに、私はぶっ倒れてしまったのだ。脳への作用に耐えられなかったのか、化け物を見て気絶したのか覚えていないが、8歳の少年には、やはり酷だったのだろう。
薄れゆく意識の中、私の名前を呼ぶ声だけが聞こえる。
「……ちゃん!……ちゃん!爽ちゃん!お~い爽介く~ん!起きんしゃ~い!っち、起きやがれ!爽介!」
ガスッ!
粗雑な声と乱暴に籠を蹴る音で、私は徐に目を開けた。目の前に籠を身に纏った人物がいた。
ごかいかご、しんかいかご 枝林 志忠(えだばやし しただ) @Thimimoryo
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