僕は毎日死んでいる。ほら、今日も僕の目の前に電車がやってきた。もう少しもう少し。僕は死んだ。そして死んでいない。織り成す矛盾を繰り返す、僕の一日のお話。
まず、主人公である「僕」の置かれた状況はたいへん深刻だと思います。レビュー主である私は「死」が怖い。いつか死ぬのが怖いのです。だから自殺をしようと思ったことは一度もありません。だから私にとってこの作品は、自分が歩けなかった場所を歩けているような、そんな感覚をもたらしてくれました。
「僕」の状況と行動は日常からかけ離れているのですが、「僕」は私たちと共有できる感情も持ち合わせています。異常……と呼んではいけないのかもしれませんが、異常と正常の状況が同衾しているため、読者は「僕」の思考へと自然に導かれることになります。そこには張り裂けそうな思いがあります。この世への恨みとか、そういうものではないのです。自分との闘争、自分との葛藤。読者は、ただただ自分と向き合う「僕」という存在に気づくことができるでしょう。
これは、ただただ人間の心情に切りこんでいった、自問の物語だと感じました。
おそるべき表現の連続が、あなたと「僕」をぴったりと重ね合わせてくれることでしょう。
何度だって死ねない。
死ねない主人公はずっと妄想の中で死んだ自分に「意気地なし」と罵られ続けて生きています。
こういうことがあると余計苦しいかもしれないんですけれど、そういう妄想の中で自殺しないと現実でストップが掛からないってことはあると思うんです。人によって違うと思うので一概には言えないんですけれど。
死について語ることは実際問題生きているうちにしかできないことなので、忌避すべきではないと私は考えます。
死んでからは「死にたい」も言えない。
だったら「死にたい」という言葉は生きている人のためにある。
この作品は、そういう言葉であったり、もっと言えば人間の思考の『本質』に迫るものであると私は考えます。
暗いものより明るいものがウケるこの時代。需要は少ないだろうから、それを供給しようって人はもっと少ないと思います。それでも必ず誰かにとって必要になる作品です。この作品が存在していなければ、救われない人がいると私は確信しています。
この作品はこの場所になくてはならないし、作者はこの時代にいなくてはならない。そういう確信を持たせてくれる作品や作者と巡り会えた奇跡に深く感謝いたします。
ありがとうございました。