見送る人


「うにゃ……」

「……初めまして」

「おっはよーございまーす、ってかいつまで寝てるんすか。一回夕方に起きたでしょ、二度寝長すぎっすよ」

「本当にな。遅いぞ」

「……お前たち、久々だというのに冷たいなぁ」


 ぐしぐしと前足で眼をこすった神が顔を上げ、迅をまともに見た。パチリと一度大きくまたたく。


「おお、新しい錮宮の者か。ほー、若いな」


 眷属たちと同じ台詞を告げられた。

 反応が似ている。やはり同族だからだろうか。

 うんうんと眷属二頭がうなずく。


「っすよね。力も半端ないんすよ、これが!」

「やはり驚くよな。間違いなく歴代一位の力だぞ」


 先代は三十を超えてこの地に訪れたから若く見られるのかもしれない。実際、驚くほど若くもないが、死の概念がない人ならざるモノにしてみれば、二十五年しか生きていない己は、赤子と大差ないのだろう。


「そうか……代替わりしたか。前の爺はだいぶ弱っていたからなぁ」

「はい」

「まあ、よく保ったほうではあったな。ふむ、ならば我の力、封じるがいい」


 糸に埋もれたまま神は、気軽に申し出てくれた。

 そのつぶらな眼は少し愉しげに見える。封じられるものなら封じてみよ、と試されているようだ。実際試されているのだろう。


 この神は、人間の潜在能力を目覚めさせてしまう力を持っている。


 ただでさえ、力の強い神は、人間や周囲のあらゆるモノに影響を与えてしまうものだ。いつぞや出会った異国の最高神の騎獣がそうであったように。


 江戸期より、はるか昔からこの地に住まう神である。

 意図せずともその大いなる力は常に振りまかれ、この地に身を寄せる人間たちは、強制的に潜在能力を目覚めさせられてきた。

 その力は、本来であれば生涯目覚めることはなかったモノだ。

 時代が下るにつれ、さまざまな便利な物を手にしてきた人間は、代わりに鋭利な感覚、能力を失いつつある。

 遣わなければ、自覚して磨かねば、やがて消えるものだった。


 されど『目覚めの神』により、無理やり引きずり出されてしまう。


 それらの潜在能力すべてが、喜ばしく役に立つ異能ばかりではない。

 時に危険な異能さえも目覚める場合もある。

 いつぞやの無差別に物を破壊する念動力しかり、放火魔となってしまった発火能力しかり。

 さらには己の異能に振り回されるだけにとどまらず、あまつさえ受け入れられず、過去には精神を病む者も少なからずいた。


 ゆえに江戸期、この地を治めていた大名により、封じる命をいい渡されたのが、封術師たる初代錮宮である。


 肝の据わっていた初代が神と直接交渉し、目覚めさせる力のみを封じることを受諾してもらったのだった。

 神の力は強大で、封じる期間は十年持てば長いほうだ。

 そのため、錮宮家の者たちはこの地に縛られることになった。

 実際のところ、大名は神自体をよその土地へと追いやりたかったようだが、それだけは決して告げなかったといい伝えられている。

 賢明な判断だったといえよう。危うく神の怒りを買うところであった。

 なぜなら神のほうが先にこの地に根ざしてきているのだから。

 後から住み着いた人間の都合で退去を願うなど、厚顔無恥にもほどがあるだろう。


 なお永らく寝ていたのは、単に神が自堕落なだけである。基本的に起きている時間より、寝ている時間のほうが永い神だ。

 封術が解け始めると、逢魔が刻に意識を取り戻す特性があった。

 ゆえにその時触発された者――神と波長が合う者が潜在能力が目覚めることが多かったのである。

 毎回、目覚めの刻が迫ると、前もって隣町やさらには遠方から妖怪たちが大挙して押し寄せてきて、大百鬼夜行が決行されるのだった。


 迅がちんまりと箱の中に鎮座している神へと組紐を手渡す。

 白を基調にして、金が入り交じる繊細な模様を入れた丸打ち組紐である。絶え間なく注ぎ続けた渾身の封術を組み込んだ代物だ。

 神の容姿は鼠と変わらないと聞き及んでいたため、その小柄な体の大きさに合わせた長さと細さにした。これであれば、ほいほい出かけてもさして邪魔にはなるまい。

 首に三重に巻いた神も大層満足げだ。


「うむ、ぴったりだな。この明るい色、繊細な模様も気に入った」

「ありがとうございます」


 お気に召していただけて何よりである。

 おおらかな性質な神だと聞き知ってはいても、やはり緊張するものだ。

 これで目覚めさせる力を封じた。その術が弱まり、解けるまで新たに目覚める者は、現れることはないだろう。

 封術は他者の封術が掛かっている間は、重ね掛けはできない。

 先代の封術が衰え、漏れ出る神の力のせいで異能に目覚めてしまった者が多数出たが、為す術もなく、術が完全に解けるのを待つしかなかった。

 されどそれは錮宮家にまつわる者たちのせいではない。誰のせいでもない。致し方ない自然の摂理ともいえよう。

 元来、人間程度の力では、神の力に抗うことなどできはしないものだ。

 それに唯一対抗できるのは、錮宮家に産まれるオッドアイ持ちだが、彼らの力は無限に続かない。

 必ず、その力は衰える。先代はかなり長く持った異例だった。

 以前、数度蔵神が神の力入りの護符を封じる際、力を遣いすぎるなと迅に忠告したのは、早くに力を失う可能性があるからだった。


 目覚めの神が首を傾け、コキコキと快音を鳴らす。


「では、出かけるとするか」

「大勢のモノたちが迎えにきておるぞ」

「っすね。地上だけでなく空まで埋めそうなほどいるみたいっすよ」

「そうかそうか。よし、ではいく。久々に思う様、シャバの空気が吸いたい」


 よいしょ、と箱をまたいで出てくる。両膝を土についた体勢の迅を前にして、見上げた。


「では、またな」

「はい。楽しんできてください」

「うむ」


 ちょいと前足で首元の組紐に触れる。すっかりその白い毛並みと馴染んでいる。

 所々見え隠れする金色がアクセントになって、まるで最初から神の一部であったかのように自然とそこに収まっている。


「まあ、これは三十年は軽く保つであろうから、相当先になる。長生きしろよ」


 両眼を弓なりにしならせた神は、悪童の笑みを浮かべた。愉快げに笑い声を立てて、軽快に四つ足で駆け、本殿を出ていった。

 二頭の眷属も戸口へと向かうべく、迅の傍らを通りすぎゆく。


「いまだかつてない長い期間になるようだな」

「マジで驚き。ま、とりあえず、今代もここから出るっすよ」

「……そうなんですね。……よかった」


 最後は小さく呟く。立ち上がり、膝についた土を払った。


 外へと出てみれば、地上も空も埋めるほどの人ならざるモノたちであふれていた。

 大勢のモノに囲まれた『目覚めの神』が、躍るような足取りで歩き出す。そのすぐ後ろを二頭の眷属が付き従った。それから次から次に、自前の明かりを宿すモノたちが、神の周囲を回り、躍りながら後に続いた。

 地上と宙を光の行列がゆく。天上で輝く満月と同等のまばゆい二本の道が描かれていった。

 宙を滑らかに進む油絵の中から鯛が躍り出る。

 活きよく宙を泳ぎ、空を仰いでいた迅の頭上を跳ね回る。楽しい空気に当てられたのか、いても立ってもいられなくなったのだろう。いつもよりヒレの開閉が早く、出目も煌めいている。

 数回回ると気が済んだようで、一塊になった蔵の住民のもとへと向かっていく。


 そして蔵住民たちが一斉に振り返る。


 油絵、自在鉤、照魔鏡、瀬戸物、灰坊主、唐傘おばけ、提灯おばけ、裁ちばさみ、組台、組玉、重し、いつもは寝ている花瓶たちへと向かい、笑う。


「楽しんでこいよ。いってこい」


 おのおの己が出せる音を鳴らし、光を発し、元気な応えが返る。春の香りを乗せた風が吹く。舞い散る桜の花弁が視界を埋め尽くした。

 夜の彼方へと消えていく百鬼夜行を最後まで見送り、迅は背を向けた。

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目覚めの逢魔が刻 えんじゅ @_enju_

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